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サクッと読める物語やエッセイを書いています。 読んでいただけたら嬉しいです。

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最近の記事

冷蔵庫のお墓

小さい頃から人に物をもらうのが苦手だった。 人に何かを頼むのも苦手だった。 よくしてもらうことへの申し訳なさや、お返しをしなくちゃというプレッシャーが、嬉しさを上回ってしまっていた。 そんな私のお店はほぼ頂いたもので成り立っている。 皿、電子レンジ、冷蔵庫、棚、タンス、ソファ、こたつ、テーブル、座布団、じゅうたん、ピアノ、ゲーム、ラジオ、飾り物、枯れかけたらすり替えられる鉢植えの花。目につくもののほとんどが、頂いたものだ。 自分のお店をはじめてから、たくさんの年配の方と仲

    • なぞなぞと父と私

      なぞなぞが好きだ。 だいたいのなぞなぞは即座に答えられる気がする。 先日ラジオを聞いていたときのこと。 その日は、まったりとした仕事現場で、地元のラジオ局の放送が流れていた。 その放送のなかで、なぞなぞが始まった。 「お金もちが好きな歌ってなーんだ?」 私は小さくガッツポーズをしながら心の中で即答した。 「校歌!」(硬貨!) 横で一緒にラジオを聞いていたミチコさんは、考え込んでいる様子だ。言葉の魔術師のような存在であるラジオのパーソナリティの方も、えー?なんだろー?

      • 欲望増してしまう僕よ。

        新型コロナウイルスの流行により、私の営む静かな海沿いの飲食店も営業自粛で休んだり、開店していても暇を持て余す日々が続いていた3年前の春。 悩みが増えていくなか、もう何が何だかどうしたいのか、何もやることがなく、いや、やらねばならぬことは山ほどあったのだが、過去や未来ばかりをグルグルと考えてしまう。 たくさんの自己啓発本をめくりながら、現実逃避に励むという、アドラー泣かせな生活を送っていた。 なんもオモんな。 田舎、トキメキとか無い。 しかし、その暇な時間は私の人生を変

        • 赤信号と猫の店

          地元の市街地の車線も信号機も多い国道沿い。少し長めの赤信号のおかげでちょっとした楽しみをみつけたのは2年ほど前。 今ではそこの赤信号でひっかかることを期待しながら仕事帰りの車を走らせている。 そのお店は白い二階建てのつくりで、色あせた看板に店名、日用雑貨、文具などと大きくかいてあるのだが、外から見る限り商品らしきものは奥の方に少しだけしかない。 お店が閉まっている日は、ひと昔前お昼のサイコロトーク番組に出ていたライオンちゃんと、その奥さんと子どもたちであろう四人家族のライオ

        冷蔵庫のお墓

          コメダ珈琲店

          38歳にして、先日人生で初めて1人で入ったカフェはカフェ界の大衆食堂、コメダ珈琲店だった。 外食に関して、大人数が苦手な上に一人も苦手だ。休みの日にふと外食をしたくなったときには、マクドナルドをドライブスルーで購入後、神社の静かな薄暗い駐車場で食べるのが好き。 けれどもこの日、私はひとつ成長したい気分だったのだ。 これが大人なのだなぁ。 そんな気持ちになりながら、一人席につく。 悩み抜いたすえ、ミートソーススパゲティとアイスオーレを注文して、あ、おこさまみたいだ、と少し恥ず

          コメダ珈琲店

          気になることがある暮らし

          わからない。 きみたちの声が、わからない。 朝晩がだいぶ涼しくなってきた。 夏の間サボっていた散歩を再開し、先週の夕方までは幾分控えめに鳴いていた蝉の声も、ここのところすっかり聞こえなくなり、夏が終わったのだなと感じた。 代わりに、リーンリーンといったような秋の虫たちが、この季節を待っていましたと言わんばかりに大合唱をしている。 虫たちに触発され、秋の虫の声の歌を知ってるとこだけ口ずさんでみる。 ちょんちょんちょんちょんすいーっちょん。 はてはて。 鈴虫くらいは私でも

          気になることがある暮らし

          古新聞と日記

          家では新聞をとっていないけれど、ごみ捨てや揚げ物をするとき用にと、古新聞をもらうことがある。 サッと手に取りやすいように、1枚ずつ古新聞をバラして畳んでいく作業をしながら、記事に目を通す。 心が痛くなるような災害や事故、衝撃的な事件、スポーツ選手の活躍、選挙戦、死刑執行、お祭りの派手な告知、新商品、おくやみ、うぶごえ。 それらはすっかり過去のものへとなっているようだった。 短い日記を書いている。 辛い今日も、楽しい今日も、時が過ぎれば過去の新聞記事と同じみたいだ。 いつ

          古新聞と日記

          光る海とゴカイの思い出

          先日、近くの海の波打ち際が青く光っている写真をSNSで見つけた。 赤潮の原因であるプランクトンは、夜になると美しく光るらしい。 そんな光る海の写真を見て、友人を誘い夜の海へ行ったが、青い光を見ることはできなかった。 それから、ふと、数年前の、満月の海での体験を思い出したのだった。 「真夜中のランデブー」 そう名付けられたイベントに、姉がどうしても行きたいというものだから、しかたなく付き合うことになった。 当時小学二年生の娘も「真夜中のランデブー」に参加した。 ゴカイの

