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京町家との格闘をお話ししてみなさんと一緒に考えます

その21町家を作り守ってきた職人の技-11・庭

京町家の庭について
 古来より日本人は自然に親しんできました。山川草木に崇高な命の輝きを感じ、祈りを捧げました。それに渡来の道教の神仙思想や仏教が形を与えたのが日本の庭園です。それには様々な形式はあるものの基本は自然を凝集したものであり、自然を象徴したものでした。今でも巨木や巨岩に神々しさを感じ、野に野草を摘み、桜を愛で紅葉狩りに出かけます。そのような人々に相応しいのは野なかの住まいで自然とともにあることだと思います。
 しかし町なかでは建て込んでいてそうはいきません。その自然への憧憬を間口が狭く奥行きの深い地割に埋め込んだのが京町家の庭です。表町家に限らずたった2室しかない路地奥の長屋であっても必ず奥に庭があります。
 京町家の庭の大きな役割は光とうるおいですが、形は伝統的庭園、特に数寄屋の路地庭を継承しているといわれます。京町家の庭に対するとき配置や景物のバランスあるいは草木の手入れなどの景色としてながめるだけではなく、景石、樹木や下草は自然信仰を継いだもの、燈籠は神様の足元を照らすもの、付近の踏み石は神を遥拝するため、蹲は禊ぎのための手水などと淵源をたどりながら眺めると、また違った心持ちで庭を堪能することができると思います。

京町家の庭

京町家の庭
1.仕上りと特徴
1)仕上り
・前栽、ゲンカン庭、中庭、露地庭

2)構成要素
・石:灯籠、庭石、飛石、伽藍石、沓脱石、手水鉢、蹲居、飾井
   戸、砂利
・植栽:樹木、灌木、竹、地被類(苔、下草)
・構造物:竹垣、門、枝折戸、袖垣
・軒内:犬走り

3)特徴
 町家の庭は、建物が密集する都市のなかで快適に暮らすため、通風換気、採光を確保する必要と精神的息抜きのため、必然的に自然発生的に形成されたものである。特に京都では歴史的な都市区画の要請から間口に比べて奥行きが深いため、表屋、主屋、離れの間には庭が必要であり、ザシキに付属する前栽、ミセと住まいに付属する中庭など、洗練され観賞性の高い庭が造られてきた。町家は表が道に接するためパブリックな性格がつよく、それに対し奥にある庭はプライベートな外空間であり、生活に密着した暮らしの庭である。都市という人工のなかに自然を凝縮して取り入れた町家の華であり、都市周辺の自然へとつながる。
 京町家の庭の様式の基本は茶の庭である露地から変化してきたと考えられる。構成要素が多く、材料は吟味された良質のものを使い、構成が非常に洗練されている。 
 日本の庭園は、太古の昔から大自然に対する信仰を持ち続けているのが大きな特徴のひとつである。信仰の道具立てとして、灯籠、飛び石、手水鉢などがある。西洋のガーデンには信仰はない。その意味で、現在の町家の庭は庭園史からいうと庭とはいえず、単なる植栽と道具仕立てで終わっているのが現状である。今では施主も設計者も施工者も信仰を忘れていることが気にかかる。
 灯籠は、神や仏にお灯明をあげるためにあり、手水鉢は、今では手洗いであるが、もとは自分の身を禊ぎし、清めるためのものである。毎朝顔を洗い、手を洗い、禊ぎすることが、古来、信仰の篤い日本人の生活習慣であった。それはいまでも茶道の作法のなかに生きている。
 庭は本来、その家の主人のためにあった。信仰のため、朝晩、神や仏を招くためのものであったが、最近は観光のためにあるかのように扱われているように感じる。町家の庭も、そもそもは、そこにある石を適宜配置し、主人の心を慰めるものであった。自然の石に同じ石はなく、庭は同じものはできない。庭はその家の主人が手を入れつつ成長してゆくものである。出来たては若々しくて落ち着かないが、手を入れて、10年経って、庭のよさが生きてくる。建物も建ったときが一番良いわけではなく、10年手を入れて、やっと良くなっていくのと同様である。


