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*13 学びて時にこれを習う、悦ばしからずや

 占星術と言う学問に置いて春分の日と言うのは、どうも宇宙元旦などと呼ばれる一つ特別な節目であるらしかったのだが、そんな日の翌日に、私は六年前に知り合ってぎりで殆んど疎遠であった友人とビデオ通話で久しぶりに再会し話をした。これが私にとって途轍もなく励みになり、また春分が元旦だとするならば実に幸先良く新年を歩き出す運びとなったのである。


 五年ぶりに言葉を交わすきっかけになったのはインスタグラムであった。今月に入り、居も改め、いよいよ腰を据えたが時間ばかりあった為に、私は仕事もせずにただ只管、来る日も来る日も絵を描いてはインスタグラムに投稿をしていたのであるが、その友人である彼女がそんな私のアカウントを見付けフォローをしてくれたのがはじめである。しかしそれだけでは、到底そこに特別な物語性などは感じかねるわけであるが、彼女は彼女で自身のインスタグラムにおいて、私が知り得る書道とはまるで別次元の秀抜たる書道を日々練習しているという事実を知ると、自身の芸術的側面を発表している同士として共鳴を感じずにはいられなかったのである。

 ところが私から言わせれば、それでもまだその事象の物語性を満たすには不十分であった。畢竟それを決定付けたのは、五年前に私が彼女から激励の書を受け取っていた事にあった。


 当時一年だけドイツにいた彼女の趣味が書道であると聞いて、三人くらいで集まるなり各々半紙に前向きな文句を認め合い、それをエールとして交換し合った若き日の思い出があるのだが、私はそれから額に飾ったりしながら依然としてその書を手元に置いているのである。それから今まで互いに音沙汰もないのが極普通であるくらいの関係であったのだが、私はその書だけは常に持ち、その言葉を心に響かせ進んできたのである。そして今それを書いた張本人が、五年の歳月を経ても今なお書道を続け、しかもその先で今度は五年前と違う芸術的角度から再び出会った事に、奇異な物語を読まずにはいられなかったのである。


 画面越しに膝を突き合わせ、五年前の思い出話やそれぞれの近況のみならず、互いに抱く将来の野望であるとか各々が触れている書道や絵といった芸術であるとかについて話を弾ませ、また互いにエールを送り合い熱く言葉を交わしながら、それでいてまるで五年ぶりとは思えない程極自然な温度の時間を過ごした。この手の話が出来る人が周りにいないという話を聞いて、私も自らの周囲を見渡すと、なるほど確かに殆ど見当たらなかった。それほど貴重な時間を授かり、そして吹き掛けられた息によって、この日私の胸の内では、これから始まる挑戦に向けていこっていた炎が確かにその勢力を拡大させ、背筋に沿って一本の火柱を盛大に立ち上げたのである。

 通話を終えると、酒を飲んでいた事もあり、まだ夕方ではあったが一度眠ろうとベッドに入った。ところが、一向に眠れる気配が無いのである。仰向けに横になっても、さっきの火柱が背中をじりじりと熱して、どうもじっとしていられないのである。そうして私は挙句起き上がると、再度机に向かってまた絵を描き始めたのである。

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 いよいよ待ちに待った挑戦を目の前にして、居ても立ってもいられない状態である。早く始まって欲しい気持ちもあれば、もう少しだけ待って欲しい様な気もする。気合十分に標的を睨み付けているかと思えば、不図怯んでしまいそうな気もする。

 物事が始まる前はいつでもそうである。執拗にそわそわするのである。期待と不安がこれでもかと入り混じるのである。私が高校を卒業して初めて親元を離れ県外で就職した時もそうであった。それからその職場を辞め、ドイツへ飛ぶ前も当然そうであった。ドイツに着いたばかりの頃は、起こすアクションの全てがそうであったし、未だに生活の中にそういった場面は数多くある。

