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縁も所縁もない土地に移住して1500万円の資金準備を半年でし1700万の借入から福祉新事業を始めてみた。開業から6か月。2年前から準備してきた話(前編)

はじめに

こんにちは。(株)自佑堂の川島庸です。
僕は2022年6月、伊豆で児童放課後等デイサービスマゴコロ
開業しました。

(料亭の感じをそのまま残しました)

様々な人達とのご縁があり
重度知的障がいのある息子の育児環境を捜しているうちに
埼玉から静岡県伊豆の国市へ移住しました。

ひょんなことから伊豆長岡温泉の
一軒家の老舗割烹料亭と出逢えまして
クラファンなどの応援も頂き

これ以上にないスタッフたちに恵まれ
児童放課後等デイサービスマゴコロは
スタートしていきました。


クラファン企画で開催したイベントコンサート
全国からたくさんの方々が集まって下さいました!


地域に公開イベントもして子供達だけでなく大人にも愉しいイベントをし
マゴコロの室内の飾りやアートを作っていきました。


料理とアートで心をつくる、をテーマに
まるで親戚のおうちみたいな居場所作りをしています。
みんな体験したい活動だけでなくチャンレンジもたくさん産まれています。


お庭もみんなでつくったり
少しづつ出来ることから手作りで施設を作っていっています。

僕自身にとっても子供にとっても
最高の育児環境である
自然と温泉街という人の交流がしやすいエリアで
児童福祉施設を展開していくことを選べました。

この特殊な環境から新規開業した道のりと
半年間で僕が気付いたこと

そして障がい者児童の自立支援を通じ
僕たちがこれからどんなことにチャレンジしていけるのか
少しお話していきたいと思います。



実は息子の喜ぶ姿で開業拠点を決定


まず僕が息子の障害のことや、僕が支援していきたい子供達のこれまでの育児環境を考えると、どうしても、学習塾でよくあるマンションの一角の施設みたいな感じではなくて、お家に帰ってきた感じの一軒家にこだわりたかった感じでした。

元々伊豆の国市に移住してきたときも、息子が新しい場所に慣れにくい子なので、自分から車をおりて、しかも嫌いなはずの畑に自分の足でいけたことに驚いたことがありました。そこから数日で実は移住をきめました。

なのでこの物件をさがすときも、息子のセンサーを活用させてもらい、選んだ感じでした。そしてきっとこの子が選んだ場所なら、どんな子でも大人でもみんな喜ぶはずだと確信していました。


何も遠慮なく玄関から走って部屋に入っていき、くまなくずっと探検していました。
まるでオモチャを得たかのような(笑)大喜びな息子でした。跳んではねての大喜びでした。


不動産会社からではなく知人のつてで知り合えた物件でしたので、
本当にたくさんの方が関わってくれて辿りついた建物だったのですが

福祉施設として利用するために、契約までに色々とした確認や審査があり
当初OPEN予定をしていた月よりも数か月ずれ込んで、見事に閑散期(6月)からの開所となってしまったのが、実は経営的にはかなりのピンチ要因になっていきましたが、それも導かれての結果のような気がします。

というのも本当に運がよかったことがあって
人とのご縁が本当によくて(実はそれは今も続いています)

開業に必要な管理者や資格所有者と募集してから
なんと1週間で必要なメンバーが全員、集まったことでした。


このメンバーの結束と自分たちが一体ここで何をしていけるのか、
本当にきっと福祉の垣根を越えて新しいことにチャレンジしていくために
僕にとっても、みんなにとっても
ある意味、丁度いい準備期間になった感じだからです。


マゴコロのスタッフたち。福祉の専門家、元体育教員、保育士、作業療法士、カウンセラー等
この他にもマクロビ料理の先生や理学療法士の先生、アートや音楽の先生なども
ご協力頂き、マゴコロのプログラムがどんどん充実しています。


開業は、外部専門家の皆さんにもサポートもお願いしていきました。

開業に必要なメンバーは長いと半年集まらないケースもあるよとか、特に僕のところは田舎なのできっと集まりにくいだろうから準備や心づもりをして進めましょう、という感じのアドバイスがありました。

ですが完全に良い意味でその予測を裏切ってくれた感じでのスタートだったので、オープン前から様々な実験がしていけたり戦略が作れたのが本当にラッキーでした。


オープン前後、近所の子達を巻き込んだシャボン玉イベントを毎日やりました。
おかげで今でも子供達には応援してもらえる感じですし、今後の活動の幅を広げるイメージも
産まれていきました。


