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『自分を大切にする5つの物語 悩みの内側と外側を知り自己肯定感をあげる』第1章・無料全文公開

9月24日発売の書籍『自分を大切にする5つの物語 悩みの内側と外側を知り自己肯定感をあげる』から、第1章「『共感』って何?」を全文公開!

凪子の「物語」

凪子(なぎこ)がオフィスを出ると、空には濃いグレーの雲がかっていた。交差点の信号は青点滅。小走りで交差点を駅に向かって渡った。
きょうは定時に仕事がおわった。6月の梅雨入り前だ。外はまだ明るいだろう、憂さ晴らしにウィンドウショッピングでもして帰ろうと思っていたら、なんてことはなく薄暗い。
「雨が降りそう。ついていない」
ついていない、と無意識につぶやいたら急に虚しい気持ちが凪子に覆いかぶさった。
「そう、ついていない! また、私だけ貧乏くじ。ばっかみたい」
そんなつぶやきが空まで届いて、神様がへそを曲げたように小雨が降ってきた。
「あ~、やっぱ、ついてない!」
凪子はサーモンピンクの買ったばかりのブランドバッグを胸に抱えた。小走りで駅まで向かおうとしたが、小雨は突然激しくなり、凪子の肩を叩くように降ってきた。
ヤバイ。そう思ったとき、通りからちょっと奥まった場所にある喫茶店が目に入った。
数年通っている道だが、喫茶店がそこにあることには今まで気づかなかった。カフェというより喫茶店。昭和っぽい店だ。
でも、背に腹は代えられない。木目調で思ったより重たいそのドアを凪子は引いた。
カローンと、これまた懐かしいドアベルが鳴る。

「いらっしゃいませ」
低くてよく響く男性の声が聞こえた。店内は誰も客がいない。予想どおりに木目のテーブルとえんじ色のソファ。壁には電球色の小さな壁付けスタンドと洋画が目に入った。
スタバのスマートさになれた凪子には別世界だった。
ただ、ほかに客がいないことに少しホッとした。席に座るのに一瞬ためらったが、コーヒー1杯飲んで雨が小降りになったら出ればいい、と思い直して席に座ろうとした瞬間……
「雨が本降りになってきましたか。新品のバッグを濡らしたくないんですね」
また響く声でガスコックをひねりながらマスターが口走った瞬間、額の辺りがカッとなった。「新品のバッグ」が図星だったからだ。
「やっぱ、場違いだ。出よう」と踵を返した瞬間、何かにつまずいてしまった。
足元に猫がいた。
「このままお家に帰るの? なんか話したいんじゃないかニャ」
「え~~、何! 猫がしゃべった! ナニ、ナニ!」
自分でもびっくりするほどの声で叫んでしまった。
猫がしゃべるなんて。幻覚だ、私、疲れすぎてる?
混乱していると、「こら、ハチ。いきなりしゃべったらお客さんがびっくりするじゃないか」とマスターの笑いが混じった声が聞こえた。 

謎の猫とマスターと

「びっくりさせちゃいましたね。この猫は話したい人にだけ人間の言葉で話すんですよ。なるべく黙らせているんですが。まあ、よかったらコーヒー1杯飲んでいきませんか」
『名探偵コナン』(作・青山剛昌)のようなマスターとしゃべる猫。ヤバイ店だと確信するが、混乱しすぎて凪子は「外に出る」というまっとうな選択ができなかった。
そして猫に誘われるようにカウンターから少し離れたソファ席に座った。
「どうぞ」と、マスターがお水とおしぼりをもってきた。
「えっと、ブレンド」
やっと落ち着いた声で注文ができた。
「こら、ハチ。あんまり口出すんじゃないぞ」
「ニャー」
「あったかい」
初夏なのにあたたかいタオルに触れると、なぜかホッとした。一緒にバッグと肩も拭いた。
そう、これはおととい買った新品のブランドバッグ。
今回のプロジェクトが無事にできた自分ご褒美に奮発して買ったのだ。大好きなサーモンピンク。雨で濡らしたくなかった。

