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留学のススメ その6 ~どのようにして英語ができるようになった(と実感できるようになった)か【後半】

前半については下記参照

その5では、最初の中学~高校の6年間の留学期間の中の、前半3年間についてざっくり書きました。当初、私たちの親子留学は3年間の予定だった。私の中学3年間、弟の小学校4年生~6年生の3年間。キリがいいし、まあそれだけ外国で暮らせば、我々の若さなら英語もマスターできるだろう、と思っていたからです。しかし実際のところ、3年経った私の英語の実力は、やっと友人と会話ができる程度が身に着いたところ。このタイミングで帰国しても、私は胸を張って「英語できるよ」とはとても言えないし、日本の高校生としてその後の生活をしていたら、私の英語力はすぐに消えてなくなる気がした。そのくらい、まだ薄っぺらいもので、”英語ができるようになった”っていう実感が全くなかった。弟に関しても同じようなもので、母親もそれは察していたようだったので、3年経った時点で「帰国するか?留まるか?」という話になった時、かなりすんなりと、留まることになった。(ちなみにこの6年間ずっと父親は日本でひとり働き、仕送りをしてくれていた。多分この時一番「え…」と思ったのは父親である)

そういえば、私が留学していた国では中高一貫教育だったので、高校受験はなかった。受験勉強の必要性がなく、それまでと全く同じ環境で生活ができることが保証されていた、というのも、その時迷わず留学続行を決めることができた要素だったんだな、と今気づいた。

その後の3年間は、特筆すべき「英語ができなくて困ったエピソード」がないので、簡略化するけども、高1くらいになってやっと、宿題も楽勝になってきた。とはいえ、特に理科なんかは、辞書で日本語にしてみても全然意味わからない単語がたくさん出てきていたので、よく理解できていたかというと、全くそうではない。テキストやテストに出てくる問題のコツがわかってきた、というだけである。問題に使われている単語から、教科書のどの部分のことを言っているか推測して、当てはまりそうな答えを書いて提出していただけだったけど、幸いそれで大体あっていたので、成績が安定して良くなった。

更に、英語が分かるようになってくると、英語で英語を勉強する、ということができるようになってきた。どういうことかというと、日本でいう国語の勉強が、捗るようになったということである。授業で扱う本や映画から、作者の意図を考える、だとか、その時代背景はどうだ、とか、そういうことが頭に入ってくるようになる。留学したての頃は、いちいち分からない単語を電子辞書で訳してはメモっていたけど、そんなことしても文章全体が入ってこないから全然意味が分からなかったんだけど、高校生になったくらいから、辞書はあまり使わなくなり、少々分からない言葉があっても、文章のニュアンスで理解しようとするようになった、という感じだろうか。翻訳することが目的であればバンバン辞書引かないと無理だったと思うけど、私だけが理解していればいいという場面において、辞書はあまり必要なくなっていた。(といっても、授業の際はいつも電子辞書を持ち歩き続けた気がするけど)

また、英語でエッセイを書くコツや、プレゼンの構成の仕方なども、勉強することができ、またそれが身に着いたのは大きかった。国語であればエッセイは成績評価の大きな割合を占めたし、プレゼンに至ってはどんな科目でも評価課題としてよく直面したので、このふたつは数をこなして少しずつ上達していった、という感じだと思う。特に大学の入学にも関わる試験前は、かなりみっちり先生に特訓してもらって、何本もエッセイを読んだし書いた。しかし帰国から10年経った今、英語で捕鯨について、賛成の立場からエッセイを書いてみろ、と言われても(これは確か高校2年生ぐらいの時に実際あったトピックなんだけど)、全く書けない。当時しっかり私の身に着いたエッセイ構成のルールは、もうすっかり脳から消え去っている。これは自慢だけど、当時私のTOEFL iBTのWritingのスコアは28/30だった。(ちなみにReading, Listening, Speakingは、6年間も留学していたにしてはそこそこ酷い。これもまた別途書くかも)習ったルールを適用しながら文章を書くということは、私にとってそんなに難しいことではなくなっていた。確かに今の私には、英語でエッセイを書く必要なんて一切ないから、忘れてしまったことは仕方ないんだけど。でもすごく勿体ないなあと思う。英語で文章を書くことを、価値化することができたんじゃないかと思うんだけど、そんなこと、無職になるまで考えもしなかった。

でも、OL時代はよく社内のプレゼン大会で入賞していたので、プレゼンの基礎みたいなものは、私の頭の奥底にこっそりと居着いてくれているのかな?

でもいずれにせよ、エッセイもプレゼンも、ルールと言えるくらいのコツが存在しているのは確かなので、それさえ押さえれば、誰でも文章は構成できます。もちろん、説得力が増すかどうかは、その人の文章力や単語力に依存すると思うけど。だから、私もまたその辺(Writingのコツ)を勉強しなおせば、たぶん書けるんだと思うんだけど。

話を戻します。結局留学して6年経って、大学入試とも言える、州統一試験で、私は州のトップ1.6%に入る成績を収めた。そしてその国の国立大学の、かなり狭き門であった、第一志望の学部から入学のオファーを受けた。各科目の成績上位者は新聞に名前が出るのだけど、5科目中3科目(だったと思う)は名前が載った。そして日本の私大の国際系学部にも合格した。その時、私は、自分の英語力にそこそこ満足できた。というより、実は「やっぱり私はネイティブにはなれないし、ネイティブには勝てない」と、6年間で徐々に思うようになって、最終的に確信した。これ以上は、英語で勉強しても、例えば私と地頭の良さが同じくらいのネイティブとその分野で競うのならば、私が勝つにはその分時間を費やして努力しないといけない。それをずっと続けていくと決心することが、その国で進学することだった。それは、ハッキリ言ってしんどい。私は努力をしたことがない人間なので、努力の量が明らかに少なそうな方を選んだ。そして帰国したのだった。未だに、私にとってはこれが正解だったとしか思えない。(他にも大事な帰国の決め手となった理由は、以前に記事にしています)

ちなみに小学4年生~中学3年生までを海外で過ごした弟の英語力について。彼は、発音や会話力に関しては私よりもネイティブに近かったと思います。でも、逆に距離感が近すぎる言い回しをしていた気がするし、英語でエッセイを書くとか、プレゼンを構成するということは、彼の身にはつきませんでした(中3までだと、その辺はあまり習わなかったのかも)。でも、今は仕事で多少英語使ったり海外出張行ったりはしているみたいなので、やはり戦力になるくらいの英語力はあるのかな?まあ、仕事内容や評価はわかりませんが。でもTOEICも最終的にヤツの方が得点上だったな。

一応まとめます。私個人の体験ですが、中学3年生の時点(留学3年間)では、私の英語力は、友人とどうにか会話できるレベル、高校3年生の時点(留学6年間)では、英語でエッセイが書けてプレゼンできるレベル、といった感じでしょうか。そして帰国から10年経って、その間ロクに英語使っていないと、ゆっくり英語で話してくれる外国人と、まあ意思疎通ができるレベル、まで下がりました。(つい先月、留学時代の友人が日本に遊びに来たので会った時の話)

結論、どの程度英語ができるようになったか、ではなく、身に着いた英語力を下げない努力が帰国後に必要だと、私は思っています…。

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