ベランダのプランターで房なりに育ったトマトが、赤く色づいてきた。友人は自分の子供にそれを指差し「しゅうかく」という言葉を教えようとしていた。1歳10ヶ月なのに助詞も正しく使うほどよく喋れる子で、小学生の頃に読んだ「天才えりちゃん、金魚を食べた」という本を彷彿させる。お母さんが、地味ながらも丹念に子供に話しかけをしているのをよく見ていたし、ご両親共々才能のある人たちだから、他人の私まで期待を寄せてしまうような女の子である。いつも綺麗な色のふわっとしたスカートを着て、あのウィスパーヴォイスで話しかけ、そのまま風船にでも乗って歩いて行ってしまいそうだ、と私はあの子をみるといつもその絵が頭に浮かぶ。
彼女は私が記憶しているかぎりではおそらく、息子が初めて出会った同年代の子で、昨日という締め括りの日に会うに相応しい子であった。(勝手にそう私の中ではストーリー立てられている)
私の息子は本来ならば、先の4月より保育園に登園するはずであったが、昨今のこの状況により、やっと本日が初登園日であった。区の規定で慣らし保育が義務化されていることもあり、初日はたったの2時間のみの預かり。この子が生後10ヶ月だった頃、一時預かり保育を利用したときは、口をへの字にして泣き叫ぶこの子を背に、文字通り後ろ髪を引かれながら、罪悪感いっぱいで置いてきたものだったが、もう1歳半ともなると登園前日でも私の親や近所の人がハラハラしているぐらいで、心配、不安、緊張などの感情は私にのしかかってはこなかった。自分が精一杯この子に向き合って生活していないという自覚もあったから、早く誰かプロフェッショナルに預けたかったのかもしれない。
一方でこの子にはあまり日本の画一的すぎる社会には馴染んで欲しくないという思いがあったから、たとえば保育園で”保育園語”を習得してくるような子にはしたくないなど、本当のところできたら預けたくないという気持ちが前面にあった。(私の言う保育園語とは、子供と先生たちが童謡調に話す言葉「あーそーぼー」「かーしーてー」の類である)この子には今のところ協調性は確実にない。他人にはあまり興味がなく、けれどそれを無理に正そう、矯正しようという気は私にはさらさらなかった。私自身も幼稚園の何から何まで納得がいかないことだらけで、いつもひとりだった。変に「親友になってあげる」とかいうませた、というか恩着せがましい女の子がいたけれど、そんなものにあやかろうとは思わなかった。私たちの子は何かに夢中になるとひたすら同じことをずっとやりつづけるし、それならそういう才能をひたすらのばせる、本来ならばそんな環境においてあげたかった。
というわけで保育園にあまり期待をよせておらず半信半疑だったし、力んでなかったし、私は余裕だった。余裕をこきすぎていたのだろう。バチがあたったのか、当日朝不意打ちが来た。
左手で髪を持ち上げて、ドライヤーをかけていたら、左の背中に強烈な痛みが突然走ったのである。「痛みが走る」という表現はすごい。誰だろう一番最初に言い始めたのは。ともかく、ぎっくり腰の背中版みたいな痛みだった。痛すぎて座れないぐらい。どうしよう、送り迎え行けるのか・・・服なんかもちろん自分で着れなかった。子供を抱っこすることもできない。しかし夫は仕事(テレワーク)が始まる。しかたなく、夫にすべて準備を(私の身の回りを含め)してもらって、夫の仕事の時間に合わせて予定よりも大幅に前倒しで家を出た。幸いにも、ベビーカーを押してただ歩くだけならば何とかできた。着いたら保育園の先生に手伝ってもらおう。
しかし私は前述のとおり余裕をこきすぎて、用意周到ではなかった。つまり保育園に入るために玄関前で入力するSECOMのパスワードを忘れていたのだ。雨だし、中の先生たち気づいてくれないだろうか・・・背中に痛みを感じながら、だんだんと大粒の雨になってきた中うろうろしていると、他のお母さんがベビーカーを押して向こうのほうからやってきた。しめた!これで入れる。
「すみません、一緒にいれてください!」
そのお母さんの9ヶ月の息子も本日が初登園日であった。ピンクの髪の色をしたお母さんでなかなか珍しい。どういう仕事をしている人なんだろう。先生とちょっと簡単な会話を聞いているかぎり、たまに日本語がネイティブではないような気がふとした。私はとにかく背中が痛かったので、やっぱり泣き喚く息子を尻目に、そそくさと保育園を出てきた。