 過去に、行動力の凄まじい人を何人も見て来た。時には傍から見た私自身がそういった人であると言われた事もあるが、私からすればその都度びくびくと緊張している私に行動力が備わっているとは到底思えなかった。私は常に、実行的瞬発力のある人を羨望の眼差しで見つめていた。そしてそれが私の目の前で発揮された時、途端に私は自分自身がとても弱い人間に思え、その都度己の嫉妬心を甘やかして来たのである。


 今はもうさすがに羨ましがるような事はない。そう言うと嘘になってしまうかもしれないが、要するに行動力のある人と自分を見比べても自信を喪失して滅入ってしまうという事が無くなったのである。もとい、そもそも比べなくなったのである。どう足掻いても私はこういった場面には、見えない未来を然もそれらしく空想し、故に緊張し、怯み、そして牢籠いでしまう人間なのである。それでもそうした性質を理解した上で、そんな人間の戦い方を探るのである。

 
 しかし現実は、いくら劣悪な空想に怯え震え足掻っても、形を変えることなく無機質な壁の様に迫ってくるのである。壁が迫ってくるのであれば、そのまま押し潰されるか、突き破るかの二択になり、そこで漸く私は腹を括って壁に向かっていけるのである。すると突き破った先で決まって、あんなに怯える必要が無かった、と気付き、必要以上に感じていた不安や恐れから瞬時に解放されるのが常であった。ついさっきまで描いていた黒い雲が、果たして私が自ら勝手に作りだした物であったと思い知らされるのである。


 前もってありとあらゆる可能性を考え、その全てに対応出来るように準備をしておいてから飛び込みたい、と言うのが客観的に見た私の性質である。

 前もってありとあらゆる可能性を考えた所で、その全てに対応できる準備をしようと思うと時間が幾らあっても足りない、と言うのが片や主観的に、また経験上理解している事である。

 それらが何度も鬩ぎ合い、そして結局、現実に飲み込まれて真新な更地だけが現れ、さっきまで二択の間を往復してばかりだった男も、まるで何事も無かったかのように平然とした顔でその更地を歩き始めるのである。まったくもって面倒臭い脳味噌である。

 こういった脳内大戦争が勃発した際は、これまでも決まって文章に書き残してきた。恐らく誰にも見せる事はないが、確かに自分を鼓舞し形成してきた文章と言うのが、パソコンのデータの中や紙のノートの中で、歴史を作り、そしてまた未来を築く礎として太く生き続けているのである。稚拙であろうと確かに私の心情を綿密に表現し、繊細に象った文章は永遠に私の心を私の為だけに刺戟し続けるのだと私は思っている。

 そういった刺戟の類は自発的な物だけではない。例えば私には心から敬愛する文豪と、ロックンローラーがいる。その名を軽々しく公にする事は控えさせて頂くが、彼らの文章や音楽は確かに私の弱い部分を救い、時に私の肩を支えているのである。彼の文章は私の心に清らかなメロディを奏で、彼の音楽は私の心に物語を与えるのである。そしてそれらは、例え流行りの音楽や文学があったとて決して私を裏切ることなく、また私の心も決して彼らを離さないのである。常に力を与えてもらえるのである。


 高校の頃、卒業を前にして学級担任に大学への進学を心底勧められた。私の成績だけでなく将来さえも見据えた上で促してくれていたのだと、今になって漸く分かったが、当時の私は高々十八年生きただけの世間知らずな若輩者でありながら、勉強が好きではない、という幼稚な理由だけで、教諭の勧めを一刀両断したのである。奇しくもそれから十年が経ち、皮肉にもこれから学生に戻らんとし、あろうことか、勉強が好き、などと言っているのである。全く優等生にも劣等生にもなれずにいた当時の私の頭では到底、予測不可能な展開である。


 着実に押し寄せてきている、間もなく始まるマイスター養成学校という壁を前にして、不安と期待に怖気付きながら、例によってそんな自分の心の内を隅々までねちねちと書き綴った。実に面倒臭く恰好の悪い文章であるが、これこそ私が私なりに私へ送るエールである。





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*0-1 プロローグ前編

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