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辻褄合わせは後付けで

こんばんは。

二週間ほどnoteを放置気味にしていたのは、人に会ったり好きなものを見たりしてたからで、noteでもそろそろ書くかといった具合で今に至ってる。

最近、何事に対しても「モノ悲しいね〜」っていう口癖をなんとかしたい。





辻褄を合わながら生きるのって、シナリオ通りで最後には何も残らない。

例えば仕事は、合理的かつ論理的に考えながら日々進めていくものだけど、プライベートも同じならば、結末は予定調和できっとまるで味がしない。

ここ数週間、アイドルのライブに行ったりや菜の花を撮りに行ったり、特に意味もなく同級生と生産性0の飲み会をしたりしていた。

つまり、何も深く考えずにただ好きな事をしていた。あっ、それはいつもの事か。

ただ日々を振り返った時に自らの行動に対して、感情や当時の状況を無理やり結びつけて、必要も無いのに何故か自分自身を納得させながら生きていたと気付いた。

もちろん「将来の為」「〜〜を実現させる為」「お金の為」、それぞれ何か理由だったり目的があってこその行動もある。

逆も然りで、明確な理由や目的が無い日々だって必要かもしれない。
だけど結局ボクはそんな日々に対して、本来は存在しないのに、独りよがりな理由を探しながら生きていた。

なかなか見つからず、苦しくなったりもした。

取ってつけたような理由や目的は、虚無で残酷でしかなかった。

生きづらさを強く感じて、うまく呼吸が出来なかった。


ボクの脳には、ある言葉が浮かんだ。

"合わせすぎた辻褄と憚(はばか)られる生活"





突然だけど、ボクはファッションが好きだ。

ファッションは、一番身近で顕著な自己表現だと、どっかのデザイナーが言っていた。人間は自己表現を怠ったら死ぬとすら思ってる。


いつも服を買う時、直感で"良い"と思ったものしか買わない。

個人的に服を買う行為に理由や目的は不要で、自分の奥底に存在する感性の琴線に触れたものだけ買う、それだけを大事にしてる。

その"流れ"は、ごく自然でむしろ秩序すら感じている。


話を戻すと、
"理由や目的を決めて、自分のひとつひとつの言葉や行動が発生する"なんてとてもバカバカしいって事を声を大にして言いたい。

・好きだから
・良いと思ったから
・居心地が良いから

後付けする辻褄なんて、この3つのどれかで良い。
(万が一当てはまらなかったら、「なんとなく」っていう最強ワードを使おう)


悲しくないのに、バラードを聴く事もある。

目的地はないのに、車を走らせる事もある。

恋人でもないのに、誰かに取られたくないって思う人がいる。


辻褄を合わせるべきだなんてそもそもそんな決まりはないし、それを決めるのは自分しかいない。

だからお互いの匙加減で、"適用な辻褄"を適当に合わせていこう。





直感やフィーリングでした事が案外、後の自分に大きな意味をもたらす事は山ほど溢れている。

巷の自己啓発本に倣って理由や目的をこねくり回すと、虚無感を常に抱えながら、雁字搦め(がんじがらめ)になって何も出来なくなる。

辻褄合わせは後付けで。

それでは良い夜を。

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