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【子供が死生観を学ぶ時】さようならが言える人は美しい

父が膵臓がんで亡くなってから早いもので一年が経ちました。
亡くなる前日、ビデオコールで病室にいた兄がまだ息のある父の顔を
画面に映してくれて、ほら〇〇だよ。と兄が父に私の名前を言うと
「うーん」と一言だけ細い返事を返してくれました。

これが私と父が交わした最後の会話になってしまったのですが、
亡くなる1週間前にも自分の死を予知していたかのように
私達家族にお別れのあいさつを突然してきたんです。

父は自分の病や死を心に閉じ込める人ではなかったので
検査結果や投薬の数値までを事細かく
「膵癌治療」と手書きで書かれたクリアファイルに
几帳面に保管していました。

治療をする本人よりも、
家族が参ってしまうくらい病の事を真正面から
受け入れていた父を思うと、
「本当はもっと生きていたいよね」と
最後まで本人には言えずにいたこのセリフがいまだに
頭の中に浮かんできます。

どんな言葉をかけたら本人の心がほっとするのか
どんな返答をすれば本人が納得してくれるか。
そんな事をいつも考えながら会話を組み立てていたけれど、
死を目前にした父と私達との間には、
圧倒的な世界観の違いが存在していて
ただただ「今そこに在るお互い」を確かめ合う事しか出来ませんでした。

父と私の親子関係は娘達の父親へと投影され継がれるもの

父が癌だと診断されて余命を知った時。
それと父が旅立つ前日と亡くなった朝。
子供達の目の前で人目憚らず子供のように泣きました。

父が病に罹り、徐々に元気だった姿が
ゆっくりと歩けなくなるまで
子供達はその姿を自分の目で見てきました。
あんなにスタスタ歩いて通っていたセブンイレブンが
最近すごく遠いんだよと言い出した頃から、
私は父に迫りよる死を必死に振り払おうとしていたのかもしれません。

老いる事、
自信がなくなる事、
頑固になる事、
そして最後は姿が消える事。

各家族で暮らす今時の時代には珍しく
とても貴重な命の体験を娘達にはさせてあげられたのかなと思っています。

死生観をリアルな時系列できちんと体験できた事は
娘達のこれからの人生に何らかのカタチで役立つだろうし、
私が父に抱いたような愛情や感情を
今度は自分達のパパにも投影するようになるはずです。

親子は共鳴しあうもの


「ありがとう」よりも「さようなら」を言える女性は強い

父の死をきっかけに
私から娘達にこんな話をしたんです。

「ありがとうも大事だけど、
もっと大切な事は
さようならをきちんと相手に言える人だよ」

娘達がこれからいくつもの出会いと別れを経験する中で
自分達が住んだ国、そこでお世話になった人、
雨風しのげる安全なアパートに住めたこと、学校のお友達、
思い出の詰まったお気に入りの場所など。

自分が触れてきた物や人にさようならと言える人は、
思い出の目印がたくさんついている人なんだよと。
さようならを言えない人は
思い出の目印がないから全部の出来事がごちゃ混ぜになって
流れていっちゃうの。

この感覚を理解してくれたかどうかはさておき、
身近な人の死を悲しみだけで終わらせずに
死生観として子供達の感情に言葉として届けられた事が
私にとってはすでに尊い行いなのです。

もうすぐ命がなくなる人から
「さようなら」と言われるのは
人生の中でも最も辛い体験とも言えます。
けれども「さようなら」を快く受け入れてあげる事も
実は愛情表現の一つなんですよ。
失う恐れとそれを受け入れ乗り越えていく強さ、
実はどちらもバランスよく心の中で共存し合っているんです。

「さようなら」を避けて曖昧に生きるほど、
人の精神面は磨かれません。
さようならを言えるのも、受け入れるのも
相手を許し、
最終的には自分をも解放する術になります。

命ある物は全て、
最後の1秒まで輝きを放ち続けます。
そして物質的な輝きや能動的なリアクションがなくなっても
その人を思う家族や、
大切な人の心の灯火になってそこに在り続けます。

あーそうか、こんな記事を書いたんだよねなんて話も
もういないからできないのか。
ついつい嬉しい報告は一番に父に話していたので
それだけは残念でなりません。

話したいのに話せない。
伝えたいのに伝えられない。

もしあなたが何かを理由に
大切な人に話しが出来ていないのならば
思い切って明日、いや明後日でもいい。
気持ちを伝え下さい。

もしあなたが大切な人に
何かをやり残しているのならば
勇気を出して行動してみて下さい。
なぜなら行動と愛はイコールだからです。

そして最後に、
父が臨終の間際50年連れ添った母に「ありがとう」と
声にならない声で必死に言ったそうです。
さようならの言葉は後から遺品整理をした時に出てきた
父からの手紙にきちんと添えてありました。
私にはさようならではなくて
親子でいられてありがとう、頑張れ!でした。

あー会いたいな。


今回の記事がどなたかのお役に立てば幸いです。

グレイス

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