スタッフのシャボン玉スキルも上がりました(笑)
大人マインドのネジがどんどん外れていきました(笑)


スタッフに理学療法士の先生のストレッチ体験。みんなもセラピーがしたくなっていき、
心もからだもゆるまって、自然なコミュニケーションや遊びの環境作りが始まっていきました。


開業の時期にあわせてクラファンも実施できる準備が出来ました。
おかげで全国で100人以上の方から応援頂きネクストゴールも達成できました。



クラファンの中には、看板をぬれる権利リターンをご支援下さった方も!(笑)



新規事業をはじめたエリアはこう決めた


僕が施設をOPENしたエリアは、4万5千人くらいの人口のエリアでおそらく、今流行のフランチャイズでの福祉施設展開する企業は、出店エリアに選ばないだろうエリアです(これは実は経験者から逆相談があったことがあって、出店は辞めた方がいいくらいに言われたことがあるくらいです)。

実際におそらくこれからフランチャイズなどでやろうと検討する人や、ドミナントみたいに出店検討される方がいたら、本当に難しいエリアなので絶対にやめた方が良いと僕はお話すると思います。


のどかな田園と畑に富士山と箱根山脈がひろがる美しい地域です。
海も山も川も空、果物と温泉が豊かで高い建物もなく、温暖な、とても静かな地域です。

僕は大人の障がい者施設で1年施設長していた経験と、5年ほどやはり障がい者施設を中心にアートセラピーをしてきた経験、そして自分の子の育児もあって、どうしたら敏感でコミュニケーションに難しさを持つ子たちの自立を応援できるか考えてきました。

本来、開業するなら都市部で経営的に安定するところからスタートが良いはずなのですが、それを選ばなかったのは、元気な自分の子供の発育するところを、自然や暮らしの環境面からサポートしたいという思いからでした。


確かに人口が元々少ないことと、田舎ならではの障害に対する感覚の認知度の薄さや、自分の家族でなんとかなる的な感じ、発育や自立支援の考え方のまばらな感じなど(これはどこもあると思います)あるけど、それを補いすぎるほど、僕にとっては、伊豆の国市の立地や環境が理想的過ぎました。


伊豆の国市に移住を決める前の年に、こんなエリアが僕の考える障がい者を中心にしたセラピー環境・ビジネスをつくるのに最適と考えていたことがありました。
そのため、この土地環境を見つけた時、神のおはからい、くらいに感じました(笑)

でもきっとビジネスに優れた方、マーケティングの観点から行くと本当に難しいエリアで、それは今でも実感しています(なので福祉でフランチャイズを検討している方などは本当に無理だと思うので絶対にお勧めしないです)

ちなみに僕は移住してきていきなり福祉を始めたわけではなく
まずリトリート(観光ガイドのようなもの)からスタートしました。

とにかく伊豆が愉しすぎて、友人知人をどんどん呼んで、自然環境で自分自身が変化していく体験や体感をたくさん感じてもらうイベントをしていきました。



友人と一緒に自然の中ではじめての音楽リトリートもしました。



伊豆の自然に地球のダイナミックさに驚き
まるで子供の気持ちでいっぱいになりました。
そしてそれを同じようにリトリートでたくさんの人たちに提供しました。

伊豆の自然とたくさん遊び感じていき、やっぱりここに来てよかった!と家族で本当に実感していきました。友人たちも増えていき、本当に故郷がもうひとつ出来たような、でも本当はここが一番の故郷だったんじゃないか、と思うような感覚になっていきました。


移住前にあった構想のエリアをはるかにしのぐポテンシャルがあることを知り、宝箱であり宝石にしか感じられない感じでした。伊豆を新規事業のエリアにしようと考えた時、多くの人は個人商店的な活動を思い浮かべるし、やりたいことがそうなるだろう、と感じたので、そのエネルギーを上手く使えるんじゃないか、と僕は考えました。

それこそが福祉、障がい者を中心にしたセラピーな村をつくる環境作り、にぴったりだと思い、僕の構想は現実へと一歩踏み出し始めた感じになっていきました。



構想

構想はもう5年も前になりますが、インタビュー形式で僕の構想を言葉にしてくれるプロデューサーがいて、そのかたのおかげで構想化していきました。

その後、コロナが始まる1年前くらいだったと思います。こういう紙芝居をつくって周りの人たちに話し始めていました。実際にはどうやっていいかもわからないし、何から始めたらいいのか、わからない感じからの闇雲な感じでした。

