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【凡人が自伝を書いたら 60.焼け野原の復興(上)】

ここは、福岡県と大分県のほぼ県境。

昔の呼び名で言えば、「豊前(ぶぜん)の国」と言ったところだろうか。

何もない。

何もないというのは、厳密に言えば嘘で、あるのは、「緑」

山や、田んぼで一面の緑。

おそらく上空から見たら、ここは完全に「緑」でしかない。

そんな感じだ。

高速のICから降りて、これはさぞ良い空気だろうと、車の窓をウィーンと開ける。

くさい。

ひじょーにくさい。

おそらく肥料かなんかだ。

「うわっ!」と思い、急いで窓を閉める。

くさい。

今度はくささがこもった

開けても地獄、閉めても地獄。

どうすればいいんだ、これは。

これだった。(どれや)


「消えたオープンスタッフ」

「肥料の香り」と共に、指定の店舗に到着する。(なんか可哀想)

新しい。

この店舗は半年前にオープンした新店舗で、僕も知っている後輩の女性店長がオープン店長だった。

ただ、その女性店長は色々あって気を病み、異動になったという「いわくつき」だった。

ほう。これがあの子が作った店か。

どれどれ。

店舗に入る。

「ん。」

なんだか、ごちゃごちゃした感じ

なんだか、「疲れている」感じ

これが、この店の第一印象だった。

もちろんゴミや物が散乱しているわけでもなく、スタッフがうなだれているわけでもない。あくまで「雰囲気」だ。

ただ、そういう第一印象は結構当たるものだ。

スタッフに挨拶をしながら、少し、仕事ぶりを見てみる。

新人ばかりだ。

厳密には、新人かどうかはわからないが、能力的にはそうだった。

そういうことにはなれていた。少し手さばきや、体の動き、表情を見るだけで、各スタッフの大体の能力は分かった。そしてそれは、経験上、割と正確だった。

あれ、ベテランというか、オープンからやっているような人間がほぼいない。オープンからやっていたら、すでに半年以上やっているはずだが、ここにいるスタッフたちは、明らかに「社歴1ヶ月程度」だ。

接客の方に、1人2人それらしきスタッフがいたが、それも若干弱め。調理に至っては、全員がそんな感じだ。

これはどういうことだ。今日はたまたまか? オープンスタッフたちは何をしてるんだ?

そんなことを思いつつも、スタッフに案内され、事務所に通された。

そこには、パソコンをパチパチやっている店長のYさんがいた。彼は、長身色白メガネの40代男性。「ミスター・真面目サラリーマン」みたいな見た目だった。(言い方)

「あ〜!初めまして。店長のYです。遠いところお願いして、ごめんね。」

見た目によらず、爽やかな印象だ。(失礼)

僕らは、簡単な自己紹介の後、現状の共有を行った。

聞けば聞くほど、なかなか厳しい状況だった。


「焼け野原」

エリアマネジャーのKが手に負えないのも、なるほどだった。

この店、オープンスタッフがほとんど辞めてしまっていて、今いるのは、ほとんどここ1ヶ月程に入社した、新人ばかりのようだ。(悲しい大当たり)

なんでも、オープンスタッフ各々のクセが強く、ことあるごとに喧嘩や言い合いが絶えず、問題行動に走るスタッフも多かったようだ。そんなスタッフはクビになったし、それ以外のスタッフもそんな雰囲気だったから、辞めてしまったようだ。

しまいには店長も気を病み、異動になったようだった。

これは「人ごと」では無かった

僕も似たようなものだったからだ。僕の場合は、状況的には幾分マシだったが、スタッフとのコミュニケーションに失敗し、結果うまく店を運営できず、異動になる。流れとしては結構似ていた。

もちろん、ここまでスタッフが辞めることも無かったし、それでも慕ってついてきてくれるスタッフも多かった。僕が気を病むことがなかったのは、そんなスタッフたちがいたからである。

それもいなかったら、と思うと今でもゾッとする思いだった。

僕は、「あの時できなかったことを、ここでやろう。」

崩れかけた店を復興しよう。

焼け野原を復興させるんだ。

そんな思いが湧いていた。


「首の皮一枚」

この店の状況は思ったよりも深刻だった。

オープンスタッフで残っていたのは、全部で4名。

接客の方に3名と、調理の方に1名。しかも調理の方の1名は、以前まで「深夜帯」の勤務だったので、忙しい時間での勤務には経験が浅かった。

オープンできないのに、オープンしちゃった新店。

そんな雰囲気だった。

スタッフの数も決して豊富というわけではない。

スケジュールが埋まるかどうかのギリギリのライン。

今いるスタッフが少しでも辞めれば、たちまち営業が立ち行かなくなる。そんな、「首の皮一枚」で、ギリギリつながっている状態だった。

そして、オープンスタッフも含め、全体が弱く、未熟だった。

これまでも「営業力の弱い店」はいくつか見てきたが、そんな店にも、数人は能力の高いスタッフはいたものだ。

それもいない。

僕の中では、明らかに「最低最難関」の店だった。

もちろん、今いるスタッフや、過去にいた社員を責めるわけではない。

ただ、それは事実だった。


「もう一度、一からオープンさせるつもりで教育する。」

僕の中で、そう決まった。

誰かが(Kマネジャー)サジを投げたことを成し遂げる。これは僕の中では「テンションの上がること」だった。

幸い、この店は立地の関係もあり、売上は高くない。土日の最も忙しい時間帯でも、僕なら十分教育しながら営業することはできる範囲だ。

厳しいことに間違いはないが、やれないことはない。

兎にも角にも、まずはスタッフたちのことを知り、信頼を得ることから始めよう。

こんな状況でも、こういう思考ができるようになったことは、失敗の経験があったからであり、その中で、成長した証拠だった。

ここから夏が終わるまでの約3ヶ月。僕の「勝手に再オープン」が始まった。

つづく










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