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京町家との格闘をお話ししてみなさんと一緒に考えます

その22 おわりに、をはじまりに  格闘などという勇ましいタイトルを掲げて始めた論考も一通り終えることができました。もともとは10数年前に各職方に聞き取りしてまとめた、町家などの伝統木造建築の技をまとめたものがお蔵入り状態になっていて、協力してもらった職人に申し訳ないと思い続けていたのです。その思いがよくわかっていないWEBに手を出すきっかけでした-今でもわかっていない―。そして突然職人の技を紹介しても〝なんのこっちゃ〟となるだろうから、前半の「京町家ってなに」を自分なりに〝

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      その21町家を作り守ってきた職人の技-11・庭京町家の庭について  古来より日本人は自然に親しんできました。山川草木に崇高な命の輝きを感じ、祈りを捧げました。それに渡来の道教の神仙思想や仏教が形を与えたのが日本の庭園です。それには様々な形式はあるものの基本は自然を凝集したものであり、自然を象徴したものでした。今でも巨木や巨岩に神々しさを感じ、野に野草を摘み、桜を愛で紅葉狩りに出かけます。そのような人々に相応しいのは野なかの住まいで自然とともにあることだと思います。  しかし町

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        その20町家を作り守ってきた職人の技-10・漆漆について  いまにしてみれば惜しいことをしたと思いますが、京町家の保全再生に関わる前の今から40年ほど前1980年代に、施主から〝蔵はもういらない〟といわれそこに仕舞われていた接客や自家用の漆器も一緒に除却することが数度ありました。その時代はそのような漆器はもう二度と使うことはないというのが世間一般の認識だったと思います。  町家に関わるようになって、床框の呂色塗や地板や棚の拭き漆に触れることになりました。漆工芸の盛んな地域の町

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          その19町家を作り守ってきた職人の技-9・塗装塗装について  より早く、より強く、より美しく、というオリンピックのようなかけ声のもとに左官と同じように、伝統の塗装は避けられ忘れられてきました。仕上げの特性の評価ではなく施工性(経済性)やモダン建築の求める表情などがその採用理由でした。前回の洗いで述べたように近代以降に採用された塗料は木部の塗装としては相応しいものではありませんでした。しかし悪貨が良貨を駆逐するように伝統建築の木部を侵していきました。私たちが伝統木造の町家を直し

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          その18町家を作り守ってきた職人の技-8・洗い洗いについて  かつては冠婚葬祭や新たな年を迎えるにあたり、清めの儀式のように洗い師に座敷などを洗ってもらいました。日本人は古色蒼然の景色を求めるのと同じくらいそれとは相反する清新を好みました。祝儀不祝儀は家で行わないようになるとともに客を招じ入れる機会も少なくなり、また生まれ変わる新年を迎える観念が希薄になることで、洗いの慣習も失われていきました。何より時代が求める住まいのありようが、木や土あるいは紙などの時を刻む素材感ではなく

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          その17町家をつくり守ってきた職人の技-7・板金 板金について  板金は野丁場(ビルなどの建設現場、対は町場)では大活躍です。軽くて加工しやすく、運搬可能な範囲で長尺化することで雨仕舞がよく、屋根勾配を緩くすることができ、かつ施工効率も優れ総合的に経済性が高いです。熱膨張や電蝕(異種金属間の電位差による腐食)に注意して素材を厳選すれば耐久性も期待できます。工場などの屋根はほとんど金属板になりましたし、いまや本葺きに似せて半永久的をうたうチタン瓦まであります。  町場でも近代

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          その16町家をつくり守ってきた職人の技―6・表具 表具について  洋紙(現在普及の)の寿命は100年、デジタル保存といってもDVDは10年―長寿命のものもあるが温湿度管理が必須―。和紙は後段に3千年とあるが、日本での実績は千三百数十年です。技術の進歩っていったい何だろうと思ってしまいます。その和紙の仕事を担うのが表具師です。  実は町家の職掌のなかで表具師はちょっと存在感が薄いのです。たしかに祇園祭が屏風祭りといわれますし、床の間の掛け軸は不可欠な要素です。しかしそれらは調

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          その15 町家をつくり守ってきた職人の技-5・建具―⑱ 建具について  京町家の空間の雰囲気を表す要素として柱と壁といわれることが多いように思います。しかし町家の雰囲気を決めているのは主に建具だと思います。むろん床や天井あるいは壁や調度も意匠空間を構成する要素ですが、視覚上で目に入るのは建具です。オモテの間(ミセ)は一面のみ壁ですが、商品を入れる物入があれば4面共建具です。ナカの間(ダイドコ)は4面共建具です。オクの間は床の間側とハシリ側2面は壁ですが、残る2面は建具です。

