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小説「ある日の”未来”」 第10話

「長寿」

 

翌朝、未来は目を覚ますと、いつものように勢いよく部屋のカーテンを開けた。それまで分厚いカーテンに遮られていた朝日が、強烈な光の束となっていきなり目に飛び込んできた。あまりの眩しさに、未来は目を瞑った。

今日も暑くなりそうだな……。

部屋のなかに目を移すと、学習ロボットのモニターが点滅していることに気が付いた。

「おはよう、ロボッチ」

ロボットを起動させながら、未来が声をかける。ロボッチはしばらくモニター画面を白黒させてから、ようやくスタンバイした。

「おはよう、未来。学校からメッセージが届いているよ」

と報せたものの、なかなか文章が出てこなかった。

「おいロボッチ。まだ寝ぼけてんのか!」

未来がイライラしながら待っていると、ようやくモニターに表示された。そこには、昨日、パパが予想したとおり、明日の登校日が中止になったと書かれていた。パンデミックが収まるまで、当分の間、授業はリモート学習だけになるというのだ。

陽葵(ひまり)に会えなくなるなあ……。

まっさきに頭に浮かんだのは、そのことだった。これまで学校で顔を合わせても、一言も言葉を交わしたことがない彼女だったが、会えないと思うと、よけいに会いたくなった。これまで経験したことのない感情に、未来は戸惑った。
そのとき、未来のスマートフォンにメールが届いた。なんと、その陽葵からだった。未来はメールを開くほんの数秒ですら、じれったく感じるのだった。

“午後、海岸で待ってる”

それが、陽葵から受け取った初めてのメールだった。心臓が波打つように鼓動を早めた。

なんて返事しよう……。

いくら考えても言葉が浮かんでこない。未来はしばらくスマートフォンとにらめっこをしてから、たった一言、ようやく返信ボタンを押した。

“うん”

 「発達個性」が顕著な未来は、数学や物理の難しい問題を解くのは得意だが、文章を書くのは大の苦手だった。

こんなことなら、もっとちゃんと国語を勉強しておけばよかった……。

昨日の海といい、今日のメールといい、「うん」としか返事ができない自分を、これほど情けないと思ったことはなかった。

「発達個性」は一昔前まで「発達障害」と診断され、治療の対象となっていた。今では、学校でも社会でも、その人の個性として尊重されている。だが、どうやら、未来の個性は、人とのコミュニケーションには不向きなようだ。


