なおちゃん

2児のおかあさん。 日々の暮らし、感じたことの記録。

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最近の記事

自由に選ぶ

父の盆の合同供養に行かないと決めた。 迷いはあった。 今朝、まだ、父と暮らしていた頃の出来事を思い出していた。 夜中、連日荒れ狂っている父。 何度も自分の部屋にいると呼ばれた。 母が殺されないかも心配だった。 無事朝が迎えられるとほっとした。 私はあの時部屋から出たくなかった。でも行かないとゆう選択権はなかった。選べなかった。 私は、今、選ぶ。 自由に選んでいい。 好きな方を選ぶ。 間違えたらやり直す。 自分で選んで、失敗して、やり直して、私が選んだことを私にやらせてあげる

    • 軽やかに生きる

      自分の思い込みがあると、その思い込みを感じさせてくるような状況や人が何度でも起こると聞いたことがある。 例えば、私は頑張らないと認められないと思っていると気づくと、頑張らないといけないような状況になっているとか。 いい思い込みなら気づかないだろうが、大抵は自分にとって苦しい元になっている思い込みだから、そんなの絶対嫌だと思っていたし、早く思い込みを上書きしなくちゃとも思っていた。 でもふと、その思い込みを上書きするために、わからせるために何度も何度もそうゆう状況にさせてく

      • 1分を感じられる余裕をもつ

        朝はじめて名札を自分でつけることができた娘。 目を見て、喜びを一緒に感じられたら、娘はとっても無邪気な嬉しそうな顔をみせてくれた。 花が咲く瞬間がみられたような、そんな喜びが胸の中にひろがった。 1分向き合うだけであんな顔を見られる。 日常のタスクに追われて、自分が時間をかけたい家族との時間を後回しにしていた。 この家事ができたら、これが終わったら、ゆっくりこどもたちと遊んであげようと思っていた。でも、寝るまでに家事を済ますことでいっぱいになっていた。 おかあさんみてっ

        • 私がほしい言葉を私があげる

          今日、職場の人の言葉を聞いて、悲しくなった。もやっとして、どうしたらすぐ楽になるんだっけ?こうゆうときはどうすればいいの?と早く気持ちを安定させたいと焦るような気持ちになった。 気持ちを変えるのではなく、みつめていく。 悲しかったね。 そんな言葉を聞いちゃうと嫌だって思うよね。 嫌いって拗ねちゃうよね。 心の中で呟く。 私ここにいない方がいいの?私はここにいてもいいの?と思う気持ちが隠れていた。 自分の存在価値を他人に委ねているなと気づいた。 仕事の後、車内でシュー

        自由に選ぶ

          こどもたちに残したいもの

          友達がインスタど紹介してくれていた「私のママが決めたこと亅とゆうノンフィクションの番組をみた。 自分にいつかおとずれる死の瞬間、私は、家族に何を残したいだろうと考えた。 私は、こどもたちに、愛してるよ、ずっとあなたたちのことを愛してるよとゆう想いを残したいと思った。 それは、きっと、その瞬間にできることではなく、日々の生活から積み重ねていくしかないのだろう。私の愛が、こどもたちの中で温かいものとして存在するように残していきたい。 そしてこどもたちの今をちゃんとみておきたい。

          こどもたちに残したいもの

          相手の立場にはたてない

          相手の立場に立って考えることが大事ですよって聞いて育ってきたけれど、本当にそうなのかなと疑問が浮かんだ。 だって、相手の立場に立てるわけがない。今まで生きてきた環境も性格もぜんぶみんな違う。だから考えたところで、私がその状況ならどう感じるかを想像するしかない。 相手の気持ちを考えましょうも同じ。相手の気持ちはわかるはずがない。 なのに、私は、相手の気持ちを必至で探そうとしていた。嫌じゃない?私はあなたを不快にしてない?と。誰かが不機嫌だと自分の態度を反芻させた。 相手の

          相手の立場にはたてない

          自分の小ささを認める

          今日健康診断があって、検尿の袋をトイレの棚に置いていた。夫が息子のトイレに付き添い、電気をつけたときに、手が当たって、落ちた衝撃で中身が漏れた。 私は、怒りと悲しさと焦りで手が震えた。 謝る夫、心配そうにみつめるこどもたちの様子を感じながらも感情を露わにしている私。 夫はこぼした尿の処理をして、尿検査のキットとりにいくよと提案してくれている優しさに気づかないふりをして、自分のどうにもならない感情を出し、ぶすっとしている私。それと同時に冷静な私がそんな自分を責めている。 会

          自分の小ささを認める

          もっと私に優しくする

          娘の態度に怒って、そのあと心配になる。 私みたいな態度をとって、お友達に嫌われたらどうしよう。 この子が嫌われないようにと思っている。私が嫌われないようにが強く、こどもにもそう思っているのが、一晩たって、たっぷり睡眠をとった後だからわかった。 夫に、仕事もして、朝起きて、弁当もつくってくれて感謝しとるよ。色々忙しかったしね。って慰められたとき、涙がポロポロ溢れた。 そうなの。私頑張ってたの。朝もゆっくり寝たいし、ご飯も誰かにつくってほしい、仕事から帰って娘の宿題みながら、