余話1―職人のコミュニケーション(佐藤嘉一郎)
 現代の現場では、大工の仕事が終わってから左官が入るというように、各職の職人同士が現場で出会うことがすくなく、業種間の連絡が少なくなってしまっている。昔の現場は各職の職人さんが現場で作業することが多く、現場に居る時間が長いため、他の業種の職人さんと仲良くなり、お互いの仕事について自然と知ることになった。私は左官職人として育ったが、子供の頃から現場で茶を沸かし、他の職種の職人さんの話を聞き、町家では床を張る前に庭に使う重いものは運び込んでしまうことなど、様々なことを学んだ。


庭のはじまり

2.日本の庭の誕生とあゆみ
 日本では、古来、あらゆる自然を神とする自然信仰があり、高い山や高い木、大きな岩、島などを神の依り代、象徴と考えてきた。時には雷とともに神が降りてくることもある。そんな神を喜び、畏れつつお迎えした。しかし、神様を日常的に礼拝するのに、高い山に出向くのは不便なので、ふもとに神をお祭りして、いつもお参りするようにした。そのようにして、1万年経ってもかわらない神様の象徴としておかれたのが石であり、それを自分の庭に置いたのが、日本の庭のはじまりである。そのような信仰の対象を石や木に託して自分の身近に引き寄せたものが、日本の庭のはじまりであり、神池・上島、磐座・磐境が残る。
 また、中国で作られてきた庭が日本にも伝えられ、道教で理想とされた蓬莱や常世の世界を表現する庭園や、仏教の思想をもとにした極楽浄土を表現し、須弥山、三尊石、石灯籠などをもつ庭園が造られ、形のなかった日本の信仰に形を与え、庭に大きな影響を与えている。

・道教の庭
 中国では、道教で理想とされた蓬莱や常世の世界を庭園として再現することが行われていたが、それが日本にも伝えられた。蓬莱、常世には数百才を超える仙人が住み、仙人のお使いである鶴亀が住んでいる。そんな蓬莱の山の近くに行けば長生きできると考え、家の側に池を作り、そのなかに蓬莱山を模した島や山をつくり、蓬莱の山に向かう船を模した船石を置き、蓬莱の宝島に宝や長寿をもとめて行くことを表現した。実際に船を池に浮かべ、船で島にむかうこともあった。

・平安時代:遊びの庭
 平安時代には寝殿造りの建物と一体として庭がつくられ、池、中島、築山、立石、遣り水、植栽などで構成される庭園では大陸から伝わった舟遊び、曲水の宴などが行われた。
 この時代の庭は権力者の大きな庭のみで、一般の家には庭はなかった。平安時代後期には末法思想を背景に浄土教庭園が造られる。代表例として、平等院(宇治市)、毛越寺(岩手県)、浄瑠璃寺(加茂町)などの庭がある。

・鎌倉時代:禅修業のための庭(蘭渓道隆・建長寺方丈庭園)
 鎌倉から室町時代にかけて、簡素な造りの寝殿造から洗練された書院造が発展した時代で、庭園も盛んにつくられ、今のようなたくさんの庭の源流となっている。
 庭の構成要素として鯉の滝登りを象徴する「龍門の滝」がある。龍は中国では最も大切にされるが、鯉は川を遡り、3段の滝を登り切ることで龍になるといわれ、その鯉を見習って修行に励む禅宗の公案を表現している。 
 代表例に西芳寺庭園がある。(ただし、室町時代にも手が入っているといわれる。)また、中国南宋からの渡来僧である蘭渓道隆が建長寺に築いた建長寺の方丈庭園があるが、現在の庭は江戸時代初期の絵図により2,003年に築かれたもの。