「お待たせしました」
マスターが真っ白い深めのコーヒーカップとソーサーでコーヒーを運んできた。芳ばしいコーヒーの香りが漂う。
「……あの、どうしてこのバッグのこと、新品ってわかったんですか?」
「あなたがあまりに大事に胸に抱えてお店に入ってこられたからです。本当は肩掛けサイズのトートータイプだから、よっぼど大切なんだろうなって思っただけですよ」
カウンターに戻ったマスターの顔を初めて見てみた。
髪は七三分け。白のカッターシャツに黒の蝶ネクタイ。黒メガネをかけている。髭もきれいに剃ってあり、年齢は40代半ばだろう。
こんな喫茶店のマスターをしているより、銀行員とか、公務員とかしているほうがよほど似合っている。
「マスターは大事なことがわかるニャ」
ハチは黒猫。ツヤツヤした毛並みをもち細身で品がある。
いつの間にか自分の隣の席に座っていた。思わず撫でてしまう。ダメだ、猫好きなのでついつい撫でてしまう。
「こら、ハチ。また」
最初はマスターが腹話術でもしているのかと思ったが、そうでもない。本当にしゃべっている。動画にアップしたらめちゃくちゃバズリそう。
「この猫は大切な人に必要なタイミングでしか話さないんですよ。邪な心をもっている人の前で声は出さないし、姿さえも出さない。あなたをよほど気に入ったみたいです」
凪子は心を見透かされたようで、ちょっとムカつくが納得もする。
「本当に大事なものは、そのバッグよりも、そのバッグに込めた思いじゃないんですか?」「大丈夫ニャ。マスターは守秘義務満点。それに、しばらくこの店にはほかの客はこないよ。だって、きょうは雨だからね」
まったく筋道の立たない論理だが、猫が「守秘義務満点」というのが少し笑えた。
それに、やわらかな表情で丁寧にカップを拭いているマスターも信用できる気がした。
「このバッグは、仕事のプロジェクトの完成の自分ご褒美で買ったんです」
凪子はここまで縛っていた口の糸が不思議とほどけたように、バッグときょうの出来事を話しはじめた。 

いつも貧乏くじを引く「私」

「今回、会社であるプロジェクトがあったんです。新規の大手取引先なので会社も力入っていて、私はそのリーダーになったんですよ」
「大抜擢ですね」
「いや、抜擢なんてもんじゃなくて、ほかにメンバーもいなくて。それよりも後輩のMちゃんを育成するのも目的のプロジェクトだったから、いちばん関わりの長かった私が仕事の指導役もかねて選ばれたんじゃないかな」
「それも大事なことなんでしょう、組織では」
「はい、でもMちゃんは思ったほどアイデアも出ないし、提案書もまとまらない。もちろん彼女なりにがんばっているんですよ。私もいろいろとアドバイスしたんですけど、やっぱり進まないんです」
「なるほどね。見るに見かねる状況になった感じですね」
「はい、納期も迫っていましたから。なので、いったん私が引き取って、彼女には補助的な作業をしてもらうようにしたんです。数日終電帰りで、なんとかアイデアをまとめました。スライドも彼女に手伝ってもらって、やっとクライアントに提出してOKもらえました」
「ひとまず成功ですね」
「はい、クライアントさんも満足していただいてうれしかった。だけど……」
「だけど?」
「きょう課長がいったんですよ。Mちゃんに向かって。『今回はよくがんばったね、初めてだったのに。提案書もよくまとまっていたよ。これからも期待しているよ』って。で、Mちゃんも『ありがとうございます。皆さんのおかげでがんばれました』って照れくさそうな笑顔で応えている。周囲のメンバーも「クオリティいいよ」とかいってニコニコしてる。それ見たら、それ見てたら」
「ほう……」

ここまで話すと、自分が少し涙声になっていることに凪子は気づいた。
情けない、こんなことで、どうして涙が出そうになるの? 仕事ではアルアルなのに。
恥ずかしくてふとマスターを見ると、マスターはカップを洗っていた。こちらを見ている様子はない。
「あなたには、あまりお褒めの言葉がなかったんですね」
「課長は『おつかれさまだったね。よくサポートしてくれたね』っていってくれました。仕事だから全力尽くすのは当たり前です。でも、なんだか心に穴があいたように虚しさが止まらないんです。つくったのはほとんど私なのに。彼女はサポートしかしなかったのに。逆じゃない? 私ががんばったのは、いったいなんだったの?」
「ふん、ふん」
「いつもこんな貧乏くじばかり引いちゃうんです。以前も同僚がやり残した仕事の後始末のために私が残業したり、みんな手をあげないイベントの準備をほとんどひとりで日曜にしたりして。でもみんなは『当然』って感じ。部長も課長も。ほんと私ってバカみたい」