リビングでは、パパがテーブルの前で新聞を読んでいた。ばあにゃはキッチンで朝食を作っている。

「おはようっす!」

と、未来が挨拶すると、パパは新聞から目を上げて、

「おはよう。やっと起きてきたか」

と、じろりと未来の顔を見た。

「おはようっす、じゃなくて、おはようございます、だろ!」

ばあにゃはカウンター越しに、

「おはよう、未来。ずいぶんお寝坊さんだね。今日は学校だろう。早く支度しないと遅れるよ」

と言った。ばあにゃはまた、リモート学習のことを忘れているようだ。

未来が返事をしようとしたとき、ママが眠そうに目をこすりながら、部屋から出てきた。

「おはよう。みんな早いのね」

「おはよう。論文は書き終わったのかい?」

と、パパが訊いた。

「ええ、なんとか。今日も、リモートワークで助かったわ」

「え、ママもリモートワークなの? ぼくも、今朝、学校からメッセージが来て、これからはリモート学習だけになるんだって」

と、未来はばあにゃにも聞こえるように、大きな声で言った。

「そうなの。じゃあ、明日の登校日は中止なのね。それは残念ね」

ママは気の毒そうに未来の顔を見た。

「やっぱり、パパが言ったとおりになったろう」

と、パパは自慢げだ。

「そりゃあ、がっかりだね。でも、今度のウイルスはこどもを狙い打ちにするようだから、そのほうが安心だよ」

と、ばあにゃがカウンターから、みんなの顔を見渡しながら言った。

「パパは、リモートワークじゃないの?」

と訊かれて、新聞をテーブルの上に置きながら、

「いや、今日も出かけるよ。パパの仕事はリモートじゃできないからね」

と、パパは答えた。

朝食が済むと、ママは大きなあくびをしながら、

「やっぱり、もう一眠りしてくるわ」

と言って、部屋に戻っていった。

「ママ、大丈夫かな……」

後ろ姿を目で追いながら、未来が呟いた。

「夕べは徹夜したみたいだからね。でも、寝ればまた元気になるさ」

と、パパはのんきだ。

「ママの仕事って、たいへんなんだね。徹夜なんて、ぼくにはできないよ」

「大人はみんな、たいへんなんだぞ。未来も大人になればわかるよ」

「ぼく、大人になんか、なりたくないな」

「そうか。じゃあ、未来はずっと、こどものままでいるか」

「それも、やだな」

「おいおい、それじゃ、どうしたいんだ?」

「わかんない。でも、こどものままで、たいへんじゃない大人になりたい」

「あきれたやつだなあ」

パパは笑いながら、未来の頭に腕を回した。

「だって、もし、人類がほんとうに絶滅してしまうなら、こどものままで、みんなといっしょにいたいんだもん」

パパはドキッとして、未来の顔を覗き込んだ。こども心にも、人類絶滅の恐怖は肌で感じているのだろう。こんな世界にしてしまった大人の一人として、パパは返す言葉が見つからなかった。
すると、

「心配ないよ。人類はそれほどバカじゃないさ」

と、にこにこしながら、ばあにゃが言った。その声の勢いに、二人は圧倒されたのだった。

ばあにゃは今年、75歳になっていた。いわゆる後期高齢者の仲間入りだ。腰痛には悩まされているが、足腰はしっかりしている。自分ではまだ60歳のつもりでいるのだった。

「昔より寿命が延びているからね。今は、年齢に8掛けするくらいで、ちょうどいいのさ」

と、ばあにゃはいつも言っていた。

「それじゃ、ぼくは今10歳だけど、まだ8歳だね」

と未来が言うと、ばあにゃは、

「こどもは、そのまんまの年でいいんだよ」

と、わけのわからないことを言って、未来を煙に巻くのだった。

2032年、日本の少子高齢化は、断然、世界のトップを独走していた。
皮肉なことに、日本の先端医療が、IT・デジタルやロボット工学をはじめ、ナノテクノロジー、再生医療、ゲノム医療、ウイルス治療など、多くの分野で世界のトップクラスにあることが、少子高齢化を一段と加速させていたのだ。

政府はこのままでは、保健医療制度や年金財政が破綻すると、ことあるごとに国民に訴えていた。
そこで、これまでの前期高齢者、後期高齢者とは別に、超高齢者のための新たな保健医療制度を導入しようとした。
この新制度によって、保険料の算定にこれまでの所得額に資産額を加えることで富裕層の負担を増やすと同時に、一部負担金の割合と高額療養費の限度額を引き上げることで、医療費を大幅に抑制しようとしたのだ。

当然、富裕層は猛反発したが、それ以上に、多くの国民が、これでは高齢者を病院に行かせないようにする、まるで「現代版姨捨山」ではないかと、厳しく批判したのだった。

「まるで年を取るのが悪いことのように言われちゃ、かなわないね」

と、ばあにゃが嘆いた。

「少子高齢化なんて言い方じゃなくて、『貴子長寿化』とでも言って欲しいね」

ばあにゃには珍しく、しきりにぼやいている。

「少子化対策なんて、まるで戦前の 『産めよ、殖やせよ』みたいじゃないか」

と、ばあにゃが腹立たしげに言うと、

「そうですね、これまでのように、国力を人口や経済力で測るのではなくて、かけがえのないこどもたちが、どれだけ長生きできるかで測るというように、大胆な発想の転換が必要ですね」