・室町時代:更に禅宗の影響が強くなる
 鎌倉時代から試みられていた書院造が室町時代に完成されたとされる。特に禅宗の影響の濃い庭が作られ、修行の道場ともなり、禅の公案(題)が表現され鯉の滝登りを象徴する「龍門の滝」などが造られた。また、抽象性の高い枯山水の庭が作られてきた。有名な龍安寺の石庭もそのひとつで、庭で表現されたとされる公案の答えはまだわからない。また、花の咲くものは避け、あっても一箇所のみにすることが多い。代表的庭園として、龍安寺庭園、大徳寺大仙院庭園、龍源院庭園、金閣寺庭園、銀閣寺庭園などがある。代表的な庭の作り手として夢想疎石がいる。
 安土桃山時代にも盛んに庭園が造られたが、秀吉など作者の個性が表現されるようになる。例えば秀吉による庭園では豪華なものが好まれ、醍醐寺三宝院、高台寺円徳院などがある。
 また、利休が大成した茶の湯の影響を大きく受けるようになった。茶の湯はもともと禅の修業の一部であったが、茶事は誰でも楽しめ、親しいなかで、名品を楽しみながら、茶にふれて禅宗の思想や日本文化の様々な側面を学ぶことができる。茶庭は利休の求めた侘び茶の思想や、真行草などの考え方にもとづいて作られ、崩したなかにも茶の精神がみられる。茶庭の構成要素として役石、飛び石があるが、客を導くためにそれをたどっていくために配置され、その過程に中門、額見石、にじり等がある。飛び石はそれ以前の庭にはなく、飛び石があれば400年前以降の庭であることがわかる。手水は茶庭に欠かせないものであり、両手と口を漱ぎ、身を清め、禊ぎをするためにある。現在でも町家の庭に残り、便所の手洗いに使われている。

・江戸中期:大名庭園
 江戸時代に作られるようになった大名庭園は、上記の様々な庭園を総合したものである。目的は、接客用のほか、家族用として各地の名所を再現し、自由に出歩けない奥方・女中・家来に見せたり、庭に畑、梅林をつくり、大名が庶民の労苦をしのぶこともあった。大名庭園には陰石、陽石を配置していることが多いが、夫婦和合、子孫繁栄を意味し、世継ぎを求めて作られた。

・京町家の庭
 京町家の庭は中世以来、町家の形成とともに作られてきた。現在に伝わる京町家の庭は、宗教色、信仰の色がみえない庭となっているが、構成要素は茶の庭、露地がベースとなっている。環境条件から、大きな庭は出来ず、陽はあまり当たらないので、木はあまり育たないため、良い松は育たない。
 庭の資材は家を建てる前に入れる。それ以外は、トオリニワを通して入れるため、大きな灯籠を入れるのは無理がある。庭に灯籠が入ったのは茶庭が出来てからであり、夜の茶会のために入れた。手水鉢は見立てのものが多く使われるが、廃物利用でもある。棗型の手水鉢が多いが、板を敷いて転がして運びやすいためと思われる。
 降り蹲(おりつくばい)は大正頃から作られるようになった。飾りであり、無駄なものともみえるが、庭の排水のための機能を果たしている。
 明治後半以降、大邸宅から庶民の庭に至るまで庭作りが流行し隆盛を迎える。現在の町家の庭のイメージを作っている。それは特に明治中頃から昭和初期にかけて庭師『植治』の活躍の影響が多分にある。


余話2―植治の年表
 
明治20年 「京都園芸業組合」結成
 明治27年 山縣有朋が植治と別荘「無隣庵」の建設開始
 明治28年 岡崎で第四回内閣勧業博覧会。平安神宮創建。
       園芸組合が四〇〇坪の敷地に園芸館と庭園を作り大 
       好評。
 明治38年 対龍山荘庭園完成し作風を確立。
       この時期、臼石、礎石、伽藍石などの加工石を用    
       い、模型も作る。
       小川治平作庭の特徴
 ・加工石の使用―飛び石の交差点に使用
 ・巨大な手水鉢を使用
 ・石の売買を手掛け、開通した疎水を利用して守山石などを運搬
  した。目利きであり
  デベロッパーでもあった。



余話3-地方への波及
 
江戸時代以降、海運が発達し、特に西回り航路では、登り荷は米、雑穀、海産物、紅花など重量があったが、下り荷は木綿、茶、古着など軽量のためバラストとして庭園にも使われる石材を積んだ。このため、日本海沿岸の諸都市でも庭が盛んに造られるようになった。あわせて作庭技術も伝わった。
・出雲流:出雲不昧公のお抱え庭師が広めた。山陰、北陸、東北に 
 かけて共通する造園スタイルがあった。江角邸庭園(明治36年
 頃作庭、500坪)
・近代茶匠の庭:吹田市西尾邸庭園(明治30年代前半頃作庭、3
 00坪。茶室は藪内流10代家元休々斎竹翠の指導)


