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京町家との格闘をお話ししてみなさんと一緒に考えます

その11町家をつくり守ってきた職人の技-1・大工

仕上りと特徴―大工の役割と心得
 
「細工は流々仕上げを御覧じろ」で大工の成果物はできあがった町家すべてになります。大工(棟梁)の守備範囲は広く建築全般に関わります。墨付け、刻みを間違えば建て方の手傳が〝こんなもん入らへん〟といって部材を放り投げてきます。エツリ穴(間渡し竹・木舞を止める骨竹)の位置(約1尺1寸ピッチ)を過てばエツリ屋から指が入らないと文句を言われます。軒切り(棰の出寸法)を過てば瓦の中途半端な働き(見え掛り寸法)になり棟部で不細工な納まりになりますし、モヤ切り(モヤの出寸法)によっては巾方向の瓦割ができず、風切り(流れ方向に被せる丸瓦)でごまかすしかありません。貫の平面位置によっては左官のチリ(柱当たりの逃げ)が取れなくなります。平面の矩(矩形)が取れてないと基本的に京では掛シミズ(畳を台形など不整形に加工して割り込む)を取らない畳屋から文句を言われます。指物(建具)、経師もしかりで、大工棟梁は全ての職種の仕事内容や職人のクセを承知していなければなりません。職名だけでなく実質上もすべての職方の頭(棟梁)です。
大工の心得
 『匠明』という木割書があります〔※1〕。後に江戸幕府大棟梁になる平内家の吉政が子の政信ともに、江戸初期に配下や子孫のためにまとめた秘伝書です。その奥書に「五意達者にして、昼夜怠りなく。地割とまたは古人のつくりおかるるところの好悪を見合わせ分別仕るべく(云々) 」とあります。「五意達者」とは
1.式尺の墨曲(すみかね)―設計・木割(プロポーション)を習得し規矩(曲
  尺、墨付け)を駆使できる
2.算合―建築に必要な計算法を習得し見積ができる
3.手仕事―仕口の刻みなどの加工ができる
4.絵用―デッサンができる
5.彫物―彫刻ができる
です。当時の大工棟梁の必須と認識されていたものですが、木割書に従えば必ず良いもの(結構)ができるという訳ではないので―規模や建物高さによりそのまま適用するとおかしなプロポーションになる―、むしろ棟梁たるもの常に修行を怠らず古くから伝わる良い建物の配置や平面および外観プロポーションを見て学ぶことが必要で〝死ぬまで勉強〟の方が重要だということです。

あゆみ―大工はどうして大工になったのか
縄文や弥生時代ないしは古墳時代には高床式や2階建て建物が描かれたり、彫塑されています。竪穴住居のような壁のない建物は原木を蔦縄で縛れば可能(長さは切らないといけないが)ですが、そうなると何らかの仕口が必要になり、それを切削する石器、銅器や鉄器が必要となるとともに、手慣れた工作者の存在が想定されますが歴史前でありよく見えてきません。それが歴史に現れるのは592年の飛鳥寺(法興寺・元元興寺・ならまち元興寺の前身)建立のために渡来僧とともに訪れた寺工、瓦工他の職人です。おのずと斧、鑿、手斧などの工具も携行したはずです。寺工2名と瓦工4名では建てられませんのでその指導のもと日本の工人が関わり、技と道具の使い方を習得した工人が技を普及し、寺院や神社などを形にしていきました。
大工という職名
 中世までの大工は今の大工の呼び名ではありませんでした。古代(奈良、平安)の造営官庁の技術職のトップを大工(おおいたくみ)と呼んでいました。その下で実際に手を下す木工の工匠は木工(きだくみ)や番匠(ばんじょう)と呼ばれていました。中世初期には大工(おおいたくみ)が棟梁に変わりました。その下で働く木工の長は番匠大工(または木工大工)と呼ばれ、大工は番匠だけの独占ではなく他の職長も鍛冶大工、檜皮大工、壁大工と呼ばれ、熟練した工匠を指しました。中世半ばすぎ(15C~16C)には番匠は大工や棟梁と呼ばれ始め〔※2〕、近世に入ると建築職人は軍役や公儀作事のために幕府の支配体制に組み込まれ、畿内近江六か国は幕府大工頭中井家の支配下になりました。京都では大工20組が組織されました。それも元禄頃には中井家の役割が生産組織の頂点ではなく規制、指導や調停などの間接的なものになり〔※3〕、町場大工は支配の見返りの独占的営業の権利を得るとともに、商業資本の充実を背景に民間の仕事が中心になっていきます。そして手間請けから材料や場合によっては壁や瓦などの各職を含めて受注する請負制もあったようです。そのなかで木工職人だけを大工と呼ぶことが定着していきます。由緒正しい職名ながら大工という字面だけでは何の職人かわかりませんが、自他ともに各職の頂点であり敬意が込められた職名です。明治になり野丁場(縄張りに頼らないビルなどの大規模工事)では総合請負が増えますが、町場(出入中心の町場仕事)では施主直営(手配から段取りまで施主がする)から木材支給・手間請けそして総合請負までさまざまでした。村方では昭和に入ったころから結(互助ルール)が失われていくにつれ、請負に変わっていきました〔※4〕。戦後は大工が組や工務店を名乗り大工のトップが棟梁という尊称まで独占するようになりました―もっともそのように呼ばれるようになってから、⑪その8今なぜ京町家かの「熟練の職人は要らない?」に述べたように高度成長期の1965年以降大工棟梁はハウスメーカーや不動産屋(建売業者)の傘下に組み込まれていき(堂宮は別にして)、その存在が薄れていきました―。