          もっと私に優しくする

          今の私で生きていく

          自分に自信がなかった。 見た目も、中見も。 だから、私は、必死で、理想の自分になろうとしてた。でもそれは、理想の自分と思っていただけで、私じゃない誰かになろうとしてた。 大好きなあの子が好きなものが素敵に思えて、好きになろうとした。好きなものって、ミルクティーが好きとか、この音楽が好きとかそんなもの。私は、あの子が好きなのって言いきるのがカッコよくて羨ましかった。私は、私の好きに自信が持てなかった。 私が心の中で思うことでさえも、いい悪いで判断した。優しい私だと◯だけど

          今の私で生きていく

          嫌って言えなかった

          今朝朝の片付けをしているとき、ふと私、昔から嫌って言えなかったなーと頭に浮かんできた🌸 今、こどもたちが、あれして、これして、こうしたいって言ってきたとき、私は、嫌なときは断る。でも、心の中で叶えてあげられないことへの罪悪感があった。だから、できないよって言いながら心はもやもやした💦 それが、最近ずいぶんなくなってきたなと思った。うちは、バスで幼稚園に行ってるんだけど 送ってほしいって頼まれて断ったときに気づいた☺️ 今まで、嫌って言うのが苦手だった。今でもそう。自分を

          嫌って言えなかった

          ほんとの気持ち

          心を学んできて2年。 自分の気持ちを見ていたようで、見ていなかったのかもしれない。 私の考えること、感じることは、ぜんぶ私の気持ち。でも、私はこう思うってことに、批判してくるもう1人の私に気づいた最近。 私が思ったことを、とはいっても、無理でしょとか、あの人の立場になって考えなよとかすぐさま反論してくる。それは、理性なのかもしれないけれど、私がどう感じたかを否定しなくてもいい。本当の自分の気持ちは何かな?ってみてあげることをこれからはしていこうと思う。でも、こうだよねって、

          ほんとの気持ち

          知ること

          こどもの泣く声が嫌。 遊んでいるときの甲高い声にイライラする。 すぐ怒る。 それは、過去受けた傷が身体の反応として今でているとゆうことを知った。 自分のこうゆうところが、嫌。 なんでこうしちゃうんだろう。 もっとこうだったらいいのに。 そんなことをよく思っていた。 不快だなと思う声や、イライラは、 今として現れてるんだけど、身体が自分を守ろうとしてきた結果なんだ。 病気も、何か原因があって、自分を守ろうとして表れてるんだって考えたら、そんな自分の体、自分自身がより愛し

          父のこと

          大好きな方のセッションを受けた。 いっしょに心を学んだ仲間。 わたしをさらけ出してもすべて受け入れてくれる貴重な存在。 話出した序盤から最後まで泣いていた。あれ、こんなに泣く予定じゃなかったんだけどな笑 子育てのこと、家族のこと思いつくままに話した。 優しく聞いてくれた。 私こんなに、ためていたんだなってことがそのときはじめてわかった。 それと同時に自分の本心にも気づけた。 わたしは、わたしの気持ちを大事にして選択したい。誰かの気持ちを考えて優先して決めるんじゃなくて、

          大丈夫、、、じゃない

          先週から、我が家はインフルエンザ感染によりこどもが休み。 娘が先に発症し、今週になって、息子も発症。娘の方が気管支が弱く咳込みがひどい。 咳をするとき、しんどそうなとき、娘に 大丈夫? と聞いた。 たぶん、家事や、何か作業をしながら。 娘は、 大丈夫じゃないと。 大丈夫じゃないがかえってくるとは思わなくて、一瞬びっくりした。 大丈夫と言って欲しかったわけでもない。 大丈夫?には、大丈夫!が 私の中で定例文のようになっていた。 決して適当に言ったわけではなか

          大丈夫、、、じゃない

          考えは変わってもいい

          幼い頃の私は、色んなことに興味が湧き、習い事をしたいとお願いしてはすぐやめたくなるこどもだった。 今となっては、好きなことがたくさん見つかってすごいねって思える。 けれど、いつのまにか、決めたことをやり抜くことが美徳で、言ったことを覆してはいけないと思い込んでいた。 友だちにこう言ったから、意見は変えたらいけない。想いを変えて、言うことがころころ変わるのは不誠実だとも感じていた。 でも、気持ちが変わらないなんて無理だよね。 色々な情報や考えに触れ日々過ごす中で意見がずっ

          考えは変わってもいい

          だらだら考えない

          何か気がかりがあると、気づくとそのことを考えている。そして、なんなら、夢にもでてくる。それはそれは、疲れる。 その点、夫は、切り替えが上手。自分で好きなことをして考えない時間を意識的につくっている。前は、性格の違いだと思っていたけれど、夫は自分でそう行動しているんだと気づけるようになった。 こどもたちも、いまを楽しむお手本。 私が大激怒した後も、ゲラゲラ笑って遊んでいる。 一つの考え事にとらわれて、しんどいなと気づいたら、やめてみる。 考えることはやめられないかもしれない

          だらだら考えない