3.道具と材料
1)特徴的な道具
・剪定鋏:庭木を剪定する。
     木鋏(ワラビ手、ツルクビ)、高枝鋏、両手鋏、バリカン
・剪定鋸
・ナタ
・クリ小刀:布で巻いて刃先だけ使う。
・地鏝:地面をならす。
・箒:棕櫚箒、竹箒、手箒;枯れ葉などを掃除する。
・三又;庭石など大きな物をつり下げて移動する。
・三脚;3本足の脚立
・その他:タコ(胴突き・地固め)、スコップ、キリ

2)素 材
・石、砂利
 主に京都近郊に産する石が多く使われた。石種は様々あり、紅加茂石(鴨川)、雲ヶ畑石(鴨川)、貴船石(貴船川)、畚下(ふごおろし)石(貴船川)、鞍馬石(鞍馬川)、賤機(しずはた)石(静原川)、八瀬真黒(まぐろ)石(高野川)が加茂七石として珍重された。その他、白川石(白川)、宇治石(宇治)、瀬田真黒石(宇治)、山石なども使われた。青石(四国)は瀬戸内海などを通じて運ばれ、紀州などの海辺の石も珍重された。
 砂利は白川砂(白川)が好まれたが今では採取が禁止され、大磯砂利(大磯)、御浜砂利(熊野)、安曇川ビリ(安曇川)などが使われる。

・植栽、地被類
 造園木の条件として、美観に優れ、移植や剪定、水不足などに強く、大きさを維持しやすい樹種が好まれる。クロマツ、アカマツ(常磐木として)、マキ、モチノキ、クロガネモチ(子孫繁栄、商売繁盛の縁起かつぎ)、ナンテン(難を転じる)、ダイスギ、サツキ、ツツジ、ヒイラギ、ウメ、イロハモミジ、キンモクセイ、アラカシ、アセビなどがある。灌木(低木)では、ツバキ、ワビスケ、アオキ、モッコク、シュロチク、シホウチク、ヤダケ、サザンカ、カンツバキなどが好まれる。下草には、シダ類、トクサ、リュウノヒゲなどが使われる。
 苔は種類が多いが、日向を好むスギゴケ、クラマゴケ、モウセンゴケ、ハイゴケ、などが好まれる。日陰を好むジゴケ、ゼニゴケなどは嫌われる。

・構造物
 竹垣は結界、背景、仕切り、目隠し等に使われる。デザインにより多種あり、四つ目垣、建仁寺垣、竜安寺垣、光悦寺垣、金閣寺垣、桂垣、竹穂垣、御簾垣などがある。また、袖垣、枝折戸、中門などがある。

4.技と作法
1)庭の構成
 京町家の庭は土や砂利、白砂からなる「海」と、苔などの地被類からなる「島」に大きく別れる。そこに深山幽谷や「山居の体」を想起させる庭石と庭木が配され、点景として灯籠、蹲踞、井筒などが置かれる。全体を結びつける飛び石は延べ段、踏み分け石、伽藍石、沓脱石など、役割によって複雑に構成され、竹垣、枝折戸、中門(なかもん)による区画の配置で奥行きの深い変化に富んだ景色がつくられる。

2)石の配置
 飛び石は千利休が露地に使い、庭の要素として普及した。本来、歩くためのものであり、歩きやすいように配置するが、見た目の景色も大切である。
 蹲踞は茶席に入る前に水で口を漱ぎ、身を清めるためのもので、手水鉢、水琴窟、手燭石、湯桶石、前石などで構成される。降り蹲踞は庭の排水を兼ねる。
 灯籠は自然を写した庭の中で最も人工的なもので、点景として目立つ要素であり、庭園の主役となることが多い。形状は多種あり、春日灯籠、織部灯籠、雪見灯籠、置き灯籠などがよく見られる。名物灯籠(桂、高桐院、般若寺など)の写しも見られるが、時代を追うにつれ形が崩れ、それである程度時代がわかる。また明治、大正以降は頭でっかちでバランスが悪くなる。
 この他、庭石として石種や形状の珍しい石が景色として配置された。


余話4-礼拝石
 
武学流:青森、弘前、御岩木山に対する信仰で、この地方では御岩木山の見える方向に手水を据え、礼拝石を据えてその上から礼拝する。このように、自分の近くの山を拝むために庭のしつらいをすることもある。


