『日ユ同祖論』的な話。
ハイサイ。
千葉県香取(佐原)生まれ、沖縄在住な、五木田穣です。
帰省していた妻から、お土産に「佐原ばやし」をもらいました。
あぁ!懐かしい!
子供の頃よく食べていた記憶があります。
久々に食べたら、味と食感が完全に福島の「ままどおる」!
あぁ、完全に忘れていたけど、だから「ままどおる」好きだったんだ。
幼少期の味だ。記憶にほぼないから、6歳以前かな。
「佐原ばやし」から思ったことを書きます。
佐原囃子といえば、佐原の大祭。
「佐原囃子」というのは、千葉県香取市「旧佐原市」で行われる
「佐原の大祭」で演奏される神楽の名前です。
夏祭りと秋祭りがあり、関東三大山車祭り(他に、茨城の石岡、埼玉の川越)と言われ、小江戸と呼ばれる佐原の街を10台の山車が練り歩く姿は圧巻です。
成田の祭りも有名で人気なのですが、
成田で演奏される神楽も「佐原囃子」です。
佐原の大祭は、母方の祖父祖母叔父に連れて行ってもらった記憶があり、懐かしいです。佐原囃子を聴くと、なんだか楽しい気持ちになります。
また、成田の祭りでも演奏されていたことから、毎年1学期の終わりの期末テストの時期と成田の祭りの時期がもろ被りで、テスト中に佐原囃子が聴こえてきて、集中できなかった(笑)ことも楽しい思い出です。
お祭とは、神事ですので、神社やお寺が関係します。
佐原の祭りは、八坂神社、諏訪神社で、
成田の祭りは成田山新勝寺です。
山車に神様を乗せて、街を歩くという形です。
山車は、神が宿る依代となります。
佐原の祖先は、ユダヤ人?
佐原の祭りは、夏が八坂神社で、秋が諏訪神社です。
ちゃんと歴史を調べたことはないので、知ってる範囲と推察で書きます。
(改めて調べたくなりました)
まず八坂神社といえば、御祭神はスサノオです。
元々は、牛頭天皇として祀られていましたが、
明治の神仏分離で、今の形となりました。
そもそも祇園祭と言っている時点で、神道じゃないですよね(笑)
八坂神社で1番有名なのは、京都の祇園祭ですね。
それで、一般に言われる祇園祭の話ではなくて、
踏み込んだ話をしますと、
祇園祭=シオン祭であり、ユダヤ人の祖先から引き継がれているお祭りです。7/17に開催されるという日時も、完全にシオン祭と一致します。
シオン祭は、ノアの方舟で大洪水を乗り切ったことを祝うお祭です。
山車=方舟に見立てていると考えられます。
(だいたい、ペルシャ絨毯で飾られているのが異質です)
ちなみに、ヤサカとは、ヘブライ語で神の小屋という意味です。また、方舟の「箱」は、アークの箱とも一致してきます。
お祭りといえば、神輿を担ぐお祭りもありますが、
神輿の形とアークの箱は完全に姿形が一致します。
ユダヤ人と日本人の歴史には、文化も言語も共通する点が多すぎるのです。これは、始まりが一緒と考えていい。というか、遠く離れたイスラエルと日本で文化が一致するのは奇妙でしょう。
ちなみに、成田の近くの芝山(成田空港近く)は、埴輪で有名ですが、
埴輪の姿形が、ユダヤ人と酷似しています。
埴輪が作られた時代に、目の前にユダヤ人がいたのでしょう。
いや、ユダヤ人自身が埴輪を作ったのかもしれませんね。
私たちの祖先は、ユダヤ人。これはもう間違いありません。
(ちなみに、私、某都道府県の一宮の神社の神職しか入れないエリアにいれていだたいたことがあるのですが、そこに六芒星の石が祀られているの見たことがあります)
もっと突っ込んでいけば、
聖書に登場する預言者イザヤ。
イザヤとは、ヘブライ語で、「ヤハウェが救う」という意味です。
ヤハウェは、ユダヤ教の絶対神。キリストが磔にされた時、十字架には「INRI」と書かれていました。その意味は「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」です。
ヤハウェとは、ヤハタに転じます。ヤハタは八幡と書きます。八幡神社というのがありますが、本社は大分県の宇佐神宮です。御祭神は、応神天皇です。が、実際に祀っているのは、ヤハウェです。
INRIとは、インリと読みます。インリはイナリに転じます。イナリとは、稲荷と書きます。御祭神は宇迦之御魂神。食物の神様。
食物の神様と言えば、伊勢の神宮の外宮の豊受大神もですので、同神と考えられます。が、お稲荷さんで祀っているのは、イエス・キリストってことです。
イザヤ。伊勢には、元伊勢と言われる伊雑宮というのがあります。イザワノミヤと読みます。イザヤの宮。祀っているのはイザヤ。
とか、言い出したらキリがないほど、裏には裏があります。
で、諏訪神社は長野の諏訪大社が本社ですが、
諏訪大社もユダヤの歴史が色濃く残る場所です。
御神体は、守屋山ですが、モリヤと言えば、ヤハウェが見るという意味であり、モリヤ山といえば、かつてソロモン王が神殿を建てたエルサレムのシオン山のことと言われています。
ここに、佐原の大祭が、八坂神社と諏訪神社である必然性が見えてきます。
絶対に佐原の祖先は、ユダヤ人だと思いました。
船でやってきたのは、誰?