道具と材料
道 具
 〝一錐二鋸三鉋四鑿五手斧六斧七掛矢九玄翁十一卦引十二鉈〟は作業がしんどい大工道具の順番です。やってみるとわかりますが手揉み錐はしんどいです。錐の上部に柄のついた南蛮錐もあったはずですがあまり普及はしていないようです。幕末になって錐やドリルの中間にコの字型のハンドルがついたハンドル錐やくりこ錐も入ってきますがあまり普及していないように思います。また規矩術の規はぶん回し(コンパス)ですが、ほとんど使うことなく曲尺でなどでこなしています。どうも日本の大工は楽で便利な道具に飛びつかないようで、箸と同じように使いこなすことを優先しています。大鋸(おが―木挽きが使う)は室町中ごろには大陸から入っていたようですが、前挽(まえびき)を含めて縦挽き鋸が普及するのは江戸時代に入ってからです。大鋸が高価なことと用材が目の通った杉や檜が多かったこともあった思いますが、それまでは木目に沿って鏨(たがね)を直列に打ち込み裂き割り、手斧(ちょうな)で斫(はつ)り槍鉋(やりがんな)で削って仕上げるという大変な作業を続けたのです。その縦挽きの前挽きや台鉋(だいがんな)が普及する江戸時代には現代の大工道具がそろいます。大工の作業別に道具を箇条書きにすると
・測る:曲尺(かねじゃく)、各種定規(おさ定規、口引き、型板、折尺、巻尺
 など)、水準器、下げ振り
・記す:墨壷、罫引き、ぶん回し(コンパス)
・切る:横挽き、縦挽き、大鋸、前挽き
・掘る:叩き鑿、仕上鑿
・削る:手斧、槍鉋、台鉋、斧(よき)、鑿、溝挽き
・割る:斧、鉈
・叩く:掛矢、木槌、玄能
・開ける:錐
・その他:手入用具、固定用具、挟み用具、他
※  それぞれの道具の形や知識は竹中大工道具館のHPを参照してくださ
  い。https://www.dougukan.jp/tools