と、パパも大きく頷いてみせた。

ばあにゃとパパの話は難しくて、未来にはよくわからなかった。

「ぼく、勉強するね」

と言って、未来が席を立つと、

「お、偉いな。今日も社会の勉強か?」

と、パパが声をかけた。

「うーうん。今日は国語」

と、未来が振り向いて返事をすると、今度は、ばあにゃが、

「それはいいね。国語は大事だからね。しっかり勉強するんだよ」

と励ますのだった。


未来は部屋に戻ると、学習ロボットのスイッチを入れた。

「今日は何を学習する?」

と訊かれて、未来はさっきのメールの続きを書こうと思い、

「ねえ、ロボッチ。ラブレターってどうやって書くの?」

と訊いた。
さすがに、陽葵への返信に、「うん」の一言ではまずいだろうと思ったからだった。

ロボッチはしばらくモニター画面を白黒させてから、

「国語の作文の勉強だね」

と答えた。

「そうじゃなくて、ラブレターの書き方だよ」

「じゃあ、日本語の構造と文法の勉強から始めようか」

「そんなことじゃなくて、ラブレター。わかんないやつだな」

「ラブレターは手紙文の一種で、相手に自分の感情を伝える表現形式で、……」

「もういいよ。まったく役に立たないロボットだ」

それでも、ロボッチは何か検索しているらしく、カーソルをしきりに点滅させてから、モニターにこんな文章を表示した。

「芥川龍之介という有名な作家が書いた、こんなラブレターがあります。

『僕は時々文ちゃんの事を思い出します。……、(文ちゃんを)貰いたい理由は、たった一つあるきりです。そうしてその理由は、僕は文ちゃんが好きだと云うことです。…… 』 
(大正5年8月25日)

『僕は文ちゃんを愛しています。文ちゃんも僕を愛して下さい。愛するものは何事をも征服します。…… 』 
(大正6年9月5日)

『二人きりでいつまでもいつまでも話していたい気がします。そうしてkissしてもいいでしょう。いやならばよします。…… 』 
(大正6年11月17日)

どうですか?参考になりましたか?」

未来はモニター画面を食い入るように見つめてから、

「こんなこと、書けるわけないだろう!」

と、顔を真っ赤にしたのだった。


学習ロボットが相手の勉強に飽きると、未来は休憩がてら、裏庭に行った。今日も、ばあにゃが野菜作りに励んでいるはずだ。
ところが、ばあにゃの姿が見えなかった。
太陽は真夏のような日差しを、容赦なく地面に照り付けている。

変だな。どこに行ったんだろう……。

未来が辺りを見回しながら、ばあにゃの畑の近くまで来たときだった。

「あ! ばあにゃ、どうしたの?」

プランターの横で、ばあにゃがぐったりと、うずくまっていたのだ。 

「ばあにゃ! ばあにゃ!」

返事がなかった。
未来は初めて、全身から血が引いていくような感覚に襲われて、ぞっとした。次の瞬間、未来は玄関に向かって駆け出していた。
パパはもう出かけている。

「ママ! ママ! ばあにゃが、ばあにゃが、たいへんだよ!」

未来の必死の叫び声を聞いて、ママは慌てて部屋から出てきた。


病院のベッドの横で、未来が心配そうにばあにゃの顔を覗き込んでいる。
未来は生まれて初めて、救急車に同乗した。意識が朦朧としていたばあにゃの様子を見て、ママが迷わず呼んだのだった。
ママは今、廊下でパパに電話をしている。

点滴の管を流れ落ちる透明な液体を眺めていると、ばあにゃがこのまま死んでしまうのではないかと、未来は不安でしかたがなかった。いつも元気な顔しか知らない未来には、こんなにも弱々しく、小さな体のばあにゃは、まるで別人のように思えた。

