【凡人が自伝を書いたら 19.高校三年生】
「アウト・オブ・プレイス」
「アイ・アム・アウト・オブ・プレイス!!」
僕は場違いだった。(え、)
まるで、「盗賊上がりの奴隷」が「貴族の晩餐会」に来ちゃった感じ。まるで「下級浪人」が、「将軍家のお城」に来ちゃってる感じ。つまり、アウト・オブ・プレイスだ。(無駄な文)
僕は高校3年生になり、「特進クラス」に入ってしまった。
県内有数の不良中学出身で、テニスの推薦で学力の壁を飛び越え入学したは良いものの、成績は「下の中」。2年では部活停止処分も受けた僕がである。
僕は場違いだった。そんなに繰り返して、どんだけ場違いだったんや。という声が聞こえてきそうだが、答えは1つ。そんだけだ。(拭えない無駄感)
「逆戻り」
「俺、普通やん。」
これである。特進クラスなんだから、側から見れば「特別」なはずだが、学校生活での社会は「クラス」に依存している。学年で10番と、クラスで10番は全然意味が違うのだ。学年ではトップ層でも、クラスでは「中の上」くらいに成り下がってしまうのだ。
これ以上はさすがにきつい。僕には基礎が無かった。90点は取れるが、100点は取れなかった。言葉ではうまく言えないが、僕は「付け焼き刃」。他のみんなには「長年培った、どっしりとした基礎」みたいなものがあった。
これはさすがに超えられないな。そう思ってしまっていた。それでも再びおちぶれるのも嫌なので、順位を落とさないように、落とさないように、必死で食らい付いていた。(つらいやつ)
「それでも、俺らは勝つんだ。」
部活で「勝ち頭」だった「佐藤君」がいなくなったことは非常に痛かった。僕らは団体戦で、勝った試合でも、3本勝負で全勝はほぼ無く、2対1だった。つまりこの1ペアが勝てなくなることは、そのまま団体での敗北を意味していた。
僕らはペアを一から組み直した。僕ともう一人で「最強ペア」を作る案も出たが、結局は全体のバランスを考えて、メンバー組み合わせを決めていった。
正直、精神的には厳しいものもあった。周りの学校からも厳しいんじゃないか。なんて声も聞こえてきた。ただ、僕らは自分たちを信じていた。
大丈夫だ。やれる限りをやってきただろう。周りがなんと言おうと、それでも、俺らは勝つんだ。
これだった。(青春感)
「さあ、伝説を作るんだ」
とうとう、僕らの最後のインターハイ地区予選が始まった。僕らは順調に勝ち上がった。非常に順調すぎて、正直相手を覚えていない。(え、)
準々決勝。昨年はここで負けて、5位決定戦を勝ち上がり、県大会に出場した。ただ、それだと県大会では組み合わせ的にすぐに強豪と当たってしまうため、ここを勝って、ベスト4以内で進みたかった。
相手は昨年も県大会に進んでいる強豪だった。評判的には格上だった。
3本勝負。まず一本目は、相手のエースに敗北した。ただ、全く相手にならないわけでは無かった。十分に接戦し、十分に苦しめた。
僕らは「よし。」と思っていた。相手のエースに当たったペアは、実力的には僕らの団体の3番手。僕らには1・2番手が残っていた。相手は2・3番手だった。
そして僕らは大接戦の上、これを打ち破った。周りからは「番狂わせ」と言われたが、全くそうは思っていなかった。僕らは勝てる試合を勝ったのだ。
これは僕らの戦略勝ちだった。強豪校は大抵「横綱相撲」を取ってくる。つまり、実力順に1・2・3番手の順に出してくるのだ。初めにエースが圧倒的に勝ち、相手の気持ちを折る作戦だろう。
僕らはそれを予想し、それを逆手に取った。エースに僕らの3番手をぶつけ、残りの2本を取る。これだった。
僕らは、見事ベスト4に進出するも、次で負けてしまった。県最強と呼び声高い私立校だった。僕はここで同じ中学出身の選手と大接戦になるも、敗北した。何度も勝てると思える場面もあったが、やはり最後は練習量、経験でやられてしまった感じがした。
それでも、お互い別の道で、それぞれ強くなり、全力で試合をする。それがとても楽しかった。
また県大会でやろう。僕らは握手し、県での再戦を誓った。僕らは地区大会3位で、県大会に望むこととなった。僕らの高校では、これでも十分快挙だった。
「まだ見ぬ世界へ」
県大会が始まった。
そこには、毎年の県大会常連校が顔を連ねていた。そこに「ダークフォース」として僕らが入っていた。ただ、一つ印象的だったのは、僕らとは別にもう一校、同じ地区から県立校が出場していた。
