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京町家との格闘をお話ししてみなさんと一緒に考えます

その9 では今京町家をどう生かすのか

 今までお話ししてきたことで町家のとらえ方や合理性あるいはすぐれた職住兼用の町なかの住まいであることを一定ご理解いただいたことを前提にして、それでもかつての暮らしと今と一緒にできるのかという疑問が残るのではないでしょうか。戦後の改修が町家のしくみや構えに相応しくないにしてもなんでその是正の費用を私が負担しなければならないのか、または町家に住むには現代の快適性を享けることをあきらめなければならないのか、五感で涼を感じるといってもヒートアイランド現象や温暖化で熱中症が、じっとしているから寒いといわれても、風を通せと言っても車が騒音や排ガスをまき散らして表を開け放すことなどできない、畳に座ることなどしたこともないし苦行に近い、などなどといろんな疑問や不安が沸き上がるのではないかと思います。私たちも改修のプロセスを通してそのような課題に直面してきました。「元の状態に戻す」という私たちの目標は町家のしくみや構えを損なう改修が多かったにしてもどう見ても過激で、そのぶん反発も強かったのです。それでも目標を曲げず20年を超えて続けた結果、反発に対する言い訳をしないでも進められる改修が殆んどになりました。欧米の方が施主になるケースが増えていますが、彼らの方がすんなり受け入れてくれて拍子抜けをするとともに恥じ入ることがあります。
すなわちやみくもに「元に戻す」のではなく、町家のしくみや構えを守ったうえで現代の暮らしに対応させればよいのです。そしてそれは引き継いだものに改善改良を加えられる「創意と工夫」を伴ったものにすべきだと思います。

改修の心得 ではどのような心得で改修するのが良いのでしょうか。ひとつには町家を先代(先祖でなかっても)から継いだ公共の資産ととらえ、今生活する自分たちのために直したうえで、より良い形で時代に引き継ぐということだと思います。ふたつには町家のしくみや構えに沿った改修をするないしはその特性を増進することです。みっつには現在忘れかけている町家が担っていた家族の暮らしやコミュニティーあるいはなりわいなどとの関係性を思い起こしながら、改修のプロセスを大切にして直すということです。それぞれについて順を追って考えていこうと思います。

家の目途(もくと)は他の衣食の二つのごとく、狭い個人的なものではなかった。(略)今でも来客とか遠く観る人々のために、多くの曲従を忍んで外の美しさを心掛けた例は多いが、以前はその範囲がまたはるかに弘く、顔も合わさぬ孫曽孫の彼方までも及んでいた。末裔が知らぬ遠くの世の判断や趣味に拘束せられたに対して、先祖もまた数々の自分には入用のない準備をしている。 柳田國男『明治大正史世相編』

資産の継承 京都では自分の老い先が見えたときや人に明け渡すことが決まったときに町家にお金をかけて手を入れる、という人が多かったと聞きます。むろん町家や家作(借家)を自らのないしは子孫に残す資産という思惑はあったはずですが、200年を超えて生きながらえる町家のつくりはそれをはるかに越えていて、今の木造住宅の数倍の手間と費用が掛かっています。たしかに家を代々継ぐという慣習も、なにより家業を優先するという時代ではなくなっています。それだからこそ町家を引き継ぎ改修する際には町家が単なる個人の所有物ではなく公共財であることを思い起こす必要があると思うのです。公共財であるとするなら単に個人の所有物を越えて利用するないしはさせてもらうコモン(共有のもの)ということになり、100年ないしは200年の寿命のうちの4~50年の間だけ利用することになります。それにふさわしい見方や扱いを受けるべきで、固定資産税や相続税などの税制や寿命を延ばす改修を行うことに対する尊敬をうけ、恩典が与えられるように制度や慣習が変わっていくようにしたいものです。そのように変わっていく過渡期を担う住み手と作り手の協働を続けたいと思います。

