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「野郎が断れないオファーをしてやるさ」

これはゴッドファーザーのせりふとしてくそ有名らしいものです。ヘッダ画像をお借りしています。

ぼくはそんなことも知らずに生きてきた。ぼくはずっと、何をおいてでも(いや……そんなでもないかも)ゴッドファーザーを見たかった。だけど録画だけして見てない日が続いてたんだけど、ようやくPART1を見た。

ぼくがゴッドファーザーを見たかった理由は好きなミュージシャンたちがこぞってこの映画を好きだと言っていたから。THEE MICHELLE GUN ELEPHANTなんて、この業界に憧れて全身黒いフォーマルにしていたんだろうかと思えるほど。

何よりも登場SEがゴッドファーザー愛のテーマとか荒野の1ドル銀貨とかであった。

後はBLANKEY JET CITYも好きだった気がする。ともあれ自分に映画という趣味ができたにもかかわらず、ゴッドファーザーと距離が置かれたままである状況は許しがたいものだった(じゃあ見ろよ、と言われるべきだ)。

後年、ゴッドファーザーフォロワーとされたようなイタリアン・マフィアを題材・ルーツとしてヒットした映画に惹かれた。惹かれたのは簡単な理由で、ゴッドファーザーより手っ取り早く見れたからです。

代表的な例はマーティン・スコセッシでしょう。ぼくは演技する人や監督で見る映画を左右したいとは全く思わないのだが、マーティン・スコセッシおよびロバート・デ・ニーロ、アル・パチーノ、ショー・ペシなんかは彼らが出ているというだけで見る候補になってしまった。

ただ、鳴り物入りで見たタクシー・ドライバーは全然合わなかった。おかげでぼくはいわゆる古い映画、できれば90年代でも新しいと思えてしまうので80~70年代のが見たいんだけど、タクシー・ドライバーは確かに当時の空気感を得るにあたり相応だったのだが、ぼくは軍隊を経験したことがないしどちらかというと軍を忌避する考えを持っている気がするので、若き退役軍人でありながら、軍属のせいで頭がいかれてしまった(初めて誘った女をポルノ映画に連れて行く等)デニーロに全く感情移入できなかった。

さらにはデニーロが破壊衝動をおさえきれなくなり、つきましてはまず政治家をぶっ殺しますか……という短絡的な思想に陥ったことにもなんのコミットメントが感じられなかった上に、誰でもいいからぶっ殺そうと思った結果が売春婦のボスを殺したことで英雄化したエンドにも乾いた笑いしか出なかった。やってることがストーカーだった。ストーカーという単語が一般化する前に表現したという意味では当時のスコセッシがすんげーのかもしんないんだけど、全然共感はできなかったしぼくは多分どんなに優れた内容でもストーカーがテーマなお話は見たくないのだろう。

ただその後、ディパーテッドやグッドフェローズ、シャッター・アイランドやアイリッシュマン(さらにはアイリッシュマン舞台裏版)についてはその全てがよかったし、おかげでスコセッシ周りの演技する人々について知れた。

その上で思ったんだけど、ゴッドファーザーはその影響度合いがいま挙げたような映画の隅々にまで行き渡っていると感じた。ぼくはこれまでゴッドファーザーが脈々と受け継がせてきた血のようなものを受け容れていたのだと理解してしまった。

別にゴッドファーザー前に見たものが単純な模倣とかそういうことではない。そのあたりについてまた次回以降でお話したい。


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