ヤバイ、涙がいつの間にかこぼれている。涙をこぼすとか、泣くとかには無縁だったのに。なぜだろう。うなだれると長い髪が膝にかかる。自分の手元を見ると、ハチが膝の上に乗り、落ちた涙をなめていた。

サーッというマスターがカップを洗い流す水音をしばらく聞いた。
「なるほど、きょうに限らず、今までもそういうことがあったんですね」
「そうです」
「ちなみに、あなたは、どうして後輩の仕事を引き取ったんですか?」
「マスター。また悪い癖が出ているニャ」
ハチがジロっとマスターを睨んだ。
「どうしてって。困っている彼女を見たら、自然と私がなんとかしなきゃって思ったし、このプロジェクトが成功しないと会社的にもマズイと思ったからです。同僚がやり残した仕事を私が後始末したときも、その同僚は育児で大変そうだったから、少しでも役に立てればと思ってのことです」
「困っている人を見ると助けてあげたくなるんですよね。ほぼ条件反射的に」
「えっ、どういうことですか? 条件反射って、どういうこと?」 

自分の痛みと他人の痛みは別物?

「あの、お名前はなんでしたっけ?」
「凪子です」
「失礼。お名前を伺ったのに忘れたかと思ってお聞きしました。ここから凪子さんと呼んでいいですか」
「いいですけど」
凪子さんと呼ばれるのは滅多にない。とくに男性には。だけど、穏やかで低い声で響くマスターの声で「凪子さん」と呼ばれるのは、新鮮で嫌な感じがしなかった。
それよりも『条件反射』が気になった。
「凪子さんは相手の気持ちを聞いたのですか? やり残した仕事をしておこうかとか、アイデア出しやスライド作成を手伝おうかとか」
「いいえ。でも、共感しちゃうんです。いや、同情かな? とにかく、そういう状況ならば大変だろうな。でも『お願い』とはいいづらいだろから、私がなんとかしようって思います。それって悪いことなんでしょうか?」
「共感かあ。まあ、そこは置いといて。凪子さんのお話は『だろう』とか『思って』が多いですね。それが本当か、率直に相手に確かめていない」
「あっ。そうです。多分、いつも」
カチッという音がした。マスターが洗ったカップを置いた音だった。
凪子の心のなかに、その音が響いた。

「相手が困っていそうだったり、大変そうな状況を見たりすると、『自分ならば変わってほしいだろう』とか『自分ならば後始末してくれると助かるだろう』と、思考が瞬間に働いて、行動をしてしまう」
「そうですか。思考が『中枢』を通さないから条件反射っていったんです」
「確かに、そうです。瞬間、そう思ってしまう。助けなきゃと思う」
「それで、相手は本当にそう思っているのでしょうか?」
「わからないです。本当はどうなのか。何を考えているのか。何を思っているのか。だけど、相手のつらそうな顔を見たり、職場の雰囲気が悪くなったりするのが嫌なんです、私」
「そうか、あなたが嫌なんですか」
「そう、私が嫌なんです。相手の気持ちに寄り添って、思いやっているつもりで、『私ならこうやってしてほしいかも』とか、『こんな言葉がほしいかも』とか、私自身の思いやつらかったことに置き換えて勝手に行動しているだけかもしれない。だから、相手は表面的に『ありがとう』といっても、『勝手にあなたがしたんでしょ』って心の奥では思っているのかもしれません」

凪子は自分でいって、自分でショックを受けていた。
自分が今まで会社でしてきたことはなんだったのだろう。余計なおせっかいって思われていたの? 「共感」しているつもりで、自分が相手との関係を乱したくなかったり、重たい空気が漂う職場にいたくなかったりするだけの、ただのエゴイストなの?
頭のなかに「はてなマーク」が渦巻いた。
「つまりは『相手の痛みは自分の痛みとは別物』ってこともあるんじゃないでしょうか。人が100人いるなら100人とも痛みの種類も感じ方も違うでしょう。でも想像するのは自分だから、自分の経験に置き換えて、痛み、ここでは気持ちを察してなんらかの行動を取る。そっとしておくなどの『行動しない』も含めてね。それが凪子さんの行動パターンとなっているんじゃないですか」
「はい。そうかもしれません」
「まずは、そこに気づくことが大切です。相手の痛みを自分の痛みに置き換えているんじゃないかと。別にそれが悪いことではないですよ。いってみれば、誰でも自分の痛みや経験に置き換えて考えたり、行動したりしている。ほら、昔とがっていた人も、年を取ると自分の経験に置き換えることが増えて、『まあ、いいか』と、いわゆる人柄が丸くなったり、逆に『俺の若い頃はそれくらい』って妙に厳しくなったりする。それも自分の経験と置き換えることのあらわれかもしれませんね。ただ、私が問題だと思うのは、そういう行動パターンを『無意識』に取って、凪子さん自身が疲弊しすぎてしまうこと。そして『共感』しないと罪悪感に襲われることですよ」 

「精神的ヤングケアラー」って何?