町家のしくみや構えに沿った直し方 これまでにお話ししてきたように町家ないしは伝統木造建築の特性は、箇条書きにすると
〔暮らしのかたち〕
1.克服すべき高温多湿の気候にたいして自然作用を最大限に利用するとと 
  もに、家のつくりや装置を使って快適性を確保する。
2.通風・通気によって有用微生物との共生環境をつくり、有害な生物を遠
  ざけることで人と家の健康を守る。
3.都市の住まいに自然を取り込み四季折々の自然の変化と、室内外の対比
  による深みのある雰囲気を愉しむ。
4.町家のつくりに沿った家族の暮らしあいや来客の応接のしきたりや礼節
  を学ぶ。
〔外観の表情〕
1.町規約に「上下向こうを見合い町並みよきように」とあるように町家は
  施主と職人だけではなく地域がつくり守ってきた共有資産であることを
  理解し尊重する。
2.格子などの意匠は同業者町や地域性を表しているという歴史を顧みる。
〔暮らしの包括性〕
1.間取りや室内意匠が包んでいた暮らしやなりわいを見通したうえで現代
  の暮らしやなりわいとの折り合いを考える。
2.長い年月をかけて形成された空間や形は包括的でかつ「一物多用」であ
  ることを理解し、一面的な不便さや現代的合理性だけで拙速に改変しな
  いようにする。
3.暮らしの中の祈りや祀り、場合によっては欲やミエも場所や物に込めら
  れていることに想いをいたす。
〔町家の保全性〕
1.直して守ることでいつまでも使うということを守れる改修にする。どう
  しても必要な場合は容易に元に戻せるようにしておく。
2.開かれた環境で永年に亘って検証されてきたつくりや構えを尊重し、伝
  統木造構法の秤やものさしで判断する―生い立ちやつくりと構えが違う
  建築基準法などの基準による秤やものさしで評価しない―。
3.構造改修は町家と現代建築では地震や大風に対する構えは天地ほど違う
  ことを理解し、構えを理解したうえで必要な改修をする―違う構えの改
  修は致命的インパクトになる―。
4.火災などの人災に関しては住み手の注意と地域防災で守ってきた経緯を
  考えて、配慮と地域防災も考えながら改修をする。
 以上ですが、こんな条件をつけられたら窮屈で何にもできないとなりそうです。私たちが改修する際の標語も逡巡したあげく「元に戻す」に絞り込まれてしまいました。しかし改修実践をするなかでそうもいっていられない課題もたくさん浮上しました。その悪戦苦闘はそれをまとめた『町家再生の創意工夫』※1を参照していただけたらと思います。

