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母親神話バカヤロー。


子どもが好きだ。人の子もかわいい。 
覚えたての言葉を話す子どもなんて、一番気が合うんじゃないかというくらいずっとおしゃべりしていたい。
なんとなくいつかは、「いいおかあさん」になれるんだろうなと思っていた。
娘が産まれるまでは。



当たり前にできると思っていた子どもは、結婚して2年経ってもできず、治療に入り1年。
待ち望んでいた子どもができた。
嬉しかったのだ。
とっても、嬉しかったのだ。

しかし。

布団の上にコロンと寝ている娘に目が慣れるまで、
ひゃぁっ!赤ちゃんがいるんだった!産んだんだった!
と、一瞬夢の中にいるような現実感のなさを何度か味わった。
電池も入ってないのに動き続ける心臓、からだ、誰に教えてもらったでもなく、乳を欲し、必死で吸い付く娘。
当たり前だと思っていた命が、なんとも神々しく見えると同時に、怖くなる。
何かの拍子に死なせてしまったらどうしよう。
静かに眠っている娘の顔に耳を近づけ、息をしているか何度も確認してしまう。
私が娘に与えた、生きるという重大任務。
娘が私に与えた、育てるという重大任務。
これは、すごいことが始まったのだなと身震いがした。


生まれて数週間すると、寝てばかりだった娘は存在の主張をするようによく泣きはじめた。
ホニャァホニャァというかわいい泣き声じゃない。オンギャァァァァエンギャァァァァァァだ。
起きている間は、ほぼおっぱいを口にしているんじゃないかというほどで、上唇にタコも作っていた。
眠ったかと思って布団に下ろしたら泣く。
夜中も一時間おきに、泣いて起きる。
寝不足の体に、耳をつんざくような爆音の泣き声。おっぱいでちゅか〜、なんて言っていられない。ハイハイ、と、半目で義務的に乳を出す。
そして不思議なことに、その爆音は夫の耳にあまり届かないのだ。そこで初めて、これが「母性本能」というやつなのかなあとは思った。
しかし、もはや私は抱っこ用の腕が生えた「動くおっぱい」でしかない。
「おっぱいをあげてる時って幸せでしょう。」
そんな言葉にうなずきながら、おっぱいをパカッと取り外し娘の口元に置いて自由の身になれたらどんなに楽だろう、なんてことを考えていた。

娘が生まれたころ、まわりの友人も何人か出産をした。
愛おしそうに優しい声をかけながら赤ちゃんのお世話をする友人たちは、すでに「おかあさん」のようだった。
いっぽう私は、娘がお腹にいる頃から、そしてお腹から出てきても、名前を呼んだり、母親らしい温かい声をかけたりするのが照れくさい。まるで全てに「って感じ?」がつくような、母親を演じているような、母性本能とは程遠いものを自身に感じていた。
それが伝わるのか、娘は私の子守唄で眠りやしないし、背中をトントンとしても眠りやしない。
乳を出し、抱っこさえしておけばよいのじゃ、余計なことはするでない、無理をするでない、そんな感じに、「おかあさんっぽい」ことしている私の演技を見抜いていたのではないかと、今になって思う。
周りと比べたり、育児書を読み漁ったりしたりては、自分があきらかに何か欠けていることに気付かされる。
思い描いていた「おかあさん」じゃない。
子どもを産んだら、自動的に「おかあさん」になれると思っていた。
私は、ただ、出産をした女なだけであって、「おかあさん」になれないんじゃないかと自信をなくしていく。
その気持ちを、批判覚悟で夫に伝えた。
すると、意外にも夫は同じ気持ちだと言ってくれて、みんながみんな子供が生まれてすぐ親になれるわけじゃないんだ、と、その共感がたとえ嘘だったとしても救われる思いがした。
世の中には私みたいに、いや、私以上に、苦しみもがいている「おかあさん」「おとうさん」と呼ばれる人がたくさんいる。
みんな、多少なりとも親を演じているんじゃないだろうか。
本当に心からおだやかで優しい「おかあさん」なんてひと握りなのだろう。

もしもあの時、批判されていたのなら。
孤独になっていたのなら。
時々目にする、悲しいニュースは、環境によって幸せも不幸せも常に隣合わせなのだと教えてくれる。
我が子の幸せを願うなか、心が折れてしまった瞬間がどこかにあったのだろう。



2、3歳の可愛い盛り。
疲れたらたくさん寝るらしいが、娘は早い段階で昼寝もしなけりゃ早くも寝ない、全力で起きていたいタイプだった。話が違うじゃないか。
自我も強く、思い通りにいかないことばかりのイヤイヤ期と呼ばれる時期。それは成長の証でもあるはずなのに。
娘を楽しませたいからというよりも、抑えられない感情を紛らわすため、疲れさせるため、ほぼ毎日公園や子育て支援センターなどに通い、なるべく家で二人きりにならないよう過ごした。
娘と接していくなかで、愚かな自分が、蓋をしたくなるような自分が、嫌というほど顔を出し、毎晩の反省が日課になっていた。
反省だけなら猿でもできるというが、猿でもできる子育てが、何故こんなにも難しいのだ。
そんな時期をなんとか乗り越え、幼稚園に入ると、スっと肩の荷が降り、ちょっとやそっとじゃ怒らなくもなった。
3歳までは母親がそばにいてあげたほうがいいなんて嘘だと分かった。

