太陽に焼かれて殺されたダニの香りの芳香剤を売れ 第05話 君が太陽
目覚ましの音で目を覚ました。
普段よりも早い。今日は浅荷との約束がある。
身支度を整えずに鏡を見た。髪が恐ろしく跳ねているのを直さず、服もいつもより気を遣うこともなく、ジャージはやめて単なる長い袖の上着にした。
いつも通りだと思った。
家を出ると風が頬を撫でた。「風が吹いている」ことを感じることに驚いた。空は雲の隙間だけ澄み渡っている。俺が出かけるとき、特になにか意味がある出かけのときによく見る空だと言って他人に伝わるだろうか。夏でも冬でもない土曜日の朝って感じの朝だ。
つまり結果的に……絶好の買い物日和なのだろうか。
待ち合わせ場所に着くと、浅荷は既に来ていた。
「おはよう」
「おはよう。早い」
「あんたこそ。早く来ると思ってたから」
「そうかな……」
「そうかなってそれは私だけが思うことでしょうよ」
「行こうか」
二人で商店街を歩き始めた。靴屋はこの先にある大型ショッピングモールにしかない。
浅荷はジャージを着ていた。ジャージを着ていることに、普通ならがっかりするところなのかも知れないと思った。ジャージは決め時の服じゃないから。
でも異様にしっくり来ている、と思ってしまった。俺こそ普段のジャージではなく、とは言ってもジャージより一段回だけ上のグレードの服を選んでしまってい、浅荷より気合を入れて今日に臨んでいる感があるが、勝ち負けじゃない。相手より気合が入ってるほうが、相手の方が気合入らせてしまって滑ってしまってると思わせるより全然ましだろう。
そう思うと、俺は浅荷に恥をかかせたくない、彼女の気分を下げたくない、気持ちを尊重したいという感情を持っていると逆算できてしまう。この事実に気づくべきだったのだろうか。
浅荷と並んで歩きながら、俺は自分の心の中で渦巻く感情に戸惑っていた。彼女のジャージ姿は、普段のジャージ姿とは違うように見えた。なぜだ?
街はまだ静かだ。彼女の隣にいるのはいつも通りのことなので落ち着くはずだった。だけど、今日は何かが違う。
彼女はいつものジャージ姿だ。クラブ帰りに一緒に下校するときと同じ格好です。でも、何かが違和感を生み出している。それが何なのかはっきりと掴めないまま、俺は彼女の横顔をちらりと見た。いや、横顔を見たつもりはなく、全景を見たつもりだったのだが、異性の全景を見たと言ってしまうとなにか良からぬ意味が生まれてしまう気がして言えなかった。
彼女のジャージ姿は普段と同じはずなのになぜか新鮮に見える。違和感の正体を探ろうと、もう一度彼女を観察した。髪型も同じだし、靴もいつものスニーカーだ。じゃあ一体何が違うんだろう?
「どうしたの?」浅荷が不思議そうにこちらを見た。「虫ついてる?」
「いや、なんでもない……」
ただ、今日は何か雰囲気が違うなって思って。と言えなかった。
「そうか」
彼女は首をかしげる。その仕草になぜか目を逸らしてしまう。
「俺の気のせい」
「ふーん、まあいいけど」と浅荷は笑った。
商店街に差し掛かると、パン屋から焼きたての香りが漂ってきた。朝いつも食べていないことに気づき、少しお腹が鳴る。
「パン買う?」
「うーん……そうしようかな」
「あんたモールでは絶対食べないでしょ」
「それは……」
おそらく浅荷はいつかの会話で、俺が外食の行列に並ぶのを苦痛に思う的なことを話したことがあるのを覚えているのだろう。律儀だと感謝すべきなのだろうか。
「普段だったら絶対こんなパンは買わないだろうな」
「買い食いにしても高すぎわろたって感じかもな」
「朝は本当に食えない」
「私は食えるけど」
「そりゃバレーだからだろうよ、俺は固形物が食えない」
「流形物を食ってるの?」
「流形……」そんな言葉はあるのだろうか。
「流動的なものを食って……飲んでる」
その言葉が終わった瞬間、商店街の喧騒が遠くに感じられ、俺たちの間に微妙な沈黙が流れた。浅荷はしばらく俺を見つめていたが、すぐに笑顔を取り戻した。
「流動食って何よ?」
浅荷の疑問に俺は一瞬戸惑った。軽く笑って答えるべきか、それとも少し詳しく説明するべきか迷った。
「流動食は、簡単に言うと飲み物みたいな食事のことだよ。固形物があまり食べられなくて、これで栄養を取ってるんだ」
「そんなんわかっとるわ!!何を飲んでるか、聞いとんねん」浅荷は興味深そうに(?)尋ねてきた。
「プロテイン……筋トレの補助とかにも使われるね」
「だからプロテインぐらいわかるわ!健康のため?お年頃?」
「お年頃……そうとも言えるけど実際は、ちょっと運動してるから必要で」
浅荷はさらに興味を示した。「運動してんの?筋トレ?」
「ちょっとだけ筋トレしてて……。懸垂とか体幹に効く系の。でも……根っこから文化部だから大したことなさすぎて言いづらい」
「へぇ。バレー部でも体幹とか大事だよ。頑張るのはいいことよ」
「そりゃバレーなら大事だろうよ」
俺は浅荷の言葉に少しだけ安心感を覚えた。普段は話さないこの話題を共有できるのは、彼女との関係が深まっている証拠かもしれないと感じた。
「ありがとう。俺に比べるレベルどころじゃないだろうけど……毎日練習やばいんだろうな。バレーって本当に厳しいんだろうな」
「楽しい。みんなとも仲が良くて。あんたは自分のペースで頑張れば」
「うん」
浅荷は微笑みながら頷いた。「そうだね。私たち、似たようなところがあるのか」
「え」
似たようなこと?
「あんたの話を聞いてると、もっと色々な面があるんだなって思った」
「俺も浅荷の話を聞いてると、自分のことをもっと理解できる気がする」
「いや自分だけか」
浅荷は優しく微笑んだ。「それなら良かった。私があんたを照らしてやるか……」
照らす……。俺はパン屋内で、同級生の女から身体の一部分を照らされるのだろうか。
【謝辞】
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