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          その14 町家をつくり守ってきた職人の技-4・畳―⑰ 畳について 〝畳の上で死ぬ〟は死語になってしまうのでしょうか。 古代は筵(むしろ)や茣蓙(ござ)のようにたためるものを「たたみ」といっていました。奈良時代は大陸に伍するために唐の文化を取り入れた時代です。貴族は椅子式生活も取り入れ、床几のような台の上に「たたみ」(茣蓙を何枚か重ねて端を縫い合わせたもの)を敷いてベッドにしていました。しかし、塼(瓦タイル)の床は、冬は底冷えし、梅雨時は結露でびしょびしょになり、不都合なため

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          その13町家を作り守ってきた職人の技-3・瓦瓦について 瓦が町家に葺かれるようになったのは江戸時代後期ですが、江戸では幕府の奨励によって18世紀初めから普及します。京の町衆は江戸の町民のように聞き分けがなく、普及するのは19世紀に入ってからです。また江戸や大坂のような平瓦と丸瓦で全体に土を載せる本葺きではなく、簡略(桟瓦)葺きで土を谷部分のみに敷く筋葺です。柱が細い京町家でももつようにしました。外観意匠を優先したとも経済的合理性(ケチ)をとったともいえます。瓦が葺かれたことで

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          その12町家を作り守ってきた職人の技-2・左官各職のはじめに  以下の各職の話は冒頭の「○○について」を除き各職方が話したことに補足してまとめたものです。末尾の「伝えたいこと」は次代の職人に向けた言葉ですが、皆さまにも受け止めていただきたい内容です。 左官について  私が仕事を始めた1970年代の初めに野丁場(ビル現場)では左官は嫌われていました。〝時間がかかるし現場を汚す〟といわれ、近代化の遅れた業種とみられ蔑みを込めて「湿式」と呼ばれていました。そして現場ではいかに左官

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          その11町家をつくり守ってきた職人の技-1・大工 仕上りと特徴―大工の役割と心得  「細工は流々仕上げを御覧じろ」で大工の成果物はできあがった町家すべてになります。大工(棟梁)の守備範囲は広く建築全般に関わります。墨付け、刻みを間違えば建て方の手傳が〝こんなもん入らへん〟といって部材を放り投げてきます。エツリ穴(間渡し竹・木舞を止める骨竹)の位置(約1尺1寸ピッチ)を過てばエツリ屋から指が入らないと文句を言われます。軒切り(棰の出寸法)を過てば瓦の中途半端な働き(見え掛り寸

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          その10町家を作り守ってきた職人の技保存から使うそして作るへ  民家(町家)への関心は江戸時代からありましたが〔※1〕、本格的に注目されるのは失われるそれらを記録として残そうとしたときからで、1922年に出版された『日本の民家』〔※2〕を嚆矢とします。制度的には明治30年にその3・③で述べた神仏分離令(神仏判然令1868)が引き起こした廃仏毀釈の反省から「古社寺保存法」(1897)が定められ、「国宝保存法」(1929)も制定され,指定された民家もわずかにありましたが(旧国宝)

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          その9 では今京町家をどう生かすのか  今までお話ししてきたことで町家のとらえ方や合理性あるいはすぐれた職住兼用の町なかの住まいであることを一定ご理解いただいたことを前提にして、それでもかつての暮らしと今と一緒にできるのかという疑問が残るのではないでしょうか。戦後の改修が町家のしくみや構えに相応しくないにしてもなんでその是正の費用を私が負担しなければならないのか、または町家に住むには現代の快適性を享けることをあきらめなければならないのか、五感で涼を感じるといってもヒートアイ

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          その8 今なぜ京町家か今というのは過去の終わりであるとともに、未来の始まりであって、今は永遠の今である。したがってこの今において、我々は過去に結び付き、かつ過去を生かしてこそ、初めて未来の鏡になる。 安岡正篤(『日本の伝統精神』) かつて縄文時代から弥生時代に変わる時に日本民族が入れ替わったという見解がありました。宇宙と交感するような装飾的な土器から機能的で近代的でさえある土器への変化が、そのように考えられた理由でした。しかし土器サンプルが増えるに従い、縄文から弥生への変化

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          その7京町家と地震・雷・火事・・-〔3〕(続き) 京町家と火事・大風  雷は町家にとっては〝親父〟と同じく直接関係ないので火事と台風に対する備えや構えを見ていきます。 火 事 火を出しても住み続けられる 京都では火事を出してもどてらを藁縄でくくり罪人の格好をして近所にお詫びをして回れば住み続けられるという慣習があります。京都大丸百貨店で失火したときに社長の下村さん夫妻がそのような格好で近所を侘びて回り、〝さすが下村さん〟と株が上がったということです。 京町家は火事に無頓着 

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