改修プロセスを大切に 私たちが町家の改修を通して見えてきたことは町家が建築的にすぐれものということと合わせて、町家が現代の建築や社会に対して警鐘を鳴らしているのではないかということです。
かつては2割の町衆が家作をして8割の借家人に住宅を提供していましたが、現代はそれが逆転しています。かつての玄人はだしの施主はきわめて少ないです。町家に代々住み継いでいてもちゃんと直して守ることが廃れてから2代、3代たっていて、ノウハウが伝わっていません。それは住み方も同様で、客の応接などのしきたりや床や棚の室礼あるいは先祖や神さんの祀り方等々。改修工事はそれを知る絶好の機会です―もっとも住み手だけの問題ではなく設計者や大工などの職方がそれを理解していることが前提ですが―。構造がむき出しになったらどのような木組みにより成り立っているかを理解してもらう、あるいはどのような故障がどんな原因で起こるのかを説明する、構造材や造作材の適材適所の使われ方と修繕周期や手入れの仕方、屋根瓦や土壁などで起こりやすい故障とその兆候の見方などです。現在の工事の進め方は施主から設計者、設計者から現場監督、現場監督から職方という指示系統になっていますが、これは効率を求めた現代建築のやり方で、設計者でもある施主と設計者であり職人でもある大工によって建てられ守られてきた町家の改修にはふさわしくありません。作事組では設計打合せは原則設計者と施工者が一緒にするようにしています。現場でも各職方が直接施主と話す機会をもつようにしています。施主が町家のつくりや手入れの仕方を理解し、手を動かす職人の想いにふれることで町家に愛着をもち、守り手になってもらえると思います。しきたりやもてなしの室礼なども知ったうえで現代に照らして取捨して自分なりの作法にすればよいのです。もてなしの心に今も昔もないでしょう。
 京の中心部の通りを歩くときには後ろからくる車に気をつけて前に停まっている車の脇を通り過ぎるか、車が通りすぎるのを待つ、併せて往来する人とぶつからないように、前後左右に注意を払い続けて通ることになります。かつては子どもたちの遊び場であり井戸端会議が始まったりする町の広場でした。山鉾町は祇園祭の山鉾建てが始まったときだけ広場に戻ります。もっとも宵々山、宵山の時は歩行者で身動きが取れなくなりますが。狭い通りも地蔵盆の時だけ通行止めにして祭りを行います。少子化で2日の日程が1日になり、開かないところもありますが。路地奥は車の侵入はまぬがれ住環境を保てていますが表通りの町家では住みにくくなっています。さらに観光需要をあてにホテルや町家の簡易宿所が増えてタクシーなどの侵入車両が増えています。商業地区以外でも住人が減っており車だけでなく防犯・防災上も不安な状態になっています。花の都が宿場町化することは仕方がないのでしょうか。いや、そもそも町の広場を車がわがもの顔で通ることがおかしいのです。通学時間帯は進入禁止、土日は許可車両のみなどの制限を設けて安全で住み続けられる街に戻すべきだと思います。
 バブルの時に地上げで町家を壊してマンションが計画され町による反対運動があちこちで起こりました。私たちの京町家再生研究会はそれによって町家が壊されて、無くなってしまうのではないかという危機感によって結成されました。その後も相続や町家の維持が困難などの理由により町家がコインパークに代わり、オーバーツーリズムにより町家跡地にホテルの建設が始まり、町家の簡易宿所に転用、新型コロナで観光需要が収まったらまたマンションが建ち始めています。かつては町式目で職種の制限や厳格な審査を経ないと町に入れない、そして町家の取得価格の1割以上を町に納めなければなりませんでした。この負担金は道のつづくり、木戸の補修費や建て替えなどに充てられたわけですが、ともに住む町衆としての資金力の確認もあったと思います。町への闖入者のうちホテルや簡易宿所あるいはコインパークなどは、住環境あるいは景観上などで問題はあるものの、所有者の諸事情をかんがみて目をつぶったとしても、建てて売っておしまいという分譲マンションやハウスメーカーの住宅の闖入を許してしまっていることは上記の歴史的経緯からみてあまりにも隔たっています。かつてのような町自治は無理にしても「住み続けられる町」を望むことが地域エゴだとは思えないので、なんらかの歯止めが必要だろうし住人はそれを行政(地方自治体)に訴え、町の意思で取り決めができるように制度化すべきだと思います。その必要性を町家が置かれた状況が示しています。

※1.『町家再生の創意と工夫』京町家作事組編著 学芸出版社 05年 ※現在
   絶版で手に入りにくなっています。図書館を利用してください。
〔訂正とお詫び〕
論考の⑧・その7京町家と地震・雷・火事・・・〔1〕で「アーチ式の石橋が軍隊の行進と共振して崩壊」と書きましたが、軍隊の行進と共振して落ちたのは1,850年にフランスのアンジェで落ちたバス・シェーヌの吊橋でした。

 さてここまで町家のあゆみ、つくり、しくみや構え、そしてどう生かすのかについてお話してきましたが、それはここで一旦終えて次からはその町家をつくり守ってきた職人の仕事の作法や次代への担い手への思いについてお話していきたいと思います。

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