【凡人が自伝を書いたら 44.肥後の国(上)】
やってまいりました。
ここは阿蘇のふもと町、肥後の国。
そう、熊本県(初めからそう言え)。
ん?
なんか道がデコボコである。
ん?
もはや道が割れている。
ん?
壊れた建物がいっぱいある。
あ、そうだ。地震があったんだ。
同年4月。ここは、未曾有の地震災害に見舞われた。
発生時の震度は「7」!!
その後も、「震度6」の余震が継続的に続いた。
「震度6の余震」って、もはや「余震」ではない。
僕は「6」までは経験があった。それでも「地球が爆発」するんではないかと思った。「7」はアカン。「7」はあかんよ。
そんなことを思っていた。
「ごめんねー。地震の影響で、家があんまりなくてさー。店から少し遠くなっちゃったの。」
人事部の先輩が電話でそう言っていた。
僕の店舗は「東区」なのに、家の住所は「西区」だった。
真逆!!
せめて、「北区」か、「南区」が良かった。
まあでも、無いものは無いのだから、こればっかりは仕方がない。
初めて見る「路面電車」に戸惑いながら、信号に混乱しながら、何とか警察に捕まらずに、自宅に到着した。
ふと気になり、自宅から店舗まで、ナビを入力してみる。
ポン。
「目的地マデ、59分クライ、カカリマス。」
お姉さんの、感情の全くこもっていない無情の一言が、車中に響き渡る。車を新調していたので、無駄に音が良い。
くそ!!!
最高記録!!!
もう、そこはもう1時間で良くないか? 切り上げても良くないか? 当たりどころを失った僕の心は、そんなことを訴えていた。
「インテリ」と「武闘派」
今日は東区にある、「なんとかセンター」的なところで、「新しいオープンチーム3名」と「店長」との、「顔合わせ兼ミーティング」が開かれる。
地震の震源地は東区であったためか、さらに道はデコボコしている。半年以上経つというのに、いまだに倒壊した家もそのままだった。動物園も閉園している。商店街もやっているのか、やっていないのかわからない感じである。今通っている道も、明らかに「最近、頑張って作りました!」感がある。
オープン大丈夫か?
そんなことを思っていた。
会議室の扉を開けると、すでに僕以外の3名は到着していた。
店長は女性だった。歳のころ30代前半。割と大柄で、なぜか黒い。(失礼)声はなぜか高い。(別にそこは良いだろう)少し気の強そうな印象だった。名前は「大原」さんだ。
新しいチームのリーダーは、おじさんだった。清潔感があり、すらっとして、クールな印象だ。歳のころは40代前半といったところだろう。名前は「竹澤」さんだ。
僕ともう1人のチームメンバーは、大柄(横に)(こら!!)、色白で、まるで「大福」のようだ。顔もそれっぽい顔をしている。(こら!!)歳のころはこちらも30代前半。よく笑い、明るい印象だった。名前は「藤本」さんだ。
早速、大原店長の「演説」が始まった。おそらくこの日のために内容を練り込んできたのだろう。手持ちの手帳にはびっしりと、文字が書いてあった。
非常に長かったので、要約すると、
①「地域に愛される、真心溢れた、アットホームな店にしたい。」
②「マニュアル等の基準も、妥協せずに追求していきたい。」
つまりは、そういうことだった。
②を話している最中、少しだけ嫌な予感がしたが、(恐怖の指摘マン)そこは素直に聞いておいた。
竹澤リーダーの方は、少し「ドライ」な印象だ。10年ほど前にもオープンチームを経験していたため、慣れていたのか、少し事務的な感じだった。
完全にレールを敷いて、スタッフの能力どうこうでなく、それ通りにやる。「ある程度のところで、見切りをつけて、、」なんてことも言っていた。まあ、気持ちは若干わかるが、「見切りをつけられたスタッフはどうなるんですか問題」があった。
仕事はできるのだろうが、正直、少し苦手なタイプではあった。
「そこに、愛はあるんか?」
これだった。(大地真央)
チームの相方、藤本さんの方は、顔に「眠たい。」と書いてあった。「常温にしばらく放置した雪見だいふく」のような顔をしていた。(失礼)
しかし、この「藤本さん」は、実は社内では名の知れた、「レジェンド級の社員」で、特に調理の作業・教育において、右に出る者はいないと噂されていた。
本当にこの人は、「動く」のかなぁ。ましてや、人にものを教える姿なんて、全く想像ができなかった。
店長と竹澤リーダーが「接客スタッフ」を、僕と藤本さんは「調理スタッフ」を教育することとなった。
調理の方のリーダーは、藤本さんがあまりにも「やりたくない」アピールをするもんだから、僕になった。どうやら、「店長」とか「リーダー」みたいなものが嫌いなようだった。完全に「スペシャリスト」。その中でも「武闘派」(作業という意味で)だった。
竹澤リーダーの方は、明らかに「インテリ」。「インテリ」と「武闘派」、僕はどっちとも言えない感じ。まあ、バランス的には悪くは無かった。
「希望」
完全に「兄貴認定」していた、「公康さん」に電話をかけた。
メンバーを伝えると、
「店長はどうか知らないが、少なくとも、オープンチームのメンバーに関しては、かなり強いぞ。」
そう言っていた。どうやら、藤本さんは、評判通りの猛者、竹澤リーダーも、数々の新店舗を立ち上げてきた実績がある社員だった。
そんな公康さんの言葉に、僕は少しだけ、希望を感じることができた。
事実、新人スタッフの教育が始まると、藤本さんは、まるで人が変わったように、明るく、ハキハキとしていた。知識も豊富で、頼れる先生といった感じだった。
竹澤リーダーの方も、長年の経験に基づいた、効率的で、ムダやムラのない教育を淡々とこなしていた。
ふむふむ。これはいけるんじゃないか?
目線の角度を少し間違えていたが、そう思っていた。
つづく
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