整体に行っても痛みはあまり治らなかったが、とにかくまた保育園に迎えに行くと、またそのピンクの髪のお母さんに遭遇した。そのお母さんは私の息子の顔をみて(たぶん朝はベビーカーのカバーで見えなかった)
「お子さんダブルですか?」
と言った。そのとき私は、ああこの人は外国人か、もしくは自分の子供もその当事者だ、と思った。日本人でなかなか混血児を「ダブル」という人はいない。みんな「ハーフ」だ。自分たちが当事者だとどうも「ハーフ」という言い方がひっかかる。そうです、と答える。
「私も台湾人なんです」
そうなんですか、台湾はITとかトランスジェンダーの考え方とか先進的ですよね、若い人の活気がある気がするし、今回のコロナへの対応も早かったし、香港からの難民受け入れも積極的だったり・・・みたいなことを、私は知ってる限りの台湾のポジティブな面をつらーーっと話した。そのときの彼女の反応は何故かごまかすような笑い方だったような気がして、ちょっとひっかかった。
その息子さんの名前を聞いたら、その子男の子だと思ってたけど、あれ女の子だったっけな?と思った。その一瞬の戸惑いが伝わったのか、
「女の子でも男の子でもいけるような、ジェンダーフリーの名前にしたかったんです」
とすぐさま答えた彼女。もしかしたら、これは単なる予想だけれども、彼女ももしかしたらトランスジェンダーの人なのかもしれない。
「私LISAっていいます。台湾人だけど、アメリカのパスポートしか持っていない。家族もカリフォルニアにいる、台湾も行ったことない」
あー彼女の愛想笑いの理由はそういうことか。じゃあ、台湾人じゃなくて、アメリカ人じゃないですか!と言おうと思ったけど、とどめといた。自身のアイデンティティの考え方は、必ずしも国籍ではないだろうから。彼女はどういう経緯か、とにかく一番最初に私に「台湾人」と紹介したのだ。
それにしても彼女の話をもっと聞いてみたいと思った。私の子供も、自分の国籍とは全く関係のない国に住まわせたい、教育を受けさせたいとは、ぼやーっと考えていたところだ。おそらくどちらかの国で教育をうけると、その国にがんじがらめになってしまう。ダブルの子は、それによって自己分裂が起きてしまうことを私は恐れている。
息子は私の予想に反して、快活に遊んでいた。先生の話によると少し泣き疲れて寝たらしく、その分すっきりした顔で大好きな風船で遊んでいた。玄関で帰りの支度をしている間に、勝手に階段を上って教室に戻っていくほど、息子は保育園で夢中に遊んでいた。やっと私は息子の気持ちを考えられて、心から安心した。
別れ際にLISAはこういった。
「保育園生活、心配もありますけど、新しい生活がはじまって、この子にとっても私にとってもすごい楽しみですね!」
ああなんてすがすがしい顔だろう。勘のいい、快活そうな彼女。こういう新しい出会いは気持ちいい。彼女にいわれて、確かに第2幕が私にもはじまるような実感が湧いてきた。
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今日は息子が私たちの予想を裏切り保育園を楽しんで、しかも帰ってきたらいつもは座らない椅子に行儀よく座ってごはんを食べ始めた。何か彼に新しい風がやはり吹いたのだろうか。どういう風の吹き回しか、夕食もよりずっとたくさんの量、いろいろな野菜を食べた。そのとき食べたLa torta salataを今日は紹介する。癖の無い手作りリコッタチーズと、これにいろいろな野菜とお肉をいれると子供は食べやすいようだ。
◉Ricetta
La torta salata con ricotta(リコッタリーズのタルト)
<材料>(23cm型)
①ベース
・バター 70g (角切り)
・薄力粉 130g
・卵黄 1個
・塩少々
②詰め物(以下7つの材料を混ぜておく)
・リコッタチーズ 300g
・サルシッチャ(角切りにして軽く炒める)
・ズッキーニ(角切りにして軽く炒める)
・じゃがいも(角切りにして軽く炒める)
・卵2つ+卵黄1つ
・パルメジャーノ適量
・生クリーム少々
<作り方>
・ベースを作る。薄力粉とバターを切るようにして混ぜ、卵黄と塩を混ぜてこねる。生地を冷蔵庫で5時間ぐらいおく
・冷蔵庫から生地を取り出し、室温にしばらくおいてからめん棒で生地を伸ばし、型にしく。
・生地がふくらまないように、ベースの上にタルト用おもりをクッキングシートの上にのせて、180度5分で焼く
・焼いたベースに詰め物をのせて、170度45分で焼いてできあがり
Buon appetito!