凪子は、うっと黙ってしまった。「罪悪感」そう、それそれ! どうしてわかるの?
困っている人や重たい空気を感じると、何か言葉をかけないと、助けないと「申し訳ない」と思ってしまう。確かに「罪悪感」。
罪悪感に襲われてついつい行動しちゃう。
「罪悪感っていう言葉はそのとおりかもしれません。あの、ちょっとじめっとした話をしていいですか?」
「どうぞ」
「ウチの親はあまり夫婦仲がよくなかったんですよ。母は父に冷たくされる代償に、私を溺愛しました。口癖はいつも『あなたはやさしい子でいてね』。だから、ずっと『やさしい』子でいました。あの家で生きるために『やさしい』はマストだった。母の愚痴を聞いて、慰めて。母が疲れていたり、困っていたりしたら、私が助けていたんです。掃除とか、洗濯とかも、小さい頃からしていました。別に嫌じゃなかったんです。母が笑顔で、家の空気の重苦しさがなくなるならば」
「なるほど、そうだったんですね。本当ならば自分第一で、やんちゃに生きていい子ども時代に、お母さんの『親』のような役割を背負った。多分、自分の本当の気持ち、とくにお母さんの思いに反することはいわなかったんじゃないですか? 自分以外の人の気持ちを最優先して生きてきた、精神的ヤングケアラーとでもいうんでしょうか」
「精神的ヤングケアラー。そういう言葉があるんですね」
「マスターが即興でつくった言葉ニャ。お気になさらず」
「確かに、いつも自分の気持ちをいってはいけない。それも相手と違う考えの場合は。自分の気持ち以上に相手の気持ちを優先して、行動する癖がついてしまったのは確かです。だから、今は職場でも、友人関係でも『共感』マストになっているのかもしれないです」
「ふふん、共感かあ」
なんだか、マスターが楽しげな表情になってきたことに凪子は気づいた。 

そもそも対話はすれ違っている

「どうでしょう。『共感』って本当にできると思いますか」
「マスターには無理だにゃ。共感できるならば、凪子さんにもっとやさしい言葉をかけるにゃ」
「ふふ。ハチのいうとおりかもな」
「そういわれると、共感ってそもそもなんでしょう? よくわからなくなってきました」
「いいですね。わからなくなってきた。うん。とってもいい。字のとおり読むならば、共に感じる。つまりは相手と同じように感じて、相手の気持ちに同感する。同情ともいうかな。行動に移す人は、相手の気持ちにそった声かけや行動をするってことじゃないでしょうか」
「そうですね、確かに。でも、そう考えると、私は共感できていないかもしれません。上司がいっていることを気持ちではディスったりしても、『いいですね』とかいっています」
なんでこんなことをペラペラ話してしまうのか。だけど、このマスターには話してしまう。
そして、これは今の自分にとって大切な話のような気がした。

