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彼女との別れー強迫症、双極症ー 闘病記【12】

悪化する強迫症

彼女との幸せな時間は長く続きませんでした。だんだんと私の病気がいかんともしがたくなってきたのです。日が経つにつれて、私は彼女の前でも強迫行為をするようになりました。彼女を家族と認識し始めていたのかもしれません。

前回述べたように「彼女を失うかもしれない」という強迫観念に対して、今目の前にいる彼女の前で強迫行為をしてしまうのです。なんという愚かなことでしょうか。今、目の前にいる彼女を大切にしないで、彼女を失うかもしれないという未来の不安を打ち消すことに必死になっていました。

彼女はそれに対して最初は「そういう病気だから」と思っていたようですが、徐々に「かわいそう」と思うようになっていったのです。

疲弊する生活

私は相変わらず学校の授業、部活、バイトと忙しい毎日を送っていました。どんどん疲れはたまっていき、強迫はひどくなり、私はうつ状態に陥ることが多くなってきました。たぶん綱渡りの日々に疲弊していたのです。

結婚したかった

ところで二人が20歳になったら結婚すると決めていました。しかしお互いが20歳になっても、私は結婚に向けて動き出しませんでした。親が許すわけ無いと思っていたのです。

それと結婚という選択に対する責任が取れるのか分かりませんでした。二人でやっていくことにも不安はあったのですが、それよりも親のいいなりに生きてきた私には、結婚するという勇気が出なかったのです。今になって思うと自立できない最低な男です。

和歌山旅行

そして二人で和歌山まで旅行に行きました。その時には彼女は別れようと思っていたそうです。私は別れるということは全く考えていませんでしたが、綱渡りの日々に疲れがたまっていてあまり乗り気ではありませんでした。

前回触れた心中事件以来、どこか冷めてしまっている自分もいました。もしくは命を懸けて愛情を確かめ合ったのでもう大丈夫だと安堵していたのかもしれません。

彼女は和歌山旅行で自殺の名所である三段壁へ行こうと言いました。私は極度の高所恐怖症なので行きたくないといい結局行きませんでした。

その時彼女は死ぬつもりだったのかもしれません。私の病気に対する憐憫とあきらめや私の精神、行動がどうにもならないことや、自分のどうしようもないリストカットと激情を抱えきれないようになっていたのかもしれません。

別れ

そして和歌山から帰って数日後に彼女はメールで別れを切り出しました。私は驚きました。何を言っているのか分かりませんでした。あんなに好きって言っていたのにどういうことだろう。命を懸けて確かめた愛情はなんだったのか。わけが分からなくなりました。

とにかく会って話がしたいと言いました。これまでも彼女は突発的に別れたいということがあったので、話せばなんとかなると思っていました。

ところが今回はそうでなかったのです。彼女は男を連れていたのです。私は大人の「強い」男が大の苦手でした。暴力で勝てないと分かる「強い」男には怯えていました。中学生以来、理不尽な暴力が怖かったのです。

その男は見た目が私より屈強で「強い」感じのする人でした。私はひるんでしまいました。

彼女は「もうかわいそうという感情しかもてない。好きという気持ちがなくなってしまった」と言いました。
もちろん私は全く受け入れることができません。だからといって言う言葉も見つかりませんでした。よっぽどショックだったのでしょう、その時のことはほとんど記憶がありません。

ただ覚えているのは、話の最後にその男に私が聞いたことです。「どうやったら強くなれますか?」と私は聞きました。それに対して男は「強くなろうと思い続ければ強くなれるから、がんばれ」と答えました。私は茫然自失として二人と別れました。その男に勝てないと思ったのです。

別れた後

それから自分のアパートに戻りました。なにがなんだか分からないけれど、とにかく悲しくて苦しかったです。彼女を失ったということがよくわかりませんでした。彼女がいないという現実を受け入れることができないのです。いろいろ考えても堂々巡りでどうしようもありません。前の彼女と別れた時と同様に私はうつ状態になりました。

そもそも彼女と別れてうつ状態になるというのはうつ病なのでしょうか?病気なのか気質なのか、情けない男なのか?今は原因がなく落ち込みますが、その当時は特定の出来事によってうつ状態になっていたような気がします。