それは、同じ中学のキャプテンにして、エース、高校の1年大会で優勝した「西川君」のいる学校だった。しかし、1年大会以降は、あまり成績が振るわず、目立つことはなかった。正直、強いのは「西川君」だけだと思っていたが、やはり彼はすごい。(多分)一人でチームを強くし、県大会に出場させるまでのチームにしていた。
僕らは3位で地区予選を上がったこともあり、去年と比べ、比較的楽にベスト8まで勝ち上がった。西川君のチームは健闘したものの、すでに負けてしまったようだ。
次を勝てばいよいよ、我が校初の県ベスト4。相手は南部の強豪校だった。試合開始前、応援席に目をやると、親友の「宇野君」、学校を退学になった「佐藤君」、中学時代の部活の顧問がいた。特に中学時代の顧問が来ていることには驚いた。中学以来の再会だった。もちろん話す時間も余裕もなかったが、とても嬉しかった。
試合が始まった。初めは僕らの3番手のペアだった。長時間に渡り、善戦するも負けてしまった。2本目の試合が始まろうとした時、大会側から、2面並行で、2・3本目が同時に試合をすることが決まった。おそらく時間が押していたのだ。
僕らと、もう1ペアは同時に試合を始めた。僕はその時できる最高のプレイをしていた。ミスなく、無駄なく、守り、ここぞで攻め切る。僕が決めるたびに、応援席からは応援団の、そして宇野君や佐藤君、中学の顧問の先生の大きな声援が聞こえた。
相手はおそらくエースだった。隣でやっているペアより、初めに出てきたペアより、強かった。俺らが勝てば、勝てる。これだった。
自分でも不思議なくらい集中していた。ミスもなく、思った通りに動くことができる。相手がどう打ってくるかなんとなくわかる。「ああ、これがゾーン」ってやつか。そんなことを思っていた。
初めは接戦だったが、徐々に僕らは相手に差をつけていった。このままいけば勝てる。このまま一気に蹴りをつけよう。そう言って僕がサーブを打つところだった。
相手の応援席がなぜか大喜びした。そんな場面ではないのに。
ん?と思い、隣のコートを見ると、僕らのチームのペアがうなだれていた。相手とは対照に、僕らの方の応援団は静まり返っていた。
一瞬、事態が掴めなかったが、すぐに理解できた。
僕らは負けたのだ。去年と同じ、「県ベスト8」だった。
「そうか、負けたか。」
僕は、正直、勝てたのになあ。とは思ったが、不思議に悔しくは無かった。ただ、コートの上で、ぼーっとしていた。
相手と挨拶するときも、少しぼーっとしていた。すると相手が話しかけてきた。
「どこの中学出身ですか?」
僕は意外な質問だったので、我に返り、学校名を答えた。
「あーやっぱりか!どうりで見覚えあるし、強えと思ったよ。俺ら、なんでアイツこんなに強えんだって言ってたんだよ。」
よくよく聞くと、彼は弱小校の出身で、いつも県のトップにいた僕らを見ていたらしい。
「ははっ、そうだったのか。いやあ負けたよ。まさかアイツらが負けるなんてな。次も頑張ってよ。」
僕はそう言い残し、握手をした。
コートから帰るとき、皆が笑顔で拍手を送ってくれた。
「ナイスゲーム!最高でした!!」
みんなが暖かく迎えてくれた。なんだか、肩の荷が降りたような、心が軽くなり、暖かくなるような、そんな良い気持ちだった。
僕らの夏は終わったのだ。
「青春の再会と喜びを」
試合後、応援してくれた同期・後輩・保護者に挨拶をした後、自由な時間になった。宇野君と佐藤君が寄ってきた。
宇野君がテンション上がった様子で、「お前めっちゃ強くなっとるやん!凄かったぜ!」そんなふうに褒めてくれた。
続けて、「ああ、俺も中央高校に入ってテニスやればよかったな〜」と言っていた。
「いや、お前は入ろうとしたけど、落ちたんだろ。」と「ド正論のツッコミ」が浮かんで来たが、言うのはやめておいた。(えらい)
佐藤君は相変わらずで、「俺がいないのによく勝てたな!」と訳のわからない発言をしていたので、とりあえず「久しぶりのゲンコツ」をかました。「うわぁ!痛え!!」それを見て周りも爆笑した。そんなに期間は空いていないのに、なんだか「久しぶりの風景」に感じた。
顧問の先生にも挨拶に行った。先生は目に涙を浮かべていた。
「あれ、この人泣くんだっけ?」
正直、初めはそう思った。(そこ!)
