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正誤思考や結果重視の世界は生きづらい



『〝分かりません〟じゃなくて〝忘れました〟でしょ。』

これは私の記憶の中にある、学生時代に
担任が授業中に放った、冷たい一言だ。

ある生徒が、当てられたところが分からず
「わかりません」と、か細い声で言った。

「私は教えたはずですよ、知らないはずがないですよね。分かりませんじゃなくて、忘れました、でしょ」と返ってきたのだ。

あの目、あの声、
あの、シーン...と静まった教室の空気

ほんとうにこわかった。

その場が凍りついた感じだった。

分からないものは分からないと言って、それのどこがいけないんだろう。学習したことを1回で吸収できる人間ばかりではないし、忘れることがあって当然だと思う。

その正誤の重要性はあったんだろうか。

優しく教えてくれてもいいのに
なんでこんなに厳しいんだろう

と思いながら、いつも
ハラハラ、ドキドキしながら授業を受けていた。


1+1=2の義務教育


義務教育は、1+1=2 というように、
問いに対して、〝正しい〟答えがあるものを
解くことが多い。

正解か、間違いか、善か悪か
正しいか、正しくないか、
ジャッジされることがたくさんあった。


結果が全てだというように、テストの点数などで
評価され、通知表が配られる。 

たびたび、テストの点数に一喜一憂していた。

何点だった〜?と聞き合う友達ばかりだった。
聞いては他人の点数と比べ、心の中でお互いに
優劣をつける。そんな世界が嫌だった。


運動神経が悪く体育が苦手すぎる私は、
みんなに見られて恥ずかしい思いをする体育が
特に苦痛で仕方なかった。
〝あとの授業は、筆記なのに公開処刑の気分...〟と
よく凹んだ。(苦笑)

べきねば思考
二択しかない世界はとても生きづらい。

〝できた〟〝できなかった〟は脇に置いといて、
結果よりもプロセスを重視するあたたかい世の中になってほしいと願う。

みんなは楽しかった思い出なのに

私にしてみれば、体調にしても人間関係にしても、
本当にしんどかった学生時代。
運が悪かったのか、神様が私を試すためだったのか
中3の時の苦手だった担任は3年連続だった。

同級生はというと、卒業してからも母校に愛があり、楽しかった思い出。
青春を謳歌した場所、一生付き合える仲間と出会えた場所だという子が多い。

在学中は、〝私が感じているぐらい、みんなもしんどい思いをしているはず!、コワイ思いをしているはず〟と思い込んでいた。

だが、卒業と同時に、そうではなかったんだと分かり、ショックを受けた。

私には学校という環境が合わなかった。

そう考えると楽だし、全ては経験で今に繋がっている。

だけど、一方で、
みんなと同じように楽しめなかった感じられなかった、と思うと、少しばかり胸がチクッと痛み、悲しくなるのであった。

感じ方は、本当に人それぞれ。

ポジティブだからいいとか、ネガティブだからよくないとかそういうものではない。

プラスもマイナスも両面あってこそ。

怒られても全然平気な人もいれば
人が怒られるのを見るのさえも苦手な人もいるわけだ。

私は後者だが、繊細を強みに。捉え方次第で
生きづらさが生きやすさに変わる
んだから
強くしなやかに生きていきたいと思う。

半歩ずつ、ゆっくりと。


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