今でも、もちろん、僕の活動方針です。


移住前は、障がい者の就労や働くことに関わっていたので、
今日、しごとがあることがどれだけそこにいる人たちに幸せな環境をつくれるか、
生み出せるか、をずっと感じてました。
同時にその人たちにしか出来ないしごとがあるはずで、
それは障がい者を中心にする逆転発想により
どれだけ多くの雇用環境が作れるか、と夢のように思っています。


その時の資料。移住後も色んな人に話していました。まさか同じような場所があるとは夢にも思いませんでしたので、即、移住決定でした。


こうした子供のような構想がいきなり現れたわけではなくて、しかも闇雲な感じから、それを移住と言いうかたちで現実に施設まで開業するという意思決定をし、人生をかけるような借入、資金の準備までしていく、この僕をこんな風に突き動かしたある重要な出来事がありました。

はっきり言ってそれがなければ、どんなに構想や想いがあろうが僕は僕を今でも突き動かしていないと思います。

このことが僕に逆転の発想と強いエネルギーを与えてくれました。

本当にそれはたったのひとことで
その瞬間に僕は心臓をつらぬかれたような感じでした。


とっても大切な話でして僕の人生を変えた話です。


ちょっとそのエネルギーの話をしたいと思います。



僕を現実に突き動かした利用者さんの言葉


移住前僕は本業のスピリチュアルカウンセラーをするかたわら、友人の経営する埼玉の福祉施設で施設長をさせて頂いていました。そこで新規の利用者さんや既存の利用者さんたち向けに、アートや食事提供のイベントをしていき、本当に愉しい経験をしていけました。

現在のマゴコロのコンセプト『アートと料理で心をつくる』はこの時の経験で産まれていきました。不思議なことに出逢った一軒家も元料亭で厨房があったのもとても不思議なご縁でした。


マゴコロの食事風景。まるで親戚のおうちです。

埼玉で施設長時代には、僕はアートを教えたり、実際にアート文字を描く方法や看板など昔手書きで作成されていたチラシなどで使われていたレタリングという技法を教えたりしていました。僕のカウンセラーとして提供していたアートを使ったカレンダーがあるのですが、熟練者にはそのカレンダー文字の作成も手伝ってもらっていました。もちろん賃金もお支払していて今もお手伝いを頂いています。


こんな感じのカレンダーです。手描きでかわいい感じでメッセージ付。


その頃は施設長としてもとても楽しく、精神系・知的障がい系の方が多い事業所だったのですが、やりがいも出てきて、副業としてお手伝いさせて頂いていたものの、退職するという発想はまるでありませんでした。本当に仕事を愉しんでいる感じも利用者さんたちから伝わって来ていたし、福祉っていいな、ってその頃から思い始めていましたし、特にスタッフさんたちのスキルや情熱が本当に好きで、とにかく愉しかった、という思い出しかないです。

僕は利用者さんたちに、プログラムとしてアートセラピーもしていて、自分への立ち戻りかたや、これで大丈夫という声を聴いてきたり、1年もすると中には真っ黒な色しか使えなかった方が淡い色を使い始め、自分の言葉も素直にゆっくりと話し始める様子などをみていたので、本当に喜びしかなかったです。