息をしているのか心配になり、枕元にそっと顔を近づけてみた。
すーっと、微かに呼吸する音が聞こえて、未来はほっと胸を撫でおろした。そのとき初めて、未来は人が生きていることの証拠を悟ったような気がしたのだった。

ようやくママが戻ってきて、未来はほっとした。パパもすぐに駆けつけるという。
ばあにゃは相変わらずスヤスヤと眠っていた。熱中症という診断だった。心臓も弱っていたので、危ないところだったと医者が言っていた。

しばらくして、パパがバタバタと病室に入ってきた。すると、その音に反応したように、ばあにゃが目を覚ました。
ばあにゃは、自分がどこにいるのかわからないようだ。きょとんとした顔で、みんなを見ている。

「なんだい、みんなして……」

「気が付いてよかった。気分はどう?」

と、ママが訊いた。ばあにゃはそれには答えず、あちらこちらに目をやってから、

「ここは病院かい?」

と尋ねた。

「そうよ。大丈夫?」

「どうやら、そのようだね」

「おかあさん、熱中症で倒れたのよ。もう、びっくりしたわ」

「そうなのかい。それは、心配させて、すまなかったね」

「ばあにゃ、大丈夫? ばあにゃが死んじゃったらどうしようって、ぼく、すごく怖かったんだよ」

「そうかい、そうかい。ごめんよ。未来にも心配させちゃったんだね。でも、もう大丈夫だからね」

「うん。よかった」

「畑仕事はしばらくお休みしたらどうですか?」

と、パパが言った。

「そうだね。今度から、朝の涼しいときだけにするよ」

と、ばあにゃが返事をすると、

「そうよ、そうしないとだめよ」

と、ママが諭すように言った。

「ところで、ちょうどいい機会だから言っておくけど、今度もし、また倒れて意識が戻らなかったら、人工呼吸とか、よけいな延命措置はしないでおくれね」

と、ばあにゃは意外なことを口にした。

「何を言うの、そんなのだめよ!」

と、ママが声を荒らげた。

「そうですよ、おかあさん。そんなことは言わないでください」

と、パパも心配そうに言った。

「ありがとう。でもね、もし意識が戻らなくて、植物人間になってしまったら、そのときは頼むから、延命装置は外しておくれ」

「それって、安楽死をしたいってこと?」

と、ママが険しい表情で訊いた。

「そう、その安楽死。もう十分生きたから、植物人間になってまで生きたいとは思わないよ。だから、頼むね」


超高齢社会を迎えて、日本は今、重大な選択を迫られていた。

近年、延命治療が飛躍的に進歩したため、今では植物状態のまま何十年でも生きることが可能になっている。たとえ意識が戻らなくても、大切な人には生きていて欲しいと、多くの家族が望んでいた。

今では、人間を凍らせて保存する冬眠技術まで可能となっている。治療法が見つからない多くの難病患者が、将来の医療に期待して、自ら冷凍保存を希望していた。

一方で、植物人間になることを望まない人が増えていた。自分では何もできなくなってしまったら、他人に迷惑をかけてまで生きていたくないと思う高齢者も増えていた。

生命科学と医療技術の進歩によって、生と死の境界が限りなくあいまいになっていた。

こうした状況で、政府は今、長い間タブーとされてきた安楽死を認めるか否か、その判断を迫られていた。
尊厳死を望む多くの賛成派と、それは単に財政的理由から自殺幇助を合法化するに過ぎないと主張する反対派の間で、国民の意見は鋭く対立していたのだった。

話をしているうちに、ばあにゃの顔に生気がよみがえってきた。未来はばあにゃの手をしっかりと握ると、

「ねえ、ばあにゃ、またいっしょにトマトを育てようね」

と言った。

「そうだね。未来はいい子だね。ばあにゃはまだ死なないから、安心しなさい」

と、ばあにゃは未来の頭をやさしく撫でるのだった。

 

(続く)

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