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俺たちが思うほど世界は俺に導かれない

映画ファーザーの感想です。アンソニー・ホプキンスが主演している。ヘッダ画像をお借りしています。

ンだよこの地獄みてーな世界は……というものがぼくの第一印象でした。

痴呆とは自分ごと化

おそらく一般的な視聴層は(一方的に一般的などというレッテルを貼り付けてしまい申し開きもございません)問題提起に満ち溢れた映画だった、とか、とにかく考えさせられた、示唆に富んだ云々~~とか思うのでしょう。

が、ぼくには次第に周りの人もこうなっちまうのか……という自分ごと化が凄まじかった。アンソニー・ホプキンスの観ている世界は、主眼をアンソニーに置けば割と理解できるが、その理解がなんのエビデンスもなければ関連性もないことがまず理解できていないから、こっちが理解してあげたところで感謝もされないしわかってくれてありがとうとも思われないだろう。

この文 ↑ を見ただけでもう意味がわからないですよね?アンソニー・ホプキンスはそういう世界に生きている。少なくともこの映画の中ではです。

よりにもよってどんどん痴呆が進み、脳がその機能が果たしていかなくなる人間を、当該年齢に近いアンソニー・ホプキンスが演じており、役の名称までアンソニーである。いじめかよ

名字は示されていないので、マジでホプキンス家のアナザーストーリーとでも言えてしまいそうな雰囲気がある。そしてホプキンス自身の演技が好評だのなんだのとファーザーのちらしには書かれていた。

映画を見て、誰々の演技がどうのという感想を抱くのって映画に失礼なんじゃないのかな?とぼくは思います。映画を創った人は、監督はもちろんそのお話のあり方をまず考えてほしいんじゃないだろうか……

もちろん打算的な俳優は演技を褒められたいでしょう。自分が出た映画はそれだけでポートフォリオだ。

ぼくは自分ごと化した。この映画に書かれていることはそのうち視聴者全員の身内に起こる。あるいは視聴者自身がこうなったっておかしくはないのだ。ぼくらはどうすれば……?

残酷映画

この映画が非常に残酷な造りになっている理由のひとつに、視聴者にさえこれが誰の視点なのかわからないというものがある。

視点がわからないって、それはもはやホラーですよ。もちろん演出として、主役が混乱している様と同じ体験をしてもらおうとして視聴層をも混乱させることは技法としてありえるでしょうし、ミスリードだの叙述トリックだのと名を与えられて文化になっているからそれを否定する気はないし寧ろ騙してくれて嬉しいぐらいです。

でもいくらアンソニー・ホプキンスがホラーに強いからって(かってにそういう印象を抱いているだけであり、ぼくは初めてアンソニー・ホプキンスの映画を見ました)、そこまで恐ろしくせなアカンのかい!どっちなんだい!!って……といいますかその主眼の置き方の危うさに加え、主要キャラクタの名前が全部同じなんですよね。

娘の名前がアン。最初の家政婦の名前がアンジェラ(そう、この話は家政婦が大きな鍵であり、家政婦の存在は常にアンソニーと我々を苦しめ、安心させる)で、とどめに主役の名前がアンソニーですよ。アンアンアンってとっても大好きかよ

宵(よい。酔ではありません)が回ってきたところでまた明日。良い週末を


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