材 料
 大工の扱う材料はもっぱら木ですが、町家に使われる瓦や板金、左官の土や砂、畳、襖や腰貼や張り付け壁の和紙、明り障子の紙、庭の石や樹木などの知識も身につけておく必要があります。木の他は各職の説明に譲り、ここでは木について簡単にお話しします。
木は狂う 
 木は品質にばらつきがあり痩せたりひねったりと狂うので工業製品に劣るというのが現代の建築工学や技術基準のとらえ方です。大工の伝統の技は痩せたり狂ったりする木の癖や性質を踏まえ、狂わないように、かつ狂っても問題にならないように仕舞う(木を殺す)ということです。辺減りが10年で1㎜(年ごとに一律ではない)ことを前提に、築後200年経つ柱の根継は各辺を2分(約2㎜)程度大きくしておいて、100年後に同寸になるようにしておく―数代先になるので自分では確かめようがないが―、敷居、鴨居は表面(敷居は上面、鴨居は下面)を木表(樹皮の側)にすると反っても問題のない裏側に曲がる、鴨居の下面に板目(木目が流れる)が不細工だと思い、木端柾(こばまさ・横が柾)を平柾(ひらまさ・下面が柾)にすると平面的に弓なりに曲り鴨居の用をなさなくなります。癖の悪い栂(つが・とが)などの四方柾(⑨木材の性質参照)の柱を構造柱に使うと建物を歪めかねません。このようなミスは伝統が生きていて〝きまり〟として伝えられていたときには起こり得なかったことですが、それが失われていく中で杣(木こり)が減り、木挽きや大鋸挽きが消え、それに取って代わった製材屋も少なくなり、材木屋も激減するなかで(それぞれの分野で木のノウハウを持っていた)は起こりうることですし、特に材料選定を設計者が主導するときには起こりやすいのです―私もしでかした-。細かな知識はともかくそういうことがあるということは皆さんも知っておく必要があります。
適材適所 
 適材
の基準は構造材や貫などの下地材では強さ、粘り強さ、耐久性、耐摩耗性、耐水性、狂いが少ない、加工性(特に電動工具がなかった時代には)、木目や肌の美しさ、香りなどです。敷・鴨居、廻縁などの造作材では木目や肌の美しさ、狂いが少ない、耐水性、香りなどが優先されますが地回り(床の)のは強度や耐久性が求められます。床廻りの銘木、天井材や欄間などでは美しさ、珍しさなどです。
 適所は柱のうち蓮台は強度と粘り強さから檜が多いですが、杉も使われます。すべて心持ち材(木材断面の中心にした角材)です。側柱は弁柄塗がもっぱらなので肌の美しさは問われないため杉の間伐材が多く、辺の丸みが残ったままものもあります。梁、桁、胴差の横臥材は強度と粘り強さからもっぱら松です。杉や檜でもよいのですが、強度や粘り強さが松に劣り成(高さ)が大きくなるため、階高を切詰めた町家には向きません。ササラや梁の成を押えるために赤松にすることもあります。小屋組の地棟(棟の下に棟と平行に入れて登り梁を受ける)や登り梁と側柱と蓮台を繋ぐ側繋ぎ(梁)はゴロンボ(松丸太)で、見え掛りになる場合でも手斧で太鼓(側面を削る)にするぐらいです。下地の貫は強度より狂いの少なさを優先して杉(京町家の場合)を使います。
 造作材は内法(鴨居)から上は杉が多いですが、グレードの高いものは木目が美しい栂や赤杉も使います。さらにグレードが上ると尾州檜や台檜(大正以降)が使われます。天井板は杉がもっぱらで、地物で源平(真の赤味と辺材の白太が混じる)は手ごろな価格ですが、秋田、吉野、薩摩、霧島、屋久、春日などは高価です。霧島、屋久の笹目などは特に希少で、床の天井に屋久の1枚板(数千年もの)が張られていてびっくりすることもあります。地回りの敷居は松で、上り框(ミセ、ゲンカン、ダイドコの上り端)は松、桜などが多いです。縁先の框は他そのほか耐水性から椹も使われました。
 床廻りは床柱が角物の栂や檜などの四方柾に塗框(呂色塗)が正式(真、行、草の真)ですが、京町家では床柱に絞りや磨き(杉丸太)や嵯峨もの(皮付赤松丸太)が多く、変木、奇木はほとんどないです。落し掛け(床の下り壁の止り)は軽い感じの杉や桐などのほか尾州檜、栂が使われます。床框は黒檀、紫檀、黒柿などの高級な奇木が見られますが、贅を凝らしてもそれとわからないようにさりげなく納める町家の作法からみると、大正以降のそれと見てわかる贅のこらしようはそのセオリーから幾分外れる事例といえるかもしれません。数寄屋風の意匠では杉の面皮(過度に丸みがある)の柱や長押も使われます。地板、棚、地袋天板や書院天板などは松、欅、栃、楓など木目のおもしろいもの(玉目・木の根株)が使われます。
 これらの材料で手に入れにくくなっているものもあります。特に松が問題で、これは里山の荒廃が原因です。ゴロンボは改修ではあまり必要とされませんが、敷居、板畳用などが困ります。このところ流行りで畳に代えて縁甲板(フローリング)にすることが多いのですが、松板が使えないので杉や檜を使っていて、これは耐摩擦性において適材適所から外れます。戦後に船舶需要を見込んで長野県や北海道で植林された唐松が放置されていて、それを松代わりに試していますが、狂いと供給が課題です。また敷居や階段には米松で代えていますが、小口減り、通しの割れや脂が多いなどの問題があります。これも併せて何とかしなければいけないと考えているところです。

