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殺しの歓び

タクシー・ドライバーの感想です。ヘッダ画像をお借りしています。ぼくは以前、マーティン・スコセッシとはわかり合えないんちゃうかと悲しみに暮れたことがありました。

それは斯様にタクドラの意味がわからなかったためだった。しかしながらマーティン・スコセッシの映画をシャッターアイランド、グッドフェローズ、アイリッシュマン、ディパーテッドと見るうちにだんだんわかりやすくなっていった感触があった。


マーティン・スコセッシ

シャッターアイランドに至ってはタクドラ以前に見ており、わかりやすさパねえなといいますか示唆に富みすぎワロタと思ったものでした。シャッターアイランドの題意はどちらとも取れる。

映画タクシー・ドライバーは割と抑揚がない話だった。一人の男が次第に狂っていく、もしくははなから狂っていて、必然的に「そうなる」様を見届ける映画である、というように途中までは思わされる、という構造となっている。つまり「絶対そうなるやろ!!」と思ってたらそうなるどころか真逆の方向へ向かっていき、いよいよロバート・デ・ニーロが(演じた奴が)何がしてえんだかわからねえわこいつ、みたいに全くすっきりしない終わり方をする。

気になる女を職の業中に見つけ、職の業中にずっと見つめ続ける。その好きな女をポルノ映画に連れて行って、俄然ムカつかれる。それに腹が立ってその女が応援していた政治家をぶっ殺そうとする。

これだけでも映画の突拍子のなさが伝わることでしょう。

気狂いの下地(あるいは視聴者への視線誘導)

しかもデ・ニーロが演じた気狂いは戦争帰りの若者だという下地がある。上記3行に渡る奇行ではあるが、こんな奇行をしてしまうクソさが戦争にはあるんだよ、と言っているようにも見える。

つまりマーティン・スコセッシは映画を造る……といいますか造った映画を発表することで世間にドガっと問いかけたい系の人だったのだろうと思わされた。つまりそれがだんだん面白がれるようになれたということは自身が成長するにつれて映画を撮る技力が単純に上がっていったのでしょう。

で面倒くさいことにぼくはハッピーエンドしか好きじゃない。例えば主役が死んじまうのであれば、目的を完遂したり満足に死んでいってくれないと悲しい。タクドラはどっちでもない。不完全燃焼って言って良いんじゃないだろうか?目的の政治屋はぶっ殺せない。ほぼ確でデ・ニーロは殺せていたと思います。

だって元軍人ですよ?銃の扱いなんて慣れているどころか当時は動いている的に発砲していたはず。演説中の政治屋なんて縁日の射的なはず。

しかも気合い入れるために筋肉を鍛え直すわ、意味不明なモヒカンになるわ(ここに関しては賛否両論あるはずだと思う。職務を間違いなく遂行するためには、普段と同じことが肝心だから。モヒカンなどという周りから奇異の目で見られるに違いない髪型をしていて、精神統一しての発砲などかなうことがないとぼくには思えるのだ。もちろん、ここまでで十二分にこいつの奇行は描かれているので、モヒカンにしたほうが残酷に慣れるとかそういうことが言いたいならわからなくもないんですが、だったらそれぐらい説明してほしかった)、

イメトレしまくるだの……で視聴者は「あーあせっかく軍属から逃れられたんだし、普通にタクドラやって過ごせばいいのにこいつは今から政治屋をぶっ殺してSPに殺し返されるんだ、そういう映画だったんだ。展開読めちゃったな~あーあ」と思う。

これを裏切る。

タクドラは非国民となるどころか、英雄になって終わる。どういう英雄のなり方かについては映画をご覧頂きたい。でもその動機も風俗説教おじさんなので視聴者は「やるな!デ・ニーロ!」とは一切ならないところがもうやるせない。

※風俗説教おじさんとは?

で、英雄になるが視聴者にとってハッピーエンドじゃない。DEATH NOTEだったら月がニアをぶっ殺さずに何らかの形でなんだか知らないけど世界か何かを救った人になる。で唐突に終わる。わけがわからない。

ともあれ、タクシー・ドライバーがやたら高評価だったりする理由の一片がここにあるのかも知れないと思わされた。



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