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古新聞と日記

家では新聞をとっていないけれど、ごみ捨てや揚げ物をするとき用にと、古新聞をもらうことがある。

サッと手に取りやすいように、1枚ずつ古新聞をバラして畳んでいく作業をしながら、記事に目を通す。

心が痛くなるような災害や事故、衝撃的な事件、スポーツ選手の活躍、選挙戦、死刑執行、お祭りの派手な告知、新商品、おくやみ、うぶごえ。
それらはすっかり過去のものへとなっているようだった。


短い日記を書いている。
辛い今日も、楽しい今日も、時が過ぎれば過去の新聞記事と同じみたいだ。
いつかは全てが懐かしく思える日が来るはずだと信じて、ただただ時間が流れるのを待つこともある。

新聞の数日後のおくやみ欄に、自分の名前と年齢が載っている想像をしてみた。
温かい血液の流れる首が、ゾクゾクとした。


過去と未来を行き来しながら畳んだ新聞紙の上に座った飼い猫が、凛々しい顔をしてこちらをじっと見つめる。
にゃぁ。
甘い声、ごはんですね。
きみは生きているだけで、素晴らしい。
なんて、私も言われてみたい。
なんて、死刑囚も思ったかもしれない。
私と歳もそう変わらないあなたのことをすぐに忘れてしまうかもしれないけど、目に入った名前を指でなぞった。
2022年9月の、ある朝のこと。



古新聞の記事に関係している人たちは、今日をどんなふうに迎えているのだろうか。
それらは新聞に載ることなく、誰にも知られず、過去になり、未来にある。

出会った人も出会わなかった人も、私も、日記に書くほどでもないくらいの小さな幸せを感じて、与えて、生きていけたらいいなと願った。

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