ある日利用者さんの一人でアートも楽しんでくれていて、レタリングも熟練の方がいたのですが、僕に感謝の言葉をゆっくりと伝えてくれながら、こう言ってくれたんです。



どういう意味なの?と聞くと

障がい者でなければ、川島さんに会えなかった
障がい者でなければ、こんなに幸せで愉しい気持ちにならなかった

絵が教えてもらえて、お仕事ができて本当に幸せです。

っておっしゃってくれました。

涙をこらえられなくて、胸があつくなっていました。
席をはずさせてもらったあと、ずっと自然と涙がこぼれてしまいました。

僕はこの言葉を聞いて
この利用者さんはきっともっと僕と居たかったと思うけど
でも僕は強く突き動かされたんです。

本当に恩人であり先生のようでした。


もっとこれをしよう

って思いました。

僕の感動です。
僕のように、心臓を貫かれるような体験をする人たちを
この世界に、障がいを持つ人たちからギフトされることを
たくさんつくろう

って思えたんです。
僕はそれが以外、自分のすべきことが感じられなかったんです。




心臓をつらぬかれたあとに資金を作り始めた


僕は自分を突き動かす使命と言うか何かわからないけど
それを得てからとにかく活動を新たにしたくなりました。

それは今いる福祉施設では狭すぎてもっと大きく広める活動を
しないといけないと考えていましたので、その施設は感謝の中
退職させて頂きました。


施設長時代の当時の私。あの1年の経験が、今に役立っています。




退職前後、しばらく方法のようなものばかり考えていました。

だからまず施設をつくろう
活動拠点をつくって人流がうまれる場所
障がい者を中心に人が癒され発育する
コミュニティをつくろうと考えていました。

それを大人の施設をやることや
別の方法はないだろうかとまず考えていたのですが

少なくとも資金がないわけで
とにかく資金をつくろうと考えました。
手持ちの貯金はわずか100万円程度です。

施設をやろうものなら、
黒字転換するまでにはざっと
4000万円近くの資金が必要になります。


移住も息子のアンテナセンサーもあり、すぐに決められて
前に書きましたように、リトリートやリアルな活動を継続していきました。
貯金も少しづつですが増えては減っていきながら、生きていく感じは
イメージ出来ていましたが、資金調達には程遠い感じでした。

資金調達への踏ん切りがついたのは、リトリートの営業をある程度
やりきったあと、旅行業やろうかとか検討した結果、やりたいことの全て
何をやるにも初期費用のお金が大きくかかるものしかない、
選べないと断念した感じからでした。その頃にはもうあちこちに、
こうした施設をやりたい、活動をしたいということを話をしていて、自分にも思いこませていたような感じがあったのだと思います。


そんな感じでしたから、友人に物件を紹介してもらえるようになり
ひょんなことから、これはもうやるしかない、という物件に出逢った感じから資金調達に入った、という感じでした。

なので全然計画性がないという感じに見えますが、実はもう5年も前から施設開設と展開についての事業計画の数字や根拠はたくさん調べ抜いてきていて、あと足りないものは、事業開始する場所とタイミングだけ、という感じでした。
そのため、コンサルやサポートしてくれる人はとても頼みやすい感じで、タスクや流れ、スケジュールは基本的に既に出来上がっていた感じでした。


夢物語のままの内容を、全部数字に落とし込めていた施設開業をまず選んだ感じです。
しかも協力してくれる環境が自分の息子がいるので
自分が資金調達や営業活動に動きやすい環境などすぐに出来る感じのことを選びました。



資金集めは、5年間の個人事業の経験を総決算したセルフプロデュースから始めた。


資金調達の戦略は2段階でした。
まず長期の個人講座をつくる。
これは実はやったことがなくて初めてやりました。

導線をつくって集客してとにかく大変だったけど
とにかくたくさんの方たちから応援が頂けて
おかげさまで10か月くらいで1500万円くらい集められました。

初の個人オンライン講座を始めた。なんか今見ると恥かしい。

2段階目にその実績を元に銀行にいって借入をすることでした。
前にも公庫から大口の借入を10年前くらいにしていたので、やり方は知っていたし出来ると思っていました。

ですが生活費もあるのでまず資金は目減りしていくこと。
納品もあるので他のことをする時間がないこと。

なので時間との勝負みたいな感じでした。


でも、、ここから本当に大きな誤算が起きました。
借入の話が一向に進まなかったのです。

1つは、拠点がまだ契約できていなかった事。
そのため、法人はあるものの、エリアの法人ではなく
なにするかわからない新規の法人扱いであったこと。
しかも契約がいつなのかはっきりしない感じ。

実際には契約までに3か月以上かかりました。

そして更に
前年までの3年間での売上数字だけで判断されることになって
決算前のこの数か月の売上を判断してくれなかったのです。


そうこうしているうちに銀行の担当も変わったりして
手持ちの集めたお金はどんどん生活費として減っていくので
講座をもっと売ることを決意しコンサルに学び始めるが上手くいかない。
もう焦りまくりでした。


混乱していたのか未経験の畑作業を始めていました。草刈専門ですぐ挫折しました。



その後、税理士さんに話して損益計算書を資金調達用に作ってもらい、資料をとことん作り直して、公庫に再チャレンジし、1700万円の借入ができました。

ただしもうその時には手持ち資金は、300万円程度になっていました。
というのも、開業が6月でしたが、福祉事業所としての申請をするために、家賃が発生しつつ内装準備や、雇用をしなればならず、ほとんどお金がない状態からのスタートで、借り入れで息を吹き返した、みたいな感じでスタートしました。

全部想像していたし、想定したのですが、ほんの少しの借入時期のスタート見込みの遅れにより、かなり資金も消耗したし、気力も(笑)消耗し、また、総額借入額も見込以上に到達できず、いくつかある想定の苦しい感じからのスタートをした感じになりました。


