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【凡人が自伝を書いたら 38.伊勢の国(下)】

ここは伊勢の国。

正直に言うと、かの有名な「伊勢神宮」がある伊勢市の隣の田舎町である。(涙)

大きく見たら、三重県は「伊勢の国」と言っても過言はないだろう。多分、歴史学者の人には怒られるかもしれないが、大抵の人は許してくれるだろう。うん、きっと大丈夫なはずだ。(何のはなし?)

「繁盛店の内側」

オープン以降、店は大繁盛していた。早速常連客も出来て、オープン以降、ほとんど毎日顔を出してくれる客もいた。

「あら、今日もおいででございますか。」

「お兄ちゃんも、いつもいつも大変ねえ。」

「おかげさまで、毎日忙しゅうございますよ、ええ。」

これだった。(もちろんこのままの口調ではない。)

スタッフも徐々に営業に慣れ、いろんなことに対応もできるようになり、僕の出番も結構減っていた。

サービスも結構良かったようで、お客の評判も上々だった。口コミを聞いて、来てくれる客も結構な人数いた。出だし好調。このまま軌道に乗せられれば。そんな状況だった。

ただ1つ、問題があった。

小島店長がやんわりと「孤立」していた。

小島店長は、結構「感情的」になることが多かった。こだわりも非常に強く、(それが悪いこととは言わないが、)気に食わない仕事をしたスタッフには厳しく叱ってみせた。それは社員でも同様。特に僕以外の接客担当の社員は、度々呼び出され、叱られていた。

どうやら、好き嫌いも入っているような感じも受けた。

うーん。これはあまり良くないな。

ただ、歳こそ近いが、社歴も、歳も、役職もあちらが上だった。

うーん。何だかストレートには言いづらい。。

これだった。

学生時代なんかは「曲がったこと」ものを見たら、牙をむくようなこともあったが、所詮は「眠れる獅子」。基本は眠っていた。(カッコ良さげに言うな)

基本的には争いを好まない。温厚な性格になっていたのである。人に嫌われるのも、あまり好まなかった。(つらい経験)

一方、小島店長は、徐々に社員にも、スタッフにも距離を置かれるようになっていた。スタッフが申し訳なさそうに、愚痴というか、相談をしてくるようになっていた。恐ろしくてとても言えない。そんな感じだった。

社員の中でも、小島店長と言い合いをする社員もいた。筆頭は「巨漢のおじさん」である。大人しく変な踊りを踊っていればいいものの、うまが合わないのか、度々言い合いをしていた。

傍目では、きらびやかに見える職場も、内側はたくさんの問題を抱えているものだ。ましてやそれが「店長VS社員・スタッフ」なのだから、これはどうしたものかと、頭を抱えていた。

ふむ。これが「ナンバー2」ってやつか。考えてみれば、ナンバー2をやるのはほとんど初めての経験だった。

「中立の葛藤」

僕は中立だった。「どちらかに偏ってはならない。」そう直感的に感じていた。

僕も元々アルバイトスタッフだったため、スタッフ側の言い分や不満は痛いほど理解できた。また、大学時代の失敗の経験から、リーダーの重荷やもどかしさ、孤立感、そんな気持ちも痛いほど理解できた。(もちろんレベルが違うだろうが)

かといって、僕がノータッチでも、これはいけない。つなぎ役がいなくなってしまうからだ。調理リーダーの木本さんは、ギリ中立の立場をとってはいたが、内心はやはり、あまり店長のことが気に食わない様子だった。

うーん。どうしたものか。

ナンバー2の経験、サンプルがない。どう立ち振る舞うのが正解か、全く分からない。

これだった。

結局、僕に出来たことは少なかった。

まずは、「決して小島店長の悪口を言わないこと。乗らないこと。」

そして、「できる限り、小島店長の本心を伝えること。」

この2つだった。

1つ目のことは、元々、愚痴は言わない、というマイルールがあったおかげで、簡単にできた。

問題は2つ目だった。小島店長とは、他の社員と比べて、付き合いもあり、大体は理解をしていたつもりだったが、心根までわかるほどでは無かった。

小島店長と話す機会を増やし、酒を飲みにいった時なんかは、やんわりと、遠回しに、この問題について話もしたが、所詮、やんわりとしか言えなかった。

その中でも、何とか小島店長の想いを察し、スタッフに伝え続けた。

手探り感満載。これが正直なところだった。

「理解者と別れ」

根気よく続けていると、少しづつ理解を示すスタッフも現れてきた。少なくとも、退職したり、反旗をひるがえすようなスタッフは現れなかった。

こうやって少しづつ、理解し合えたらな。

そんなことを思い、半ば「祈る」ような気持ちで働いていた。

ただ、僕は知っていた。

その日を、僕は見ることができない。

僕の異動は初めから決まっていたからだ。

3月の初めに、僕は「オープンチーム」に参加する。そのチームで、僕は4月から始まる、開店ラッシュに臨むことになる。

この店はオープンが1月末。もう2月も半ばなので、あと2週間程しか猶予は無かった。あとはもう、残りの期間でどれだけ、僕の力や経験をスタッフに渡せるかが勝負だった。

ただ、新入社員だった堀さんにも、まだ教えたいことはあった。

僕は休みもクソもなく、店に顔を出し、店長とスタッフを交えて会話をしたり、スタッフを観察して、足りない知識を渡すことに躍起になっていた。

あっという間に日々が過ぎていった。


別れの時。

小島店長とお昼の主婦さんが主体となって、僕に寄せ書き兼スタッフの顔写真入りのアルバムをくれた。

なんだかんだ言って、ある程度仲良くなれていたようだった。この作成自体もそれに一役かったのかもしれない。いつ撮ったんだ。という写真がたくさん貼ってあり、その横にはそれぞれのスタッフの感謝の言葉が書き連ねてあった。

「私が教えたんだから、あなたはきっとどこでもやっていけるはず。楽しかった!ありがとう!」

小島店長、、人の苦労も知らないで!

そう思ったが、相変わらずだなあ。と言った感じで、笑いが出てきた。

「もう行っちゃうなんて、寂しずぎます〜」

俺も、寂しい。

「今の旦那が居なかったら、間違いなくプロポーズしてます!!笑」

ん?これは「黒よりのグレー」いやむしろ、「グレー寄りの黒」か?

まあ黒は黒だが、愚かな男はこういうことを書かれて、悪い気はしないものだ。男は馬鹿だから、こういうのはすぐ本気にしちゃうんだから、書くもんじゃあないよ?

「失敗ばかりして、怒られてばかりの私を、クビにしないでくれてありがとうございました。」

大丈夫。わたくしにその権限はございませんよ。


嬉しかったのは、「これから小島店長と頑張って行きます!」的なことが多かったことだ。

あぁ、俺も少しはお役に立てたのかもな。

そんなことを思った。

最後の最後。

握手を求めてくる「おばさまスタッフ」までいた。

照れくさい反面、逆に怖かった。(教祖の香り)

非常に短すぎる期間だったが、思い出はたくさん。経験、学びもたくさんだった。

「漁村もたまには悪くはねえな。」

何だか変な愛着が湧いていた僕も、心の涙を拭い、新天地へと車を走らせた。

向かう先は、「尾張の国」

愛知県は名古屋である。

都会だ!!!

味噌カツ、ひつまぶし。

さあ行こう!!!

僕はルンルンで、何とか道で車を走らせていた。(名前!!)

つづく
















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