佐原の香取と茨城の潮来や鹿島は、水郷の町と言われるくらい、
船文化・水上交通が盛んだったところです。
元々、海だったと言われていますからね。
鹿島神宮では、12年に1度、御船祭というお祭りが執り行われ、
鹿島神宮の御祭神と香取神宮の御祭神が水上で出会うというお祭りです。
その昔、私たちの祖先のユダヤ人は、船で大陸を渡ってきました。仮に、ユダヤ人じゃないにしても、日本大陸に海洋民族がやってきたというのは、よく言われる話で、原住民である縄文人とミックスしていったと思われます。
(一般に言われる歴史は捏造されたものとして、考えています)
記紀神話(古事記、日本書紀)では、ちょいちょい神様の乗り物として船が登場します。例えば、国譲り神話で、鹿島神宮の御祭神である武甕槌神は、天鳥舟に乗って大国主神を説得しに行く話があります。ちなみに、大国主神の御子神が諏訪大社の御祭神の建御名方神です。
そこで考えられるのが、
「天」は「あま」と読みますが、「海」も「あま」と読みます。
つまり、天からか海からか、どちらにしろ、舟に乗ってやってきた。
これは、漢字の当て字によるだけですから、音だけで考えれば、どちらも考えられます。どっちが本当か、両方本当か。
仮に天から飛んできた船なら、それはUFOじゃん(笑)
祖先は宇宙人説も成立しそうです。
縄文人は天からやってきた宇宙人。
ユダヤ人は、海からやってきた。
と、私は思っています。
ちなみに、利根川から江戸川、中川、荒川沿いには香取神社が多いんですよね。香取から移住した人たちがたくさんいらっしゃるんでしょう。江戸時代は水上交通が活発でしたから。
私、新小岩で仕事していたこともあるのですが、新小岩にも香取神社があります(新小岩香取神社と東小松川香取神社)。亀戸とか亀有にもあります。あの辺、なんとなく好きだったんですよ。
なんか個人的に、理由もなく、長野が好きだったり、京都が好きだったり、佐原とか鹿島が好きだったり、東京の下町が好きだったりするのは、そういうことかと納得がいっています。全部繋がってるんですよね。
久々に、佐原の祭りに行きたくなりました。長野も京都も行きたくなりました。今行くと、また違った発見がたくさんありそうです。
さて、本日は3月11日。あの日から12年。
個人的には、大きくパラダイムがシフトした日です。
あの日から私の価値観が大きく変化した。
あの大震災は人工であった。
それも、いずれ明らかになるでしょう。
許されない非道です。
国家君が代の本当の意味
最後に、日本の国歌、君が代の本当の歌詞(ヘブライ語)を書いておきます。
立ち上がれ選民よ
シオンの民よ 神の選民よ
喜べ残された民よ、救われよ
神の印(預言)は成就した
全地に語れ
目覚めよ、立ち上がれ、日本人。
生かされているわたし達には、それぞれに役割がある。
やれること、やるべきことをやる。
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