「社会で生きるうえでは、そういうときもあるでしょう。心の底から共感できないときでも、共感しているフリをして、その場をおさめる。多分お母さんに対しても、そう思うことがあったんじゃないですか? でも、凪子さんなりに本気で相手の気持ちを感じて、ついつい行動する場面が多いから疲れちゃうんですよね」
「そうですね。『条件反射的な行動』ってやつです」
「そうそう、思考中枢を介さずに『他人の痛みを自分の痛みに置き換えている』行動パターンです。その行動うんぬん以前に、ちょっと考えてみませんか。そもそも自分の気持ちや思いを正確に相手に受け取ってもらえる会話なんてできるんでしょうか?」
「えっ、どういうことですか? 職場では、数字をつかったり、資料をもってきたりして、自分の考えをわかってもらえるようにいっているつもりですが。そういうことじゃないのですか? いっていることがよくわからないです」
「いいですね、よくわからないことを、よくわからないっていうのは大切です」
「知らないのにわかってますなんて、妙な共感や思いやりはマスターには不要だニャ」
「ハチ~~(ハチを睨む)。例えば蝶っていうと凪子さんは何を思い浮かべますか」
「モンシロチョウ、アゲハチョウとかです」
「ですよね、日本語では。それがフランス語の『パピヨン』では、蛾も含まれるそうです。だから、フランスの人に『パピヨンって美しいよね』っていっても、会話はかみ合わないかもしれないですね。まあ、蛾も美しいと思う人もいるかもしれませんがね。つまりは知っている言葉で人は考えるし、想像もする。だから、言葉がわからなければ、その経験を表現できないし、想像もできない」
「あっ。先日ITエンジニアの人が、私が理解できない略語やカタカナ用語ばかりで説明していました。まるで『異次元』でした。だから全然、話がかみ合わなくって、問題点や相手の提案を理解するのに四苦八苦した。あれと似ているかも」
「それは興味深い経験ですね。似ているかもしれません。そういうとき、ITエンジニアが『こちらの気持ちも察してください』っていわれても、凪子さんは共感できますか?」
「ぜんぜん、無理です」
「そう、状況が想像できなければ、よほどの達人でなければ心境もわからないんじゃないでしょうか?」
「だと思います。」
「つまりは、同じ現実を見ていても、相手も同じ思いをもっているとは限らない」
「凪ちゃんの、会社の状況と同じようにニャ」
「そう。それ以上に、同じ内容の会話をしていても、実は正確には理解できていないかもしれない。とくに気持ちが関わる会話では」

「共感」は本当にできるのか?

「だから、共感なんて本当はできるワケなんてないってことでしょうか」
「うーん、100%わかり合えるのは無理でしょうね。古典的ですが、『リンゴがおいしかった』といったら、凪子さんはどういう風景を想像しますか?」
「赤い、なんていうのかツヤツヤしたのをパクパク食べている様子かな」
「私は王林という青いリンゴをゆっくり食べる光景を描いていた。『リンゴを食べる』ひとつとってもこんな感じです」
「だったら、複雑な個人の背景や経験がからんだり、気持ちが関わったりすることなんて、なかなかわかり合えるとは思えないですね」
「それなのに、『わかってくれるはず』『いわれないからわからないよ』の応戦になると結構苦しいですね。よく上司と部下の間でも起っているみたいですが」
「そうそう! そうです。それにウチの両親なんか、そんな会話ばっかりでした。『どうしてわかってくれないの、私の気持ちが』『わかるハズないだろ』みたいなやりとりです」
「それです、それです」
「よく考えれば、後輩は『アイデアが出ません』って事実をいっただけなんです。だけど、私は『アイデアが出ません』=『もう無理です』と解釈した。後輩は、本当は『アイデアが出ないからブレストしてほしい』って思っていたかもしれないのに」
「そうかもしれないし、そうでないかもしれない」
「つまりは、そもそも言葉も厳密にいえば解釈が違う、だから話はかみ合っていない場合が多い。そして、言葉も状況も違う他人の『気持ち』なんていう複雑なモノは、正確にはわからない可能性大。だから『共感』なんて、同じ気持ちを共有するなんて、土台無理なのかもしれないですね」と凪子はいい、窓の外をしばらくぼんやりと眺めた。 

雨が止んだ後に

「マスター、ありがとうございました。不思議な気持ちがしています。マスターは私に『大変でしたね』とか『それはつらいでしょ』みたいな、とってつけたような共感はしてくれなかったけど、私、気持ちがすっきりしているんです。私のモヤモヤをジャッジせずに、理解しようとしてくれたことがうれしかった。いつでも、どこでも、心からの共感ができなくても、率直に話し合うことで、こういう気持ちになれるなら、とってもいいと気づきました。いつでも率直に共感するフリせず話す勇気はないけど」
「私、共感していなかったですかね(苦笑)。自分の気持ちを率直に伝えるのは勇気がいりますよ。本当の『共感』はできないかもしれない。だからこそ、相手の思いや考えを理解しようとする気持ちが尊いんじゃないでしょうか。そういう姿勢が相手に伝わるのかもしれませんね」
「そうですね、うん。そして、条件反射の行動パターンに気づけました! これからは、ちゃんと思考中枢を通して、相手の言葉を受け取ってみます。そうすれば、今までは眼中になかった違う行動選択肢が選べそうな気がします」
「そうですか」
「そして、ついでにわかったことが、ひとつあります。私が相手に共感して、いや『共感してあげた』つもりで自分に負荷かけると、相手にも同じような共感を心の底で強いてしまう。『もっと、私に共感してよ』って。共感したつもりの共感返し、それも倍返しを願っちゃう。それだから、妙にしんどくなるんですよ。なんだか、きょうマスターと話して、心のモヤが晴れました」
「共感の倍返し! それは恐怖ですね。でも、モヤが晴れたのはよかったです。外の雨も上がったようですね」

