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冷蔵庫のお墓

小さい頃から人に物をもらうのが苦手だった。
人に何かを頼むのも苦手だった。
よくしてもらうことへの申し訳なさや、お返しをしなくちゃというプレッシャーが、嬉しさを上回ってしまっていた。

そんな私のお店はほぼ頂いたもので成り立っている。
皿、電子レンジ、冷蔵庫、棚、タンス、ソファ、こたつ、テーブル、座布団、じゅうたん、ピアノ、ゲーム、ラジオ、飾り物、枯れかけたらすり替えられる鉢植えの花。目につくもののほとんどが、頂いたものだ。


自分のお店をはじめてから、たくさんの年配の方と仲良くなった。お店はゴールド集落と呼ばれる、過疎化の進んだ地区にある。

一緒にお茶を飲んだり、おしゃべりしたり、飲み会をしたり、お店以外の場所にご飯を食べに連れて行ってもらったり。
お店を始めた頃、毎朝自動販売機でコーヒーを買ってくれて、毎昼ご飯を食べに来てくれる方がいた。
暇な日や、ひとりが辛い時、お店を辞めようと悩んでいる時、毎朝の缶コーヒーと、「今日もがんばれよー」の言葉にいつも救われていた。
仲良くなりすぎて、初めて本気の大人の喧嘩(いやらしい意味ではなく)と仲直りを何度もしたけれど、あのお父さんがいなければ、私は逃げ出していたかもしれない。

ご近所のお母さんは、大切にしていただろうネックレスや指輪を、もう使わないからとたくさんくれた。指輪はサイズが合わず、タンスにしまっているけれど、金色の細身のネックレスはすごく気に入って毎日つけている。
去年も今年も、クリスマスに私のぶんまでチキンを予約して渡してくれる。スナックみたいに、あんたも飲みなさい、と言ってコーヒーをご馳走してくれる。娘にお年玉もくれる。初めてのお客様が帰る時は、また遊びにおいでよ〜と私よりもお店の人みたいに見送ってくれるし、仲良くなったお客さんにもコーヒーをご馳走してくれる。
年金生活で、決して裕福と言えない暮らしの中で、だ。
まったくの他人だった人たちが長い時間を一緒に過ごし、親戚みたいに、家族みたいになっていく。

みんな高齢ゆえ、付き合いが深くなればなるほど、そう遠くない未来にやってくるであろうお別れの日を考え、たまに怖くてたまらなくなる。
とはいえ出会った頃から明日死んでしまいそうな顔色をしたお父さんは、今日も元気に下ネタが止まらない。
咳き込みながらタバコをスパスパすっているお父さんは、毎年苦情が来るほどの厳しい海の監視員を続けていて、今年の海水浴シーズンも事故もなく無事に終わった。
みんなより不健康な生活をしているであろう私のほうが先に見送られるんじゃないかとも思う。

足腰は弱っていたけれど、元気そうな中野さんという方が今年の秋に亡くなった。
また会おうね、遊びに来てね、僕も遊びに来るからね。寒い日だった。寄せ書きと共にプレゼントしたネックウォーマーをつけて、泣きながらあいさつをして、少し遠くの施設へ入所した。二年ほど経ったけれど、結局それから一度も会うことはなかったし、もう二度と会えない。
お葬式は親族の方だけで済ませ、亡くなった実感も湧かぬままだ。

中野さんは住んでいた市営住宅を引っ越すときに、お店で使っている家庭用冷蔵庫よりひとまわり大きな冷蔵庫をくれた。
使ってほしい、と言ってくれた。
運び終わった時に冷蔵庫の隅っこに、中野さんの名前と感謝の言葉をマジックで記した。亡くなったことを知ったあと、その下に中野さんの命日をかいてみた。
「また会おうね」
中野さんの優しいのっそりとした声がよみがえり、その日は冷蔵庫の前でシクシク泣いた。
灰色と青を混ぜたような色の冷蔵庫は、墓石みたいに見えてきて、時々手を合わせている。
冷蔵庫の中には、中野さんの好きなうどんやお菓子がいつも入っているから、なんだかお供えもできている気分だ。
元気な頃は料理人をしていた中野さんが近くで励ましてくれるみたいで、やる気も増してきた。


下心のないもののやりとりは、渡すほうの恩着せがましさも、受け取るほうの申し訳なさも生まれない。
ただただ喜びと感謝でいっぱいになる。

そんな当たり前のことに、お店をしてから何度も気付かされている。



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