人は人に尽くすほど、その人を好きになるらしい。
一緒に過ごす時間が多いほど、好きになるらしい。
そんな恋愛心理学を最近目にした。
なるほど。

娘が生まれて12年。最近は尽くすほどでもなくなってきたし、友だちと遊んだり習い事をしたりで、一緒に過ごす時間も減ってきた。
けれども、たしかに、生まれてきてから日に日に好きは増えていくばかりだ。
見返りを求めることのないまっすぐな言葉や笑顔、優しさ、ワガママ。強さ、弱さ。娘から贈られるそれらは12年の間、私の体の芯まで温め続けた。
愛着が湧き、情が深まり、まるで冷めることのない恋心のようなものが私の中で育つ。
背丈はもうすぐ追いつかれそうだっていうのに、赤ちゃんの頃よりもかわいいが増している。

いつの間にか照れくささは消え、娘のことを
「娘」だと呼ぶのも違和感がなくなった。でもそれは、つい最近のような気もするし、未だに母親っぽいことを言う時、「って感じ?」になることもある。このリアクションで合っているかな、今の言い方で良かったかな、傷つけてしまったかな、なんて考えてしまうし、実際傷つけたこともある。
我ながら不自然な母親だ。

ちゃんと「おかあさん」をできていたかわからない私のもとで、しっかり者な娘はちゃんと「子ども」でいられたのだろうか。
思春期の今、たまに見せる反抗的な態度やだらしなさ(私似)にイラッとしつつ、やけに安心するのは、そこに「子ども」の顔が見えるからである。


そんな娘は、自分のことが堂々大好きだ。
娘の好きランキングは現在、1位自分、2位猫、3位猫、4位かーちゃん(私、やったね!)、である。
幼い頃から、1位だけは揺るがず、そこが娘の尊敬できるところだ。

先日、その娘の口から
「いつ死んでもいい。」
との発言があった。
思春期に入った娘、テンションも上がったり下がったり、悩み事もそれなりにあるだろう。
娘の口から出た言葉に動揺した。
すると、
「いつ死んでもいいくらい楽しいし、がんばってるつもり。かーちゃんもだよね。」
と言ったのだ。

私は今、わりと好きなことをして生きている。それは仕事と言えるのか分からないような仕事だったり、趣味だったり、飲み会だったり。
娘の目に映る私は、いつ死んでもいいくらい楽しんでいる様子みたいだ。
欲深い私は、いつ死んでもいいなんてちっとも思っていないし、娘がいつ死んでもいいなんて冗談じゃないけれど、娘がそんな気持ちで生きていることに嬉しくなった。



自分を好きな人は、自分を裏切らないよう、日々、頑張っている。
自分も人も、大切にできる。
私もそうなれるよう、ヘラヘラしてばかりじゃいられない。


「でも、かーちゃん、120歳まで生きてよ。」
うれしい言葉を付け加えてくれる娘に対し、
「老老介護だねえ。」
野暮な返しをしてしまうのが、いかにも私。
できることならうんと長生きして、笑いジワだらけでしわしわな娘も見てみたい。
きっとやっぱりかわいいのだろう。
今思い返すと、おっぱいを飲む姿も、イヤイヤ期も、悶えるほどかわいかった。
もう一度あの頃の娘に会いたい。そして、元気に12歳を生きているよ、生かせているよ、と私に伝えてあげたい。


娘の部屋の写真立てには、私が撮ったお気に入りの夫と娘のツーショット写真が飾ってあったのだが、その写真が最近、
『死にはしない』
と書かれた文字に変わっていた。
またしても、死にかけそうなくらいの何かが起きたのかとヒヤリとしたけれど、
「たいていのことじゃ死にはしないんだから、頑張ろうってこと。」
との説明に胸をなでおろすと共に、身が引き締まる思いがした。

娘が思いを込めて書いたのだろう、力強い文字に、相田みつを風がびゅうびゅうと吹いている。
いいね。
心配性の私は、もっと娘の強さを信じ、見習わなければ。

ちなみにランキングからも、写真立てからも追い出され、「とーちゃんは今死んだら後悔しそう。」と言われた夫ではあるが、そう言われるほど仕事を頑張っているのは、何よりも娘のためであり、私よりずっと子煩悩で、面倒見もよく、少しナメられ気味だけど、わりといい「おとうさん」である。


『いつ死んでもいい』
『死にはしない』


相反するふたつの言葉。繊細でありながら驚くほど前向きな娘らしい言葉だ。

後悔のないよう、やりたいことはやればいいな。
心地良い居場所があればいいな。
努力は報われればいいな。
楽しい人生を送れたらいいな。
ずっと好きな自分でいられたらいいな。
遠い遠い、いつの日か、笑ってさようならが言えたらいいな。

幸せを願うのは本当に簡単だ。





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