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*5 おわりはじまり

 ドイツに来てから五年間世話になったパン屋をとうとう辞めた。気付けば前職の宮大工であった四年を越え、暦で見てももう肩書はパン職人たるべきはずである。振り返ろうとすると想像以上に文字数が嵩みそうなので、今回ばかりは覚悟を持って読み進めていただきたい。


 去年の春頃に企てた時点ではその年の七月まででとっくに辞めているはずだったのだが、言わずもがなその計画を変更せざるを得ない状況を迎え、そうして年の明けたこの一月末に照準を合わせて来た。一日一日指折り数えながら遥か先の事のように思えていたのだが、いざこの日を迎えてみると時の流れの早さを痛感する。確かに計画当初は今か今かと待ち侘びていたはずなのだが、その日が近付くにつれ、どうももう少し待ってほしいような我儘の念が沸き上がってきていた。


 最後の仕事を終えると、各同僚に一人ずつ挨拶をする為に工房内を駆け回り、握手をし、互いにエールと感謝を送り合った。有難い事に私の仕事や人間性を褒める言葉や今後の健康と成功を願う言葉を方々から浴びせ掛けられ実に円満な終止符をそこに打ち付けられたのだが、その内特筆したい何人かとの感慨深き最後をここに記録しようと思う。

 シモンという男は精神的にも肉体的にも強い男のそれであった。それ故、頭ごなしに怒声をばら撒く事も屡々であったのだが、そんな彼とは仕事中に唯一何度もぶつかり合ったが為に、彼から最後の挨拶の中で「一緒に楽しく働いた事と、たまにぶつかった事は忘れない」と言われ、いつも通り私がへらへら笑うと「いや、そうやって感情をぶつけ合う事は大切な事なんだ」と、相変わらずそんな単純明快当然の事を、さも私が理解出来ないでいるかのように一生懸命の形相で説き伏せんとするので、私も負けじと相変わらずへらへらといなしてやった。私より二十も歳上の男とのこの面倒なやりとりも最後だと思うと少し寂しい気もした。

 それからレアードという寡黙なマイスター(※1)と握手を交わした。アルムおんじを彷彿とさせる風貌のその男からは随分良くしてもらった。五十歳でありながらなお無尽蔵の好奇心と探求心には敬服の念が堪えなかった。その旨を伝えると共に、先日撮った記念写真と最後に焼いたブロート(※2)を手渡すと彼からは、人生で後悔の無いように自分の心に正直に生きろという説法を戴き、さらに、これから先困った事があれば連絡しろ、と金銭的援助さえ厭わないエールで背中を押してくれた。パン職人としての前に人間として尊敬に値するマイスターであった。

 スティーブンは、私とは七歳ほど離れているが宛ら兄弟のように慕うまでになった。彼もまた好奇心と仕事への拘りを持つ歴としたパン職人であった。互いに仕事の仕方を話す事もあれば、冗談を言い合う事も出来た仲であり、最も関係を築けた相手である。そんな彼と最後に食事をしに行く約束を取った。二月十五日から規制が緩和され飲食店が再び再稼働するという発令が急遽延期にならない事を祈るばかりである。

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 思い返すと様々な事があった。様々な同僚がいた。様々な事を学び、また様々な物を失った。一人歓喜に沸いた出来事もあれば非情な仕打ちを大いに受けた事もある。頭を抱えた事もあれば、腹を抱えた事もある。とにかく喜怒哀楽、嬉笑努罵の中を縦横無尽に泳ぐような、そんなモラトリアムな時間であった。

***

 働き始めた頃は、とにかく頭が忙しかった。ドイツ語もままならない上にパンの知識が皆無と来ては、丸腰で戦に出向くも同然である。仕事中はひたすら同僚の表情やら雰囲気やらを観察し、声のトーンで事の重要度や作業の正誤を読み取れるように努めた。拙いドイツ語ながら果敢に質問をしたりしておきながら、いざ意見や気の利いた一言を求められると瞬発性と語彙力の不足にやきもきしていた。それでいて、納得いかない事があると相手がドイツの大男であろうと怯まず面と向かって文句をぶつけていたのだから、若い時分の身の程知らずな癇癪は困ったものである。

 職業訓練二年目に突入する直前に、ブロートを成形する分担に入る機会を貰えた。これはチャンスだと飛び付くように生地に触ったものの、ライ麦粉で出来た生地は粘着性が強くろくに丸められもせずに、悔しさの念を吠えつつもしばらくその仕事をさせて貰える期間が続き、少しするとすっかり人並みに成形が出来るようになっていた。その頃にはコミュニケーションも随分とれるようになり、そうして自信を付けたドイツ語を携えて北ドイツの小さな村へと一人旅を敢行した。これが実にいい経験であった。
 
 一方でその当時は約一年の間、精神を病んでおり懊悩の日々が続いていた。はっきりとした事をここでは言うまいと思うが、その一年間であらゆる事柄を多岐に渡り自問自答し、推測と解析とを繰り返し随時日記の如くそれをしたため休みなく脳内を忙しく駆け回った後、その全てに合点がいく解を導き出した私は、心がすっと晴れやかになる感覚を覚え、それ以上悩み悶える事は無かった。