5.植栽と剪定
 樹木の配置は偶数を嫌い、奇数を好む。また、左右対称を避け、非対称を好み、直線を嫌い、不規則を好む。
 庭の植栽は移植がほとんどで、種を植える実生は品質が一定しないため用いられない。町家の庭は一般に日当たりが悪く、植物が育ちにくいため、樹を美しく維持することは難しく、全体にバランスよく配置し、常にコントロールすることが求められる。そのなかで、自然に見せ、樹の良さを活かす工夫をしてきた京都の庭師の剪定の技術は高いといえる。庭づくりは竣工したときがはじまりともいえる。
 松は日照を好むため、日陰では育ちにくいが、育ちすぎるとバランスが崩れやすい。枝葉が増え、風通しが悪くなると虫がつきやすい。
 もみじは、枝を伸ばしてこそもみじの姿の美しさが映える。しかし、成長が早いので剪定が必要で、切りすぎると形が乱れ、管理が大変難しい。いろはもみじには剪定のいろはがあるのが名の由来ともいわれる。
 椿は日陰強いので良く用いられている。
ツツジは陽を好むので日当たりの良い場所に植えると良い。日陰では間延びしがちで花がつきにくい。
 棕櫚竹は日蔭に強いので町家の中庭によく使われる。日陰でもよく延びるので、長く伸びすぎたものは切って更新する。
 植えた苔は絶えず手がかかり、定着するとは限らず、その場の環境にあい自生する苔は長持ちする。スギゴケはある程度日向を好み、もみじの木漏れ日と風通しがあるとよい。
 庭木の剪定は最低年に1回必要であるが、できれば2~3回行い、それ以外に家人が手をいれる必要がある。
 冬には寒肥を施すと良い

6.町家の作庭のポイント
・灯籠や手水鉢のサイズは座敷のグレードや庭の広さで決める。立派な座敷 
 から眺める灯籠はある程度大きくないと絵にならない。小さなときは土を 
 盛り上げた上に据える。
・灯籠、飛び石、蹲は3点セット。
・鞍馬石の蹲、沓脱石は明治の後半から大正にかけて流行った。
・町家の庭は日当たりが悪く樹木が育ちにくい。その中で京都の剪
 定技術は優れ、育てすぎず景色よく手入れをする。手を掛けなけ
 れば庭は維持できず、庭は完成が始まりで、かつて庭師は町中に
 住んでいた。
・中門の開き方は亭主の側に内開きにする。蔵の前の中門は使い勝
 手で開き方を決める。
・棕櫚竹は陰に強く町家に多い。どんどん伸びるが大きくなったら
 切ればよい。すぐに生えてくる。風と日向に弱い。棕櫚竹1本で
 も背景があれば映える。
・一木一草一石への施主の想いいれを大切にする。
・町家の庭に祈りを大切にする。祠、日(み)産の神、庭の神、台所
 (ハシリ、井戸)の神、便所の神、栃の神など。

7.伝えたいこと
・日本の庭は自然風景式庭園といわれ、その時代の自然観、世界
 観、宇宙観を表しています。従って、庭がわからないというの
 は、その時代の人の気持ちがわからないということになります。
 町家の庭はきわめて限られた条件の中で作られ、表現もかぎられ
 ていますが、過去に作られてきた庭園から読みとれる信仰や思想
 をふまえて眺め楽しんでいただきたいと思います。
・町家にとって、庭は通風、採光を確保し、快適な生活空間とする
 ために機能的に必要不可欠なものであり、庭があってはじめて町
 家が完成します。たとえ畳1枚、2枚の小さな面積でも町家には
 庭が必要です。
・町家の庭は、自然を表現する日本の伝統的な庭がもとになり、日
 本人の自然観、世界観、宇宙観を表している。自然に対する祈り
 や信仰、思想をふまえたうえで、現代の人の心を慰め、自然への
 畏敬の念を表現するものとしたいものです。

語り手:佐藤嘉一郎(左官)、木村孝雄(庭師)、松浦康昌(庭師)
〈参考文献〉
『日本庭園鑑賞便覧』京都林泉協会編著(学芸出版社、02.08.30)

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