ここで大事なのは、悪い想定をいくつもしていたことです。おかげで対策が出来た感じもありますが、それでも更に対策しても良い感じに進まないことはおおいわけです。その時に慌てない、焦らないことが本当に重要だと実感しています。それさえ出来れば必ず上手くいく、うまく活かせるまで道を作り切れる、と信じられるからです。

黒字になる時期も想定ではあるのですが、もし上手くいかなかったら、このままでははっきり言っていくら資金を借りても上手くいかない感じだと感じています。

なので、これはもしかしたら最初の構想を一気に叶えていく道が実は初めから用意されていて、もうそこへ向かうために苦しい状態なのではないかとすら思います。

経営的には、おそらく来年の4月に新入学の子達が入ってきて、来年の夏を過ぎ、冬には黒字化するでしょう。でもそこにいくら必要なのかざっと計算しても、あと2000万円の赤字吸収が必要になるんです。

もう事業としてやばいです。なのでフランチャイズとかでこのエリアに来るのは本当にあり得ないし、新規出店は相当な覚悟が必要です。

では僕はどうするかというと、僕たちマゴコロは、放課後等デイサービス事業単体で収益化するのは短期では不可能と考え、別事業を関連して行おうと思っています。

これが本当に拡大していけたらものすごく愉しいし、最初から考えていた構想をいちはやく叶えていく感じになっていきます。


この記事のまとめ。この1年間で気付いたこと


長い記事になりましたが、最後まで読んで下さり誠にありがとうございました。新事業である『児童放課後等デイサービスマゴコロ』を開業するまでの話を中心にお話をさせて頂きました。
今後移住して地域に新しい事業や活動をされたいと思っている方や、これまでの人生を見直して新たな一歩を考え直したいと思っている人に少しでも何かのヒントになれたらと思います。

そして僕と同じように放課後等デイサービスを自分の子供たちのために開業したいと思っている人たちに、同じ親としてエールを送りたいと思いますし、もし困っていることや助け合えることがあれば、と思っています。

福祉の現状は
この半年で感じるとますます厳しい感じになっていると思います。
コロナ対策や雇用のこと、継続的な運営の問題など、新たに取り組んだり
チャレンジしていくことが必要になるって思います。


子供たちの成長を応援してきたいし、子供たちの成長に
関われる大人たちの感動をもっともっと創りたいと思っています。



これから僕とマゴコロが何をしていくのか
また後編も含めて別記事を書かさせて頂きますが

この半年間
マゴコロを温泉街という立地で開業できたことが
本当に今後の財産になっていくと思っています。

例えば、地域にとってハードや見どころ、特徴の少ないエリアというのは
たくさんある中で、伊豆の国市は、歴史と温泉と森や川の自然環境に魅力が充分あるエリアです。

もう一つ言うと
温暖でかつ都市部に近いので住環境としてもすぐれている点で、移住拠点や
都市活動のサテライトとしても最適だと思っています。

また医療や学校施設も充実していることもとっても魅力的です。
僕は前職が物流を20年以上やっていたことがあって、交通網や人流拠点を
どうしても土地で見る癖があります。

伊豆の国市は、伊豆の東西南北の中間スクランブル地点、交通ジャンクションであり流通が本来発達しやすい地形です。ただ購買マーケットや工場などがそこまでないので流通が発生しにくいのも事実です。

でも伊豆には癒しや憩いをする環境が山ほどある。体験をしたい体験ができるコンテンツが山ほどある。僕はこの体験コンテンツを得る、人こそが流通を作っていくものではないかと前職でのお客様たちから学んできていることもあって、ここに大きなビジネスチャンスを感じています。

僕の本業はカウンセラーです。そして今年念願の福祉事業を本業、と言える感じでスタートを切ることが出来ました。

福祉に関わる人達は、人の遊びから発育や発達に関わるプロたちだと僕は思っているし、エネルギーがこんなに高い人達が宝のようにいることを強く感じています。

ここで前編を終えます。
次回後編では、障がい者福祉に関わる人達、特にマゴコロに関わる、関われる、関わりたい人達のエネルギーってどんな感じなのかという話を中心に、
僕とマゴコロのスタッフたちががそれを事業としてどんな風に爆発出来るようにしているのか、という話をしていきます。

ここから、縁も所縁もない土地で、そこで集まる人たちと共にどうやって面白い事業になっていけるのか、していくのか、また改めて記事にさせて頂きたいと思います!

応援してくださいね!

ではまた!



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