見出し画像

秋元康と資本主義の終焉を仕組みビジネス(ビジネスモデルという発想)の終わりから考察する N99

 資本主義特有の大量生産大量消費に限界を感じているのは共通の認識だと思う。これは世界共通の認識と言っても過言ではないだろう。21世紀に入ってからはそれをどう克服するか?あるいは代替案を提示するか?とあれこれやってきたが、マスカスタマイゼーションとかロングテールとかプラットフォーマーとか、どれもこれもビジネスモデルだったり仕掛けだったりを作って上手くやった者が勝つみたいな発想が続いてきたが、こんな発想自体がもう限界なんだとふと思った。  

 ビジネスモデルを主張したきた人は仕組みを作ってあとは楽に稼ぐ。プラットフォーマーに至っては手離れの良いモデルが好ましい(しんどいところはお客さんやパートナーにやってもらおうというひどい発想)と公明正大に言ってた人もいたのだが、それは資本主義ゆえに成立した話だと思うのだ。

 最近の海外のビジネストレンドワードはエンゲージメント(Engagement)で日本語でいうと約束、契約、債務、婚約、(歯車などの)かみ合いという訳があるのだが、関係するプレイヤーと徐々に噛み合わせながら深く一体化していくことを指す。Customer EngagementとかStakeholder Engagementなどが代表だ(日本では人事領域だけ顕著にこのエンゲージメントが流行っているようだが、最近の日本の事情は知らない)。  

 この言葉が出てきた背景は営業トークで風呂敷を広げて契約した後は無責任に放置するようなことが頻繁に起きていたのが、最近は最後まで逃げずに責任を持ってやり遂げますということが当たり前になってきたのが背景にあると私は見ている。特に世界金融危機までは特に米国はバブルで売る方も買う方も後先考えずにお金を使っていたが、それが正常な取引になってきたと言える(それでも日本人から見ると景気が良く見えるが)。  

 そういったことで今まで仕組みを作って規模を拡大させる売り切りモデルから墓場まで一緒モデルに変わろうとしているのだと私は期待をしている。この墓場まで一緒モデルになると今まで割りを食っていなかった(利益率が低かった)プレイヤーがむしろ注目を浴びることになる。小売店舗だったり、運輸業だったり、下請けのシステム開発会社だったり。お客さんに怒鳴られながら汗かいている割には得る者が少なかったプレイヤーが陽の目を浴びる可能性が高いのだ。  

 これらのプレイヤーがどう発展していくか?あるいは今の仕組みで儲けているプレイヤーが変貌を遂げるか?を見ていくと資本主義以後の体制のヒントが隠されていると思う。  

 秋元康は昭和に終わらず平成までヒットを飛ばし続けてきたが、その仕組み作りにおいて彼は天才だったと思う(高井麻巳子と結婚したことが同じ男としてカッコいいと思ったが)。しかしこのエンゲージメントの時代においては仕掛けや仕組みを作る仲介者がおそらく不要になるから、彼の活躍が今後はあまりなくなることになる。この仮説の検証はコロナ以後にはっきりわかるだろう。 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?