それから何度か彼女に連絡を取ろうとしたのですがどうしてもとれません。私はどうしたらいいのか分からなくなりました。死ぬことを考えました。

でも全然行動に移せませんでした。現状がつらいから死のうとしていました。本当にこの世から消えてしまいたいわけではありませんでした。彼女さえ戻ってくるならば、喜んで生きていたかったのです。

カウンセラー

どうしようもない私はカウンセラーに相談しました。カウンセラーは、とにかく死なないでと私を宥めました。それと同時に「また5歳に戻ったようだね。でもまた前のように乗り越えられる日が来ますよ」と言いました。その言葉は私の心にはなんら響きませんでした。

冷静に考えれば、出会いがあれば別れもあるという、人間にとって当たり前のことが起こっただけでした。それでもその時の私にとっては一大事でした。彼女が私の全てだったのです。彼女を失ったことにより全て意味がなくなったように思ったのです。

何をしていても彼女のことを考えてしまいますし、彼女がいない現実をどうしても受け入れることができませんでした。生きていることが悲しくて苦しくて仕方なかったのです。

失踪

何もかもが無意味に思えた私は失踪することにしました。近県の友達に電話してしばらくおいてくれと頼みました。そして携帯電話を解約して誰とも連絡が取れないようにしました。とにかく現実から逃げたかったのです。

学校の授業は欠席、部活も出ない、バイトは無断欠勤しました。全てを放り出しました。しばらく友達の家にいましたが何も変わりません。生きる気力もないけれど死ぬ勇気もありませんでした。

再びカウンセラー

結局どうしようもなくなってカウンセラーのところへ向かいました。カウンセラーは失踪のことを知っても、今生きているのがつらいと言っても動じませんでした。ただ私の話を聞いていました。

そして「お母さんの代わりを探してもだめだ」と言いました。よく分からないなあと思っていると、「あなたはお母さんのスペアを探している。何でも受け入れてくれる相手を探している。でも全てを受け入れられる人はいない。それと人間に絶対はないし、みんな死んでしまいます。困ったねえ」と言いました。

私はその言葉にどこか納得する部分がありましたが、その時はそんな言葉では気持ちが落ち着きません。当時私には自分を見つめる冷静な視点などは望みようもなかったのです。

今になって思うと、カウンセラーの言ったことは私の心理を巧みに言い当てていたのだと思います。

私の心理メカニズム

私は母親も人間であり、なんでも受け入れてくれる絶対の存在ではないという現実を見ようとしていなかったのかもしれません。

以下私の心情を綴ってみます。

 母親をいつか失うのではないかと不安が起こる。
→不安なままではいられない。
→そこでスペアとなる彼女を見つけて安心しようとする。
→彼女が出来れば一旦は落ち着く。
→しかし今度はスペアを失うという不安が起こってくる。
→その不安に対して、浮気という行為で彼女の気持ちを確認する。
→確認すると一旦は落ち着くが、さらに大きな不安となって迫ってくる。
→そして安心するために心中をして気持ちを確かめる。

だんだんと不安が増強され、落ち着くための行為がエスカレートしていくのが分かります。これは何かと似ていると思いませんか。
そうです。強迫症の「強迫行為をすればするほど不安が増強される」という図式と同じなのです。

強迫症は以前述べたように

 不安が起きてくる
→不安をどうにかしようと思って儀式をする。
→儀式をするとなおさら不安が襲ってくる。
→それに対してより一層儀式を強化する。
→さらに不安が大きくなる。

この図式を繰り返すのが強迫症です。(詳しくは闘病記【4】を参照してください。)


私は強迫症という病気が心理メカニズムにまで浸透してしまっていたのです。強迫症とは内面まで規定する恐ろしい病気であるということと、強迫的な心理は誰にでも起こりうると言うことができるのではないでしょうか。

三度カウンセラー

さてそれから私は、部活は退部、バイトは首になりました。ここからまた一人でやっていかなければならなくなりました。

私の一連の顛末を知っているのはカウンセラーだけでした。もう頼れるのはカウンセラーしかいませんでした。この時にカウンセラーを母親のスペアにしているとは思いもよりませんでした。

私の人間として当たり前の悲しみ、苦しみをどうにもできないカウンセラーは私にバーに行くことをすすめました。

人生経験豊かな大人と話すことでちょっと気持ちがほぐれるのではないか。広い視野を持つことをすすめるためにアドバイスしたのだと思います。
私は悲しみを抱えたまま夜の街に繰り出すことにしました。

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