町家改修工事の要点 ※詳しくは『町家再生の技と知恵』〔※5〕P76~101参照
調査と改修計画

構造の傷みと故障の調査

 まず構造的な故障と屋根や外壁の傷み具合を調査します。まず目視で柱の足元の状態を見ます。室の側柱に故障の兆候が見られる場合は床をめくって確認します。天井や軒裏に漏水の跡がある時は小屋組を小屋裏で確認します。歪みや沈みと腐朽あるいは仕口の緩みなどの構造の傷みを確認します。 
 次に沈み、歪みを測定します。沈みはレベルやレーザー墨出し器を使って柱ごと測定しますが、この段階では家具などの障害物で測定しにくいこともあり、測れる範囲でよいです。墨のレベルを養生テープなどで明示しておけば部屋間を同じ条件で測れます。一番高い柱(相対的に沈みが一番少ない柱)を0として他の柱をマイナスで記録します。3㎝以下の沈みは視覚上や建具の建付けに支障がなければ揚げ前は計画しなくてもよいです。歪みはレーザーの縦墨でも測れますが、レーザーを据える角度が難しいので下げ振りの方が効率的で、内法(床と鴨居間)で測ると良いでしょう。東西、南北とも測ります。2㎝以下の歪みは視覚上機能上支障がなければ無視してもよいです。

外壁や壁の傷み調査

 外壁(杉板や土壁)の傷み具合を調べます。併せて故障の原因とその除去を想定します。覆ってある仕上げをめくらないと確認できないところは徴候と経験で予測して計画します。

屋根の傷みと漏水調査

 屋根は上に上がって確認するのが良いですが、瓦屋が同行しない場合は下からでも傷みをある程度予測できます。
 以上の調査結果と施主の間取りや設備の要望と合わせて改修計画図面にまとめ概算見積を作製します。トオリニワの側柱が合板などで覆われていて、歪みや沈みを測ったり、構造や壁の傷みが確認できないことも多く、経験による想定で計画や概算見積をせざるを得ないことも多く、解体除却後に調整することになります。実施が決まったら改修設計図を作製し見積をして、施主の予算とのすり合わせをしたうえで改修工事の準備にかかります。限られた改修予算で改修内容を取捨せざるを得ないことが多いですが、その場合は後ではしにくい構造と屋根や外壁などの建物の保全性を優先し、仕上や設備は後回しにするか職人のアドバイスを受けてのDIYもありだと思います。
解体除却工事
 解体はかつては手傳いの仕事ですが、できるだけ既存を活用してコストを抑えることを考えると、今の解体屋に任せるよりも次の段階の構造改修を担う大工が担うほうが良いです。解体除却を前提にした話をしていますが、戦後、特に1960年代以降の手入れが町家の維持管理上からは外れた改修がなされていることが多いからです。なかには構造や壁あるいは天井の傷みを隠す、〝すなわち臭いものにふた〟式の改修やトオリニワに床組みをする〝東京炊事〟などの流行りによるものが多く、何にも手を入れずないしはできずに放置された町家の方が正確に修理費の把握ができてコストを抑えられるといった皮肉な結果になっています。解体除却後の故障や傷みは原因を究明することが大事です。漏水や煉瓦やブロックなどの吸湿性の高い材料の使用、隣地や隣家との関係などです。 
 また天井の合板やボードを剥すと杉天井の傷みや大和天井の床板の隙間からのチリの落下などが改修の原因だったことがわかります。大和天井は床板の隙間を詰めてて床上に防水を敷きササラ(小梁)の傷を埋めて古色塗り(オイルステイン)で仕上げる、で済みますが、杉天井の傷みは全面改修をしようと思えば、天井板を残すか竿(棹縁天井の杉板受材)を残すかという判断を迫られ厄介です。希少な杉板であることも多いので、天井裏の掃除をして(100数十年のほこり)多少のことは辛抱するか、杉板の割れは埋木でごまかす、とするのが賢明だと思います。

