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気にしない、気にし過ぎないこと

このところ考えているのは「気にしない」ということについて。

わたしは、どちらといわれなくても気にしてしまう性格。
小さなミスが気になるし、ちょっとの批判が突き刺さるし、誰かがトラブルを抱えていたりしたら自分ごとのように延々と考えこんでしまう。

相談されたら、ずっと気になって考えてしまう。夜も眠れないほどに、妄想が広がって深く入り込んでしまったり。

相談した相手が忘れていて、こちらが聞くまで話題にも出さないくらいのことだとしても。あまりにあっけらかんと解決したよとか、過ぎたことになっているので、拍子抜けすることもしばしば(笑)

この「気にしてしまう」ということ。
それって、自分の人生を生きていない、ってことかなと。

その起こっている問題は、誰かのことで、自分のことではない。
それ私の問題か?と聞かれたら、ちがう。
私の問題ではない。

つまりは、誰かの問題を自分の問題にしてしまっている、ということなのかな
と、ぼんやりと思い始めている。

相手を思いやるとか、心配する、気を配る。
そんなことが優先で自分が疲れてしまうこと、取り越し苦労だと思っていてもやってしまうこと、心配になって妄想が膨らんでしまうこと。

自分のことは、後回しになっているという現状。

そして、そんな自分をケアしてくれる人は、あんまりいなかったりする。
私の心配した時間、解決策を考え悩んだ時間、目に見えないものは伝わりにくい。

私がどんなにいい解決策を考えついたとしても、それをするかどうかは相手次第。やるやらないは、相手が決めること。
私の範疇ではない。

相手を支配したいとかは思っていなくても、こうしたらいいのにと思ってしまうことは、意外と役に立たないことなのだ。

考えてみたら、いくら心配したとしても徒労に終わることの方が多い(笑)
こちらとしては、なんだかとっても切ないのだけれども。。

相手も同じくらい想ってくれたらいいのだけれども、そう思うこともまた自分のエゴなのだと思う。内心、傷ついたりしてる。


なのに相談した相手にとっては、今日のトピックスの一つ、通過点だったりする。
(もちろん、そうではなくて重い悩みだったりすることもあるけれども)

みんな同じ人間。でも、みんな違う人間。

他人と自分の境界線を。
誰かの問題は、誰かのもの。
私の問題は、私のもの。

のめり込み過ぎず、俯瞰して、客観的な視点を。
白でも黒でもない選択肢を。

「気にしないこと」は、悪いことではない。
それはそれで、なんとかなったりするもの。気にしないことで、傷つく人もいるけれども、傷つかない人もいる。

どちらも許容して、受け止められるひとになれたらと思う。

傷ついた私の思いも、いつか報われるように
自分は自分でありたいと思う。


なんだか他人の心配ばかりして、徒労して。
自分のことは、あまり考えてこなかったのかもしれない。

自分にも、優しい言葉と思いやりを持って。
それから、他人のことを考えて優しくしても遅くはない。
というか、それが本来のカタチなのかもしれない。

まずは自分から、救ってあげようと思う。
わかってあげられるのは、自分だけだ。



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