 すると今度は、当時同じ職場で働いていた同郷の面々からすっかり孤立する事態となった。しかしながらこの原因は明白に私であった。懊悩の終焉を機として私は目標にストイックであろうとした為に、日本語を遠ざけ、日本らしい気遣いを廃し、彼らと仕事中に関わる際もドイツ語でのコミュニケーションを徹底し、同郷同士つるむ事を自ら拒否していた。それを我が正義として誇り、煙たがられ孤立しようとも間違っているのは自分ではないと、孤独ながら血気盛んに胸を張って過ごしていたのである。そんな私も年齢を重ねるうちに当時の態度は実に傍若無人かつ生意気であったと自省するまでになった。これもまた身の程を知らぬ若気の至りである。

 そうしてなりふり構う必要が無くなり自らの目標にのみ照準を合わせだした私は、随分と勢いのいい日々を送った。今思えば実に孤独であったのだが、当時その一点に対しての私は幸い鈍感であった。むしろその身の軽さに勢いは増すばかりで、飛ぶ鳥を落とし竹を破るようにドイツ語や製パン知識の勉強に精を出した。

 その努力は―当時努力と言う感覚は無かったがここでは代替語が見つからない為に努力とする―、日に日に実を結び同僚との会話も増え、仕事もみるみる覚え、実に活き活きとドイツでの製パン修業の日々を謳歌していた。そしてそれは、ドイツ人に媚び諂って機嫌を取り気に入られるという従来のやり方ではなく、あくまで個人同士対等なコミュニケーションの上に成立していたので実に心地良かった。


 そうして信頼を得ていったある日、私は一人の同僚を解雇に追い込み裁判所に出向くような事があった。と言っても私が何か卑劣な悪行を振り翳したわけではない。少し気性の荒い彼が暴力紛いな行動を別の同僚に取り、それを目撃してしまった私は社長からの事情聴取に怖気付いた挙句、正確に説明出来ない事さえも、こんな風だったように見えた気がするかもしれない、と言う実に曖々然として昧々然たる答弁をしてしまった事で、気性の荒い彼は解雇させられてしまったのだ。奇しくも彼は私をずっとかわいがってくれたマイスターであった。ある私の誕生日の仕事終わりには、道端でビール瓶を交わした事さえあった。

 そんな彼が社長から呼び出され解雇が決まり工房に戻って来た後に睨み付けるように私を見ながら「お前の証言のお陰でクビになった。ありがとうな。」と小声で最後の挨拶をして来た時、私は自身の曖昧な答弁を反省し、以後分からない事は分からないと言おうと心に固く誓ったのであった。裁判所へはその後、目撃者として行く事になった。


 三年目になると仕事や職場の雰囲気にも慣れ、また最終試験を前に恋人が出来た。彼女は同僚の日本人で、今なお恋人関係は存続である。最終試験はミュンヘンで三位という結果に終わった。実技も筆記も手応えはいまいちで、自己採点では満足のいかない出来であったので少々成績を疑ってしまったが、目視の出来る結果を一つ得られたのは素直に嬉しいと感じた。

 試験が終わるとゲゼレ(※3)として認められ、給料と責任が増えた。デッキオーブンなどの責任のある役割を教わり、今に至るまで失敗と反省、挑戦と希望を繰り返しながら自分なりに精度を上げてきた。やはり人生修業に終わりなしなのである。

 ところが今度は、何人かのドイツ人の同僚から陰口を叩かれる羽目になった。この職場に長い間勤める人間が作り上げて来た常識から外れた、へらへらしながら真面目に働き積極的に学ぶ私の姿勢が気に入らなかったのだろう。随分と勝手な空想と滅茶苦茶な言い分で雑用をさせられたり事実と異なる作り話で文句を言われるような事もあった。どんなつもりでそんな事をするのか、理由に当たる部分が私には解っていたのでムキになる事も精神を病む事も無かったが、当然良い気持ちのするものでは無かった。


 こうして製パンの勉強や実務経験のみならず、多様な社会勉強、人生経験を味わえた職場である。この五年間は私の今後の将来の為にも実に価値のある時間であった事は明白な事実である。これは決して酷い話をひけらかし綺麗事で絞めて美談にしたいつもりではない。実際、文字にすると散々酷い目に遭っていそうだが当の本人は相も変わらずへらへらとしているのだから呑気なものである。そうではなく、ただこの過した経験が重要な価値を持っていた事実をここに書き残しておきたかったまでの事である。

***


 辞職を目前にした一週間は常時心がそわそわとしていた。果たしてこの選択を疑う気持ちがあったかもしれない。こういった時に思い起こされるのが決まって良い場面ばかりであったりするから困る。いっそ怒りに任せて辞表を投げつけて去る方がよっぽど解りやすくていい。

 とにかくこれからまた新たな挑戦に向けた準備が始まる。面倒事も増える。休む暇など無いも同然であるが、一度少し五年戦ってきた心身を労ってやろうと思う。


(※1)マイスター:ドイツ手工業などにおける高等職業能力資格、または保持者。学士レベル。

(※2)ブロート:大型のパン。ドイツパンと聞いて想像する大きくて硬そうなパンはほとんどがブロートの類。

(※3)ゲゼレ:職人の国家資格。ゲゼレを職人とすると、マイスターは親方。


最初から読みたい方はこちら↓
*0-1 プロローグ前編

前回の続きから読みたい方はこちら↓
*4 ドイツのパン屋

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