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【Vol.16】日系メーカー→コンサル→外資メーカーと転職した僕が学んだキャリアを「線」で考える大切さ

皆さん初めまして。高原と申します。

今回は高校時代の部活の後輩、リモート中尉くんに頼まれて記事を書いています。あまり長い文章を書くのが得意ではないので、所々言葉足らずなところがあったらすいません(先に謝っておきます)。

簡単に自己紹介します。

僕は関関同立を卒業後、重工メーカーに入社しました。そこから海外駐在に行くものの、途中で壁にぶつかり、転職。コンサルで3年勤め、再度転職して今は外資メーカーで働いています。

今回はそんな僕の2回の転職を軸に、そこまでの経緯とそこで感じたことを書いていきます。

●「海外で働きたい」という漠然とした夢

高校時代はアメフト部で全国大会に出たりとかなりゴリゴリの体育会系でした。

当初は附属高校出身ということもあり、大学でもやろうと思っていましたが、「将来は海外で働きたい」という漠然とした想いがあったので、部活は諦め、真面目に勉強をして留学に行くことを目標としました。

大学ではかなり真面目に勉強をしました。周りの学生がアホみたいに遊んでいる中、サークルにも入らず、1年の頃から「海外に行くため」とTOEICの勉強を始め、大学2年の春にはTOEIC800点を超えました。

私は内部生でエスカレーターで大学に上がって来たため、本当にスポーツしかやってこなかった脳筋で、英語の勉強はマジでキツかったです。わからなすぎて毎日通学でForestを読んでいました。

最初に受けたTOEICは300点台で、1年間でTOEICの点数を500点上げることが出来たのは我ながら頑張ったなと思います。

TOEFLの勉強もして、交換留学のボーダーであるTOEFL ibt 70点もクリアし、大学2年の秋からアメリカ中西部の大学に交換留学に行きました。

クラスメイトには学生起業家もいたりしてとても刺激的でしたし、想像以上にアメリカ人が日本企業やメイドインジャパンへのリスペクトがあると知って、将来はものづくりに関わりたいと漠然と考えるようになりました。

意識がマックス高くなっていた僕は帰国後、学部一厳しいと評判だった経営学のゼミに入りました。

まわりのゼミ生はスタートアップ企業への入社だったり自分で事業を起こしたりすることを目指す人が多かったですが、僕は明確に日本企業に入って海外プロジェクトに関わりたいという目標を立てていました。

●日本を代表する大手重工メーカーに内定

就活までは大手企業のインターンも複数やりました。起業した先輩の会社で営業をやったりもして、いま思えば正直何がしたかったのかよく分かりませんが、とにかく当時はいろんな社会経験をしてみようと沢山行動をしました。

さっきも書きましたが、大学入学まではスポーツしかやってこなかったので、正直地頭はそんな良くないです。

天才型ではないなら、とにかく動きまくって学んでいくしかない、努力するしかない、とずっと思っていました。体育会系っぽくてうざいと思う人もいるでしょうが、このマインドはいまも変わっていません。

そして迎えた就活。

「海外と日本の橋渡しとなるインフラビジネスの様なダイナミックなビジネスがしたい」

これを就活の軸にして、実現出来る総合商社やプラントエンジニアリング業界、重工業メーカーに絞って就活を進めました。

結果的に商社は5大が全落ち、重工メーカーとプラントエンジニアリングから計3社、内定をもらい、業界上位の重工メーカーに入社しました。

必死に頑張って来た結果が「内定」という形になって表れたことに人生で一番歓喜しました。

そして、これまで部活しかやってこなかった脳筋息子の行く末を心配していた両親が涙を流して喜んでくれてとても嬉しかったです。

環境は整ったからあとは自分がやるだけだ、と内定時代はとにかくめちゃくちゃモチベが高かったと記憶しています。

●モチベが青天井だった新人時代

入社すると、すぐに新人研修が始まりました。

余談ですが、この会社は多い時は毎月のように研修があり、とにかく研修が多かったです。年次ごとに細かく研修プログラムが用意されており、特に語学には力を入れていました。

実際にそれぞれの研修で何かスキルがつくのかは分かりませんし、意味があったのかもよく分かりませんが(たぶん無かった)、その辺は個々のやる気次第というか、良く言えばサポートの手厚い会社でした。

新人の時の研修内容は会社の歴史を学ぶようないわゆる座学、チームワークを培うプレゼンなどで、正直「これ、意味あんのかな」と思うことも多かったです。

ただ、その分同期とコミュニケーションを取る機会が多く、研修後に集まって鍋を囲んだり、飲み会をしたり、休日ドライブに行ったりと、わいわい楽しくやる感じはとても良かったです。今でも同期とは連絡を取り合い、たまに飲みにいくような良い関係性が続いています。

研修中に感じたのは、やはりスケールの大きさ。宇宙開発や防衛の分野は国の政策とも密接に関わってきます。もはや企業の枠を超え、国策ともいえる仕事に携われるダイナミックさに震えました。これからこの国を、産業界を支えていく仕事ができるんだと、意欲に溢れていたことを覚えています。

●とにかく走り抜けた若手時代

研修を経て、エンジニアリング事業の部署に配属されました。

大企業の新人あるあるですが、最初は想像以上に仕事が地味で拍子抜けしました。事業の内容はデカイけど、一人一人の仕事は細かく、見積書の金額が大きいだけで、資料作成、誤字脱字がないかチェック、細かい確認、承認、調整…。

プロジェクトの規模が大きい分、関わる人も多く、ざっくり言うと「大きな仕事をしている」という実感が最初はわきにくかったです。

扱う金額やモノがとてつもなく大きいため、特に確認作業が多く、何か新しいことをやる、というよりは前例踏襲で慎重に、決められたことをきちっとやるというお堅い保守的な空気感が社内にはありました。

仕事の進め方もいま思えば極めて古風で、トップダウンで下は動く、指示されたこと以外はやらない、下手な意見はしないという感じ。出世していく人も仕事ができる、というよりは上の意向に忠実ないわゆる「ヒラメ」なことが多く、風通しは良くは無かったです。

実際、色々想像と違うこともあったし、理不尽なこともありました。最初はそれもこれも経験だと考え、あまり深く意味とかは考えずに目の前の仕事を全力でやりました。

全ては、いずれは大きな海外プロジェクトを担当するという目標を叶えるために。

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