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食欲の冬リローデッド

しょうがないから食べ物の話をします。これはぼくに限った話ではない。

無理やりにでも知人程度の人とその場を埋めるための会話をしなければならない時に、無理やり会話の題目を引き出します。無難だからという理由で食べ物の話題は得てして多いことでしょう。

その際、ぼくは一度も「やめろ」と言ったことがありませんし、「やめろ」然としたことを言わないように心がけた結果、やめるべきであるとも思わなくなりつつあり、これが処世術の始まりかと捉えつつありますが、身体の不調を訴えつつ、「(特定の嗜好品)」を食うのがやめられないんだよね~みたいに話す人がいらっしゃいます。

はじめにそういう話がぼくにむけてされはじめた頃、ぼくは割と理解できないでいた。

結果的には今でもわからないままです。そのお体の具合が悪い理由はまさにそれですよ。

嗜好品と表現してしまった手前、例を出しづらいのですが例として水を出します。水は嗜好品ですね。特に冷水について。

夏とか、風呂上がりみたいな解放的な時間に人々は冷たい液体を飲みたがるものです。ぼくはそこでやにわに熱湯を沸かし、100℃以上の液体しか飲みたくないみたいな鬱陶しいことを言うつもりはない。

鬱陶しいと言ってしまうと、仮に風呂から上がって熱湯を飲む習慣をもつ人の文化を否定してしまうことに繋がりかねないため、ぼくは風呂上がりに熱湯を飲む人を受け入れています、と表明します。

ともあれ冷水は消化器に負担―――――別に消化器に限ったことではなく、36℃前後という体温が人間にある理由は36℃前後で人間の体内の機能がきちんと動くからなので、36℃という温度を脅かす(下げる)可能性のある物体であればなんだって負担です―――――をかけるため、身体のどこかがおかしいなら摂るべきではない。

ぼくはどれぐらい美味しいかということが解っている飲料でも、身体に悪いと判定できた瞬間にそれらを毒物(に準ずるもの)と認識して、飲まないで過ごすことがいつの間にかできるようになっていました。

これは先天的なものではなく、上記のようにどれだけぼくらに心的興奮をもたらせる魅力的な飲食物であろうと、現在の自分の体調に合わないのだと論理的に理解できた瞬間に食わないでいられるようになったというもの。

ぼくはいつかShake Shackの1000円越えバーガーが食いたいと思っていますが、例えば寝る前に目の前に出されて、何か神的な力で歯を磨かなくても絶対に虫歯にならないことが保証されていても食わない自信がある。消化に睡眠機能が使われてしまい、脳の整理とか怪我の回復とかがおざなりになってしまうため。これを知人との会話で出すわけにはいかない。


また続きの事例をご紹介します。ぼくは冷たくても暖かくても柑橘類飲料が好きなのでサイト内機能でヘッダ写真をお借りしました。

お読みくださりありがとうございました。

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