          光る海とゴカイの思い出

          母親神話バカヤロー。

          子どもが好きだ。人の子もかわいい。 覚えたての言葉を話す子どもなんて、一番気が合うんじゃないかというくらいずっとおしゃべりしていたい。 なんとなくいつかは、「いいおかあさん」になれるんだろうなと思っていた。 娘が産まれるまでは。 当たり前にできると思っていた子どもは、結婚して2年経ってもできず、治療に入り1年。 待ち望んでいた子どもができた。 嬉しかったのだ。 とっても、嬉しかったのだ。 しかし。 布団の上にコロンと寝ている娘に目が慣れるまで、 ひゃぁっ!赤ちゃんがい

          母親神話バカヤロー。

          オロナミンCと黒棒とカツオのたたき

          幼い頃、母方の祖母の家へ遊びに行くと、必ずオロナミンCとヤクルトとおやつが出てきた。 おやつはみかんだったり、リンゴだったり、ぶどうだったり、あまり好きじゃない甘ったるい羊羹みたいなゼリーだったり、最中だったり。 ちなみに、なのか、やっぱり、なのか、糖尿家系で、酒飲みだった祖父は私が生まれる前に亡くなった。祖父の記憶はないけれど、私もお酒が好きだし血糖値は下がりやすい。同じ血が流れているのだなあと思う。 祖母は数年前に亡くなった。 たまに会う程度で、おばあちゃーん!大好きー

          オロナミンCと黒棒とカツオのたたき

          お散歩日記

          週に一度、市が運営している運動施設に娘を習い事へ送っていく。たいがいのスポーツはできそうな、広くて大きな運動施設だ。 その運動施設の近くに、昔から看板だけは見るけれども、行ったことのない池があり、歩くことがマイブームの私は、娘を送るその曜日、池の周りを歩くことにした。 池の周囲は2キロほど。きれいに整備された道路のすぐ横は森。私の住んでいる地域ではクマが出ることはまずないのだが、クマが出そうな気配を漂わせている。 頭上に伸びた木の枝が、森の奥から聞こえる足音のようなものが

          お散歩日記

          番号札を落としただけなのに

          先日、お世話になったところへのお礼にと、シャトレーゼでケーキを買った時のこと。 ショーケースの前でケーキを注文すると、お花の形をしたプラスチック製のかわいい番号札を渡され、レジをするときに引き換えてもらうシステムだったのだが、レジに並んでいるとき、その番号札がするりと手から落ちてしまった。 前かがみになって拾おうとしたのだが、なぜか拾えない。掴めない。なんだこれ。 番号札は厚さ3mmほどなのだが、その周囲はなだらかになっている。 ◢██████◣ ちょっと違うけ

          番号札を落としただけなのに

          ぎんちゃんとはるちゃん

          一昨年の5月半ば、小学四年生になった娘が最初に連れて来たのはぎんちゃんだった。 誰かが見つけた子猫を、友達数人と我が家の前で「どうしよう」「どうしよう」と相談しながら可愛がっていた。 やがて夕方になり、カラスの歌のチャイムが流れると、「わたし帰らなくちゃ!」「わたしも!」「じゃあね!」と、みんな帰って、残された子猫と娘は同じような表情で私を見つめる。 それから月日は流れ、四年生の修了式の日。 誰かが見つけた子猫を、友達数人と我が家の中で「どうしよう」「どうしよう」と相談

          ぎんちゃんとはるちゃん

          トレイルランニングへの憧れと、たけまりちゃんありがとう。

          ウイルスに怯えながらの自粛生活が訪れたころ、おうち時間を有意義に過ごすべく筋トレが流行りだした。 私もそれに便乗したひとりである。 最近はトレイルランニングにハマっている。 いやいや。 トレイルランニングの動画を見るのにハマっている。 登山経験といえば修学旅行で強制的に登らされてしんどかった思い出くらいのものであり、マラソンなんか苦手中の苦手であるのにもかかわらず、あろうことかトレイルランニングに憧れてしまった。 この身の程知らずめが! と、自分に突っ込みつつも、木漏れ

          トレイルランニングへの憧れと、たけまりちゃんありがとう。

          エッセイに共感、偉大なる酒の力。

          エッセイが好きでよく読んでいる。 自分が生きてきた中で、うまく言葉にできないことが文章になっていると嬉しくて、 「あーー、それ分かります!」 という心の叫びが度々訪れ、それだけで作家さんと仲良くなれた気がするのだ、勝手に。 昨日読んだエッセイでの大きな共感は、男の人を「くん」付けで呼ぶのに抵抗があるというものだった。分かる。すごく分かる。 その方は女子高だったから、という理由があった。 私はずっと共学だったけれど、何の因果かコミュニケーション回避型だということに大人になっ

          エッセイに共感、偉大なる酒の力。

          年の差26歳、小学生の友達がいる

          もうすぐ中学生。彼にも思春期がくるのだろうか。 先日12歳になった彼は、私が営業しているご飯屋さんの裏に住んでいて、4年生の妹もいる。 昼間、お母さんは仕事に出かけていて、お留守番の多い2人はいつも遊びに来ていたのだが、女の子は早々に自分の世界を作るのか、妹はあまり来なくなった。5年生の娘もそうだ。 だからたまに来ると、とても嬉しい。 そして小学生高学年女子は会話も対等で、どちらが大人か分からなくなる。女の子は冷静な目でしっかり大人を見ていて、だらしない私は少し背伸びをして

          年の差26歳、小学生の友達がいる