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【凡人が自伝を書いたら 22.大学2年生】

僕の大学4年間は思い返せば、見事に「起・承・転・結」。2年という時期は、その中で「承」、発展・繁栄の時期だった。

「仲間になれ!」

海賊ではない。

サークルの話である。

『全国ベスト16!最強サークル!!』を全面に押し出し、大会のユニフォームで参加するという気合の入り具合で、僕らのサークルは「新入生歓迎会」を迎えた。

大学のキャンパス全体を使って、各サークルや部活が、それぞれ団体ごとにブースを設け、新入生の勧誘、入会の手続きをする。

僕は果敢に勧誘で声を掛けるも、可愛い女の子の「あ、大丈夫です。」に一撃で戦意喪失した。(弱っ。)看板を抱え、ブースの前に座り込んでいた。(スネ男)これが意外と目立ったのか、沢山の人に興味を持たれ、話しかけられ、加入してくれた。その後も実際のサークル活動を見て、加入してくるメンバーもいた。

一気に40人の後輩ができた。(万歳!!)同時に僕らは「マンモスサークル」へと繁栄した。(ばんざ〜い!!)

「仕事とは」だねぇ。

2年になり、アルバイトにも後輩ができた。年的にはそれまでも高校生の後輩はいたが、職歴的には先輩だった。初めて名実共に「後輩」が入ってきた。

このような時僕は決まって、「親方風暴風警報」である。兄貴ヅラの天才である。(愚か)僕は仕事をバシバシ教えると共に、「いいか?仕事とはだねぇ。。。」と言わんばかりに語って聞かせていた。まるで「怪しいマルチ集団のセミナー」のような内容を語っていた。

この頃、拙いながら「教育」に目覚め、「OJT論」や「教育論」「リーダーシップ」「仕事論」「コミュニケーション」なんかの本を大量に読みあさり。実践と実験をする日々を送っていた。(これが結構おもしろかった。)

僕はバイトリーダーから、「教祖」へと格上げされていった。しかも奇跡的に「さむいヤツ」認定されず、「すげえ奴」として、社員にも学生にも、主婦さんにも受け入れられていた。(今考えれば本当に奇跡的)

「金獅子(きんじし)だ!」

今年の夏の大会のテーマは「金獅子」だった。この頃から僕はテニスで「勝つこと」より、「楽しませること、盛り上げること」にシフトしていた。(え、)結果もベスト16、32あたりをずっとウネウネして行ったため、どれがどれか、いつがどうか正直覚えていない。(え、)

「今年は金獅子だ!」先輩もいるくせに僕は勝手に決めていて、優しい先輩もそれに乗ってくれた。「金獅子」と謳うからには徹底的だった。黒と金色の派手すぎるユニフォーム、髪を金金に染め上げ、なんなら眉毛まで金だった。(アルバイトは調理場に封印された)

8月。今年もやってまいりました。千葉は白子町。サークルの全国大会だ。僕は「エース」として大会に出場していた。ただ僕の頭には盛り上げること、楽しませることしか頭になかった。(おい!)

僕は去年の戦績で顔が結構売れていたので、関東の大学の生徒たちとも久しぶりの再会を喜んだ。

試合の方は「金獅子」ということで、どちらかというと攻め中心。(勝手なイメージ)派手なプレイを狙ってやっていた。他にも、あえてダブルスのポジションを入れ替わって試合をし、ここぞというときに元に戻って、勝つ。そんなこともやっていた。(失礼)

以前の技術量や、メンタルではなし得ない芸当だった。応援陣も盛り上がり、全員で大会を楽しんだ。後日撮影した動画の鑑賞会をした時も大いに盛り上がった。

また来年!ということで、参加していた他大学の生徒とも挨拶を交わした。

「わたくしが会長でございます。」

秋、会長の交代式が行われる。3年生はそろそろ就活本番を迎える時期だったからだ。会長は1年の頃からすでに僕に決まっていた。

僕はありがたく代を引き継ぎ、サークルの更なる発展を誓った。100人近くいるサークルの会長。僕はこれは、「リーダーシップ」の本で学んだことを実験し、学ぶ。大いなるチャンスだ。と意気込んでいた。

副会長には、僕をこのサークルに誘ってくれた、女の子が就任した。1年の頃から仲は良かったので、きっとうまくいく。順風満帆だ。

僕はそう思っていた。(む?)

後々問題が起きるのだが、それはもう少し後の話だ。

名実共に充実。発展し栄えた。そんな大学2年だった。

つづく











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