基礎の沈下の原因

 基礎は手順としては揚げ前・歪み突きの後になります。沈下が進行中でなければ、手を付けない方が良いです。野なかの一軒家であれば曳家業者の手を借り1mほど上げて布基礎(逆T型基礎)やべた基礎(全面土間コン)新設も可能ですが、街中では隣家との取り合いがあり困難です。また基礎(ひとつ石や延石)を動かすと支持地盤を荒らしてしまう可能性もあります。但し沈下の原因は究明しておかなければいけません。京都は地盤が北から南に下がり勾配があり、南側の盛り土部の地形(じぎょう)が不充分であったために南が下がるということはあり得ますが、ごくまれで、原因のほとんどが現代的理由です。隣に建物が新築されてこちらの支持地盤が荒らされる―隣の新築建物が木造でも布基礎のために40㎝程掘り下げられればそうなる―、隣の町家との間の水仕舞いが不充分ないしは重なりの上側のケラバが切り落とされている、隣が駐車場になり奥から道路に向かって水勾配を取ったためにこちらの足元が埋まった、トオリニワの配水管の土管の桝との取り合い部や沈下による接続部からの漏水、前栽の水が建物に流れ込む―かつては背割りの用悪水路があり奥へ流せた-、などです。基礎改修はその原因を除去してからです。基礎が沈んでいる場合はひとつ石や延石はそのままに上に延石を敷設するほうが良いです。

揚げ前・歪み突き

揚げ前・歪み突き 
 揚げ前・歪み突きは同時に行います。通常瓦を置いたままで行いますが、大掛かりで瓦がずり落ちる可能性がある時は瓦降ろしをしてからにします。その場合は根継のある場合は後で瓦を載せたときの沈みを見込んで柱の長さを増しておきます。揚げ前には油圧ジャッキは放っておくと下がるので、ケンド(突っ張り材)で支持しておきます。歪み突きは原因が柱の沈みによる場合は揚げ前をしたら直ることもあります。歪み突きといいますが町家の場合はチェーンブロックで引っ張ることが多いです。引っ張るケ所にチェーンやワイヤーではなく荷締めベルトで傷がつかないようする、支点はずれないように補強する、などの注意と、仕口等に永年の歪み癖がついているため壁が完了するまでそのまま置いておくことが多いので、次の工事に支障ないように計画します。
構造材の改修

柱の根継の方法と継手

足元の腐朽した柱は根継を行います。根継の継ぎ手は金輪継ぎが一般的ですが継ぐ位置が低ければ腰掛鎌継でも、15㎝までなら簡単な目地継でもよいです―曲げがかかる方向を強軸(合わせ目と直角方向)にします―。基本的に足元は拘束されていないので曲げる力はかかりませんが、90㎝を越える場合(特に蓮台部)は曲げがかかるので継いだうえに添え柱等の補強が必要です―柱の取替は梁や胴差の仕口あるいは壁や貫との取り合いがあり大変-。

