なぞなぞと父と私


なぞなぞが好きだ。
だいたいのなぞなぞは即座に答えられる気がする。

先日ラジオを聞いていたときのこと。
その日は、まったりとした仕事現場で、地元のラジオ局の放送が流れていた。
その放送のなかで、なぞなぞが始まった。


「お金もちが好きな歌ってなーんだ?」




私は小さくガッツポーズをしながら心の中で即答した。



「校歌!」(硬貨!)


横で一緒にラジオを聞いていたミチコさんは、考え込んでいる様子だ。言葉の魔術師のような存在であるラジオのパーソナリティの方も、えー?なんだろー?うわぁ〜、と、モヤモヤしている。
叫びたい。
「校歌!」
と、叫びたい。

答えまでの制限時間を迎え、正解が発表される。
「正解はー、、校歌!」

ミチコさんは、なるほどね〜!とスッキリした様子。
言葉の魔術師はくやしがっている。
私はミチコさんに合わせて、なるほどですね〜!みたいなことを言ったと思う。
声にできなかった私のくやしさと、正解にたどり着かなかった言葉の魔術師のくやさしさ。
どんよりとした空のなか、なんとも言えない思いを抱えながらその後の仕事をした。


勉強はたいしてできないのだが、クイズ番組や謎かけ問題なんかだと、わりと早くに正解にたどり着く。
けれど、誰かとそういった番組を見ているとき、私はなるべく声を殺す。
難しいものが分かって本当にうれしい時はたまに答える。それは、すごいと言われたい欲求に負けたときだ。

どうしてこうなんだろうかと考えたとき、一人の人物が浮かんだ。

父だ。

父はわりと勉強ができて、クイズ番組などを見ているときは即座に正解を言う人だった。
私は考える時間を与えられず、父とのテレビ鑑賞をまったく楽しめなかった。

高圧的で、自分しか笑っていないような傷つく冗談を言い、テレビに向かってよく文句を吐き、母との喧嘩や、気に入らないことがあるとリモコンを投げたりテーブルのものを荒らしたりする父。
父がひっくり返した灰皿へタバコを集めながら、火事にならないかドキドキした。いや、いっそこの家なんて燃えちまえばいいのにと思ったこともある。思春期こわいこわい。

そんな父がクイズ番組を見ている時は、ムキになった子どものように無邪気に答えを投げかけ、とはいえ決して喜んだ顔はせず、クールなドヤ顔で答え続ける。答えを間違った出演者がいると、小馬鹿にして笑う。
父のテンションが高ぶっても家族は誰も反応しない。父の話し相手はだいたいテレビだった。
本当は、すごいね、って言われたかったのだろうか。
お父さん、すごいね、って。
ものしりだね、って。
今振り返ると、ずいぶんさみしい話だ。

なんて、しんみりしようと思ったけれど、父は思い切り空気が読めない前向きな人間でもあるから、純粋にテレビを楽しんでいた気もする。




娘を産んでから、私は実家と疎遠になった。
たまに顔を出すけれど、しばらく話さなかった後遺症なのか接し方がわからない。反抗期の終え方がわからない。
その間、父は病気を繰り返し、すっかり弱々しくなった。
「お父さんはもうあんまり生きられないからね。よろしく。」
最初に聞いた時は、悲しくなって、責められているようで、優しくしようと思った。
それからけっこうな年月が経つ。
度々「もう長くはない。」ようなことを発言しつつ食欲旺盛な父に今ではイラッとさえする。
優しくしたらお互い満足して、すぐに死んでしまいそうだ、という都合のいいジンクスを作り、優しくできない自分を擁護する始末。

父は私の娘(孫)にはとても優しく、娘も娘なりに父の性格を理解し、ふたりの関係は良好である。
父はなんだかんだで私にも優しい。いやな思い出に埋もれてしまったいい思い出も、探せばある。
小さい頃、よく友達も一緒に遊びにプールや遊園地に連れて行ってくれた。
高校生の頃、どうしても学校に行きたくなく、友達と河川敷で時間を潰そうとしたときのこと。GPS機能付き携帯など持っていないのに、朝イチで河川敷まで探しに来て、すぐさま見つけたのは父だった。怒られるかと思っていたけれど、安心したように笑っていた。
孫の誕生を喜んで、好きなものを買ってきたり、ダンスの発表会などがあるとタブレットで必死に動画をとり、親戚に送る。孫の成長を心から楽しみにしているのが伝わる。
社会奉仕活動も好きで、根っから悪い人じゃないことは分かっている。

親子じゃなくて、近所のおじさんだったら好きでも嫌いでもなくいいお付き合いができていたかもしれない。



なぞなぞです。



行きたい道をふさいでいる人はだ〜れ?







「父さん!」(通さん!)







ごめんごめんお父さん!
毎度反省はしているんだ!

父なりにたくさん悩んで生きていたのだろう、信心深い父。仏になる日が来たのなら、父のためにときどきお経を読もうと思っている。
だから、親より先に死なないという親孝行だけは成し遂げたい。

今世、このまま優しくできずにいることは、父との関係に後悔を残すのであろう。
人が本当に死ぬのは、人に忘れらた時だと聞いた。後悔の念で父の存在を忘れられずにいられることも親孝行だろうか。
きっと父は生涯をかけて、失ってから気づくものがあるということを私に教えてくれるのだろう。
無慈悲なポジティブ、おそろしい娘だ。





なぞなぞです。


テーブルの汚れにふと気づいて、台拭きをもってきたのはどんなひと〜?









「親不孝!」(おや、拭こう!)




おあとがよろし、、くなるよう、父との関係もスッキリ解いてみたいものだ。


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