すぐに先生は右手を僕に差し出し、こう言った。
「テニスを続けてくれて、ありがとう。」
この言葉は今でも心に残っている。元はと言えば不純な堕落した同期で始めたテニスでも、こんなふうに人を感動させられる。僕の存在自体が認められた。そんな気持ちがしたからだ。
「僕こそ、テニスを教えてくれて、ありがとうございました。」(感動)
普段は口下手で、思っていることをうまく言葉にできない僕も、この言葉はスーッと心から自然に出てきた。
これぞ「青春」である。(自分で言うな)
大会後、僕ら同じ中学出身メンバーは集まり、西川君の様子を見に行った。
西川君の高校のテントへ行くと、号泣している西川君を中心に同じ高校のメンバー全員が、集まっていた。なんだか心配して、慰めている様子だった。
僕らは声をかけられなかった。
こんなことを思った。
「ああ、アイツは本当に頑張ったんだな。こんなにもみんなに信頼されて、本当にすげえ奴だ。」
その一場面に3年分の努力・信頼がつまっていた。
僕らはスッと身を引き、声をかけるのをやめておいた。
「さあ、次へ進もう」
僕らの代は終わり、新たな部長を指名し、世代交代を終えた。
次は大学だ。
親に「俺大学行こうと思う。」と話した。
すると「え、そうなん?あんた大学行くんやね。」
これだった。
僕からすれば、特進クラスなのだから、大学に進学しない方が異常だったが、確かに親にはこれまで進路の話をしたことは無かった。それに特進クラスに入ったことも伝えていなかったかもしれない。
また、代々自営業の家系だったので、父も祖父も皆「高卒」だった。大学なんてうちの家系では誰も通っていなかった。
僕は近くの私立のマンモス校(日大的な感じ)に通うつもりだった。成績的には余裕で入れるし、なんなら学費免除レベルだった。
一番は、女子も多いだろうからモテそう。これだった。(根本はなかなか成長しないものだ。)
ただ、そうは問屋がおろさなかった。
進路面談で先生にそのことを伝えると、「え、そんなに?」と言うくらい「ゲキギレ」された。「お前はなんのために特進クラスに入ったんだ。」「自分で自分の可能性を潰すのか。」これだった。
僕は完全論破され、結局「地方の国立大学」に進学を決めた。
まあ、確かに入れるんだったら、「国立」の方が名目も良いし、授業料の面でも親に負担は少なかった。(判断ふつ〜)
普通に勉強を続け、普通に合格した。
そんな感じで卒業を迎えた。チームのメンバーへの感謝。先生への感謝と謝罪。(高校でもか)
晴れやかな気持ちで、高校生活を終えたのだった。
「我ながら、よくやった。」
この3年間に僕はこんなふうに「誇り」を持っていた。
さあ、「キャンパスライフ」の始まりだ!!俺はモテるんだ!!!!
愚かな意気込みとともに、僕は大学のある県へと乗りこんだ。
つづく
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