梁や桁などの横臥材の継ぎ手

 梁や胴差などの横臥材の腐朽による部分取替は渡しの(柱間)1/3までで、それ以上は1丁取り替えます。
屋根と床組
 構造材の改修が終わったら屋根の改修に取り掛かります。棟が下がったり屋根面が波打ったりしてなくて、モヤや棰の腐朽もなく瓦の割れやずれが大きくなければ差替えや割れ替えで済まします。但し葺き替えて50年以上が経過していて、土が流されて小砂利が多い状態だとそれがコロのような効果になり瓦をずらすので、瓦降ろしをして葺き替えるのが望ましいです。その場合は土を降ろすと下地のトントンも剥がれたり飛散してしまいますので、防水下地を透湿性のルーフィング(できればトントン桟瓦土葺の方が将来の差し替えのために有利)に葺きかえて引掛け桟瓦葺にします―屋根が軽くなるのは地震時には有利ですが、現在の瓦葺きの基準で全数釘打ちになり割れ替えの際に差替えにくい―。
 床組みは歪み突きのために工事の最後の方になりますが、床は常に荷が架かっていて不同沈下を起こしやすいので、床束や根太あるいは荒床(松板が多い)を利用しながら組み直したほうが良いです―歪み突きがあれば床組み全部または大引を残して一時撤去することになる―。
同様に傷みやすい敷居も沈んでいたり敷居溝が削れて溝が深くなっていたら、既存材を削りなおす(地松が手に入りにくい)か交換します。
壁の修理
 間取り変更や開口部の新設などの造作工事が終わったら壁の修理に取り掛かります。漏水で部分的に土壁が流れ、木舞がばらばらになっている場合は既存と同じエツリや木舞を組んで荒壁付けをします。コスト上木舞掻きが難しい場合は巾約36㎜、厚さ約7.5㎜の板を目透かしに張る木摺下地に砂漆喰(プラスター(石膏)は硬すぎるので避ける)を塗り仕上塗をする。ラスボード(プラスターボードに砂漆喰が食い込む疵をつけたもの)は構造上の構面を形成し水平力が集中するので避けたほうがよいのですが、採用する場合は下地を45㎝角の桝組をせず間柱にするとか、ボードの端部を透かすなどの構面にならない配慮が必要です。コスト調整はトオリニワでは手の届くとこは漆喰仕上でその上は荒壁のままにする、部屋では中塗りでやめて将来まわしにする、ないしは中塗り切り返し(仕上押え)が良いでしょう。
敷居を踏む
 建具を吊り込み(京都では大工の仕事)襖を納めて畳を敷き込み、工事中傷が付かないように裏返して据えていた敷居を納めたら大工の仕事は終了です。これを〝敷居を踏む〟といいます。

伝えたいこと
 大工が伝えたいことを述べるのは範囲が広く深すぎてなかなか難しいので、見てきたように言う講釈師が代わって伝えます。
・五意達者の修行の道筋は掃除や材料運びなどの雑務を経たうえで刃物の研ぎを含めた加工から始まり、絵用(デッサン)・彫物(彫刻)、算合(算術、見積)・式尺の墨曲(設計墨付け)へと進みます。この対象の物から始める習熟階梯は職人にとって重要なステップです。ミケランジェロは石工から始めていますし、他のルネッサンスの建築家も画工や石工の工房の徒弟から始めています。近代建築の大御所のミース・ファン・デル・ローエも石工の家の出です。現代の棟梁たる設計者は算合(建築工学)や式尺の墨曲(設計)および絵用(デッサン)から始め、特異な建築を取り上げることが多い建築雑誌などを参照しながら設計します。その順逆が変なものを世に送り出しています(私に限って)。修行中の大工はなんでこんな仕事と思わず、一歩一歩今やっていることに集中しつつ次の階梯を目指してほしいと思います。
・棟上げの祝儀に立て掛ける幣串(へごし)に取り付ける面は阿亀(おかめ)さんです。由来は棟梁の長井飛騨守高次が千本釈迦堂の刻みの際に柱を短く切ってしまい、頭を抱えているときに女房の阿亀さんが組もので調整したらよいとアドバイスして無事納まったのですが、阿亀さんは棟梁が女の助言を受けたことが世間に知れたら、亭主の沽券にかかわると棟上げを待たずに自死したということです。安土城を建てた岡部又衛門は本能寺で信長と運命を共にしていますし、姫路城を建てた桜井源兵衛は完成後に女房から城が東に傾いていると指摘され、鑿を加えて天守の屋根から飛び降りたそうです。いずれもおすすめはしませんが、大工というのはそれほどの重責を負っているとともに誇りの持てる仕事です。20年前は職人と呼ばれたくなかった職人ですが、若い大工が俺は職人だと胸を張れるまでになりました。今後はさらに伝統木造の大工が見直されるようになると思います。責任の重さを胸に刻み研さんを怠ることなく励んでほしいと思います。
 
※1『匠明』太田博太郎監修、伊藤要太郎校訂解説 鹿島出版会2004第14刷
※2『番匠』大河直躬 法政大学出版局1974第3刷 
※3『中井家大工支配の研究』谷直樹 思文閣出版1992
※4『民家をつくった大工たち』吉野正治 学芸出版社1986
※5『町家再生の技と知恵』京町家作事組編著 学芸出版社2002
 
〔参考資料〕
1.『町家棟梁』荒木正亘、聞き手・矢ケ崎善太郎 学芸出版社2011
2.『大工道具の歴史』村松貞次郎 発行者・緑川亨、発行所・岩波書店
  1988第9刷(岩波新書)
3.『江戸時代の大工たち』西和夫 学芸出版社1985第1版第4刷

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