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美しい手


女にしては大きく、日に焼けて赤黒く、年々関節も太くなり、すぐに血管が浮き出す、汗っかきな手を持っている。

小学生のころ、ズバズバものを言う親戚から、男みたいな手、おじさんみたいな手、気持ち悪い、と言われ、自分の手を嫌いになった。
手に目を向けられると隠したくなるくらい自分の短所の一部になり、若い頃数回チャレンジしてみたネイルはその度に違和感で恥ずかしくなり、すぐに落とした。
女の子らしい、華奢でありながらフワフワした感触の白い手にピンクやベージュのネイルを施された爪。かわいい綺麗な手に憧れていた。

先日、松浦弥太郎さんのエッセイ「さよならは小さい声で」を読んだ。
松浦弥太郎さんのエッセイは何冊か読んだことがあり、どれも好きだった。
「手を愛する」の章で、手が美しい人が好きだ、との綴りがあり、男の人はそうだよな、ああ、あなたもか弥太郎さん、あなたは違うと思っていたのに、と一瞬ガッカリした。
しかし読み進めた文章ですぐに前言撤回。
彼の言う美しい手は、働きものの手であり、私の憧れである「白魚のような指に飾りつけた爪を持つ手は、ひとつも美しいとは思えないし好きになれない。」とまで書いてあった。
こちら側に希望をありがとう弥太郎さん!と思ったのも束の間、次に目にした文章で猛烈な反省をすることになる。
彼の言う働きものの美しい手を持った人は、ゴツゴツしてようが、シワだらけだろうが、自分の手を愛し、心を込めた手入れをし、自分の手が大好きな人だったのだ。

40年間共にしている手なのに、40年間私を何よりも助けてくれているのに、そんな手を私は大事にしているどころか、嫌いだの短所だのと思っていた。手に対して酷い扱いをしていた自分が猛烈に恥ずかしくなった。長い間、当たり前のようにこき使って、お礼どころか嫌ってしまっていたなんて本当に申し訳ない。

エッセイを読んだ夜から、今までベトベトするのが嫌であまり塗る習慣のなかったハンドクリームを枕元に置くようになった。
白魚のような指にはなれないだろう。関節は太いままだし、シワも多い。調理の仕事のため爪は短く、しょっちゅう火傷もする。
けれども、毎晩、手に感謝し、手を大事にすることを始めた。40年分のごめんなさいとありがとうを込めながら、マッサージしながらハンドクリームを塗る。そんなことをしてくれるのも、やはり手なのである。なんて健気でかわいいんだろう。
これからも私のために頑張ってくれて、もっとゴツゴツとシワシワとしてくるのだろうこの手。そのうち痛みもでてくるのだろうこの手。たくさんの幸せに触れることができるよう、優しく頼もしい指揮官になりたいと思った。

今、私は私の手が大好きだ。
そんな文章を恥ずかしそうに、うれしそうに、入力する手がまたまたかわいい。

それから時々、身体の全てのパーツを私の中で切り離してみる。
すると、すべてにあらゆる感謝と愛おしさが湧いてくる。

自らを分けると書いて自分。
自分に喜ばれる人になりたい。
自分は自分でありながら自分だけのものじゃなかったんだ。
それから他人だって、自然だって、自分の一部のような気がしてきた。
童謡、手のひらを太陽に、が頭の中で繰り返し流れる。
なーんて語りだし、よくわからなくなってきたのはお酒を飲んでいるせいかもで、肝臓が俺も忘れるんじゃないぞと腹の中で睨みをきかせている。あなたには毎日土下座で許してほしいところだけれど、これからはきちんと休日も与えたい。

そんな気持ちを湧かせてくれる文章に出会えてよかったこの夏。
美しいエッセイをありがとう、松浦弥太郎さん。

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