窓の外を見ると、傘をささずに歩いている人の姿が目に入った。凪子はスクッと席を立ち、会計をすませた。
「じゃね、凪子さん。ショッピング楽しんでね」
「こらハチ、しゃべりすぎだ。ありがとうございました」
マスターが軽く頭を下げた。
「マスター。あの、また来てもいいですか?」
「いつでもお待ちしています」
凪子はいつしか扉の前に移動しているハチの頭を撫で、振り返ってマスターに会釈した。
そして、ピンクのバッグをグイッと肩にかけて、扉を押して店から出た。
外は鮮やかなピンク色の夕暮れの世界に変わっていた。 

第1章 ポイント

 ●同じ「言葉」を使っていたとしても、言葉の理解そのものが実は人それぞれ違っている場合が多い。
●言葉の理解が違っているという前提に立つと対話はそもそもずれている。
●共感は「他人の痛みを自分の痛みに置き換えた」感情の動きである。よって、相手が本当に感じていることや、してほしいこととは別物の場合が多い。
●「共感」はいつでも、どこでも、誰にでもできるものではない、という土台に立ったうえで相手の気持ちを察しよう、思いやろうとすることが大切。

*   *   *

第1章はここまで!
続きを読みたい方は、各電子ストアにて9月5日より随時発売になります。ぜひお買い求めください。
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■書籍情報

なんとく生きづらさを感じている方が自己肯定感があがり
自分を大切にして、あなたらしさを発揮することができる


次のようなときはありませんか?

●上司や同僚のいうことに納得できなくても、ついつい「いいですね」という
●大変そうな同僚や後輩が見逃せなくて「大丈夫?」と声をかけて残業してでも手伝う
●仕事や役割を振られると手一杯でも引き受ける
●部下や子どもが思ったように育たない

しかし、悩みはなぜ減らないのでしょうか。

それは心の「内側」や表面的なスキルのみに焦点をあてている場合が多いからです。

コーチングやさまざまなセラピーは、心の内側を大切にし「なりたい姿」を引き出す内容が多いです。それは素晴らしいですし、私もコーチングを習ってよかったと思います。

しかし、願いや「なりたい姿」を社会で実現するには「外側」、社会の仕組みも知る必要があると気づきました。

そういう社会に潜む「悩みをつくらせる」仕組みを知る必要があります。

本書は内面やスキルのみならず、哲学的思考の観点を通した「外側」(悩みをつくらせる構造)とコーチング手法を使った「内側」(心の探求)という両側面から「悩み」を紐解いています。そうすることで、自己肯定感もあがります。

とくに「お金」「共感」「期待」「役割」「自分がわからない」の5つを取り上げました。
5つの物語の主人公とぜひ対話してください。

あなたを縛る仕組みから解き放ち、自己肯定感があがり、自分を大切にして、あなたらしさを存分に発揮するヒントになると幸いです。

【目次】

第1章 「共感」って何?
第2章 「お金」探求
第3章 「期待」って何?
第4章 「役割」
第5章 自分の考えがわからない

■著者プロフィール

谷脇まゆみ

ライフワークラボ 主宰。自己肯定感アップ+未来クラフティングコーチ
CPCC(米国CTI認定プロフェッショナルコーアクティブコーチ)、国家資格キャリアコンサルタント資格取得。のべクライアント数1200人、のべセッション(対話)時間は約2000時間。「キャリアデザイン」「コミュニケーション方法」などを含めた研修やセミナーに年120回以上登壇。受講生に寄り添った的確なフォードバックで好評を得ている。また、プロコーチの活動として、「自分にOKと言える」「5年間願っていた姿を6か月で実現できた」「売上がアップした」など変化するクライアントを数多く見る。その後、西洋哲学と出逢い「悩みを作る仕組み」を紐解くヒントを得る。今の延長線上にない自分の将来像を手創りする「未来クラフティング」を新たに展開して、縛りが解けた、将来像が変わったなど喜びの声をいただく。

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