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枯らす恋まで 鳴らす恋まで ずっと I I I Love You

飯尾和樹のずん喫茶でイレギュラーみたいな回があった。
ヘッダ画像を有志の方からお借りしていることをお知らせいたします。

といっても飯尾からしたら別に普通の収録の一環にすぎないに決まっているのだが、飯尾の実力といいますか人の良さが凝縮されたからそう感じたわけです。

このときは横浜子安駅で初めて降りた駅だった。駅舎はなんの遊びもない、昔からそのまま続けてるような駅舎だったと飯尾も言っていた。エスカレータあるのかないのかというところ。設置が簡単そうでバリアフリーのためのエレベータぐらいはあるだろうかというところ。

そういうのもイレギュラーだし、喫茶のあるじに対しても結構イレギュラーだったように思う。ただ結論をいえばぼくがこの番組を見すぎており、そのような飯尾の所作に回数を重ねるうちに麻痺っていたのが時間のずれや集中度合いの違いでなぜかはっきり浮き彫りになっただけのことであるようにも思える。

それが冒頭にも述べた飯尾からしたら別に普通の行動でしかない、という語にあらわれている。

喫茶の店長に対しては普段、名前をフルネームで訊くのでぼくは常に別にそこまでしなくていんじゃん?と思ってい(思えばいつもそう思ってるから今回はそうじゃなかったことで)、よく聞こえなかったり名字だけ名乗られるといちいち下の名前まで訊く。やめとけば?と思う

だが飯尾の恐ろしいのは(もちろんもしかしたら制作と連携したりしてんのかもしれないが)、その慌ただしく店に入った時の混乱もあるだろう際に聞いた名前を絶対に忘れずにそのロケ中相手をその名前で呼び続けることだ。ぼくにはそんなこと恐らくできない。

いくら職的な業の一環だからといってそこまで短期記憶力を強化できない。勝手な想像だしぼくはその頃生きてなかったかもしれんが、飯尾は泣かず飛ばずだったLaおかきの頃とかにありとあらゆる苦痛を味わい、そのような相手への礼節が個人の中で確たるものとなったのかもしれない、とこのような側面から想像される。

だって恐らくこの番組はレギュレーションみたいなものが撮影対象に対してはあまりなく(勝手に営業継続店の1日を潰して撮影するんだからそりゃ当たり前だろうが)、好き放題友達や家族(孫だってOKだ)を撮影日に連れてきて一緒に飯尾と並べたりするのが当然で、その名前を全員訊くことすらある。その名前を飯尾は一回で覚える(編集がなければ)。

ところが、このスナック峰に対しては(そんな名前じゃない)峰さんとも呼ばず下の名前をも聞かずマスターと呼び続けた。書いてて思ったが、名前忘れた時はマスターと奥さんみたいに呼んでたかもしれない。いちいちそんなあら捜しはせん。

また入口に植木鉢が3つ、親指で操作しないとあかないドア、ここで自動ドアの設置コストについてぼくは考えずにはいられなかった。

そして店内に入ると飾られた羽子板がエアコンを支えている。そして奥の席は予約となっていたがそこに座ることになり、インベーダゲームのような机になっていた。ずん喫茶ではあまり珍しくないのだが、ぼくはこのような机を使ったことがなく、この上でヒーコーとかしばき倒していいの?と、画面は傷つかんの?とか水大丈夫?とか思ってしまう。曲がりなりにもぼくのアカウントはゲームについて述べるものだから。だが、生きることがゲームであることであるという結論にこの前達してからはもはやどうでもいいし、その前からそう思っていたのでもはやすべてがどうでもいい。根本的な善になるまで愛して欲しい。

インベーダ席にすわると、後ろの窓から京浜東北線だの東海道線だのあらゆる線路が見える。7つ見えるらしい。この前子どもが来て、23時間ぐらい居座ったらしい。

このようにイレギュラーまみれの店だった。店長は60~70代かと思ったが80半ばであり、写真が趣味だったがもうフィルム時代でもなくなったしもういいかな、握り→酒屋→現店と変遷してきたが、体一つで残りの人生はこの店に捧げようとしているのだろうかと思わせた。

というのも、この店長は覚悟が違う。横須賀造船所が呉か何かに移ってしまった時に酒屋需要がなくなり、1年間喫茶にバイトかなにかで弟子入りして学んでから店舗を改造している。ちょっと凄まじい。人脈づくりとかあったのかもしれないが、握りで独り立ちした実力を持ち、横須賀の大工を酒屋で20年位も満足させたという実力は慢心に変わらず、学びに行ったと聞かされ、人生の厚みが違いすぎることにもイレギュラーを感じた。

そして喫茶35年ぐらいの経営が続いて初めて、砂糖を入れないブラックが飲めるようになったらしい。ぼくは飲めない。飯尾にでてきたのはココアフラッペのようなものだった。何から何までイレギュラーじゃないか?ぼくは混乱しすぎて、なぜ喫茶とは喫茶店と呼ばれるのだろうか、喫茶という単語は全くここ以外のケースでは使われないのに、喫食は使われるんだろう、なぜ喫食店じゃいけないんだろう?と思わされるばかりだった。喫食店、喫食屋、何故いけないんだろう。なぜ大衆食堂とか呼ばれてしまうんだろう。

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