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【長崎で幕末に思いを馳せる】時代の変化の前に必ず思想の変化がある

ー"今" こそが時代の変わり目だと言えるのだろうか?ー

日本の近代化のキーとなった長崎

10月頃から九州に滞在していて、人生で初めて長崎の街を訪れました。

長崎といえばハウステンボス、福山雅治と美輪明宏の出身地・・・。ハイカラな街な印象はありましたが、日本のマカオみたいな場所?と漠然としたイメージ。

今回訪れて分かったのは、長崎といえば史跡の街。かつての海外への玄関で幕末から明治維新をリードした人々が集まった近代化における重要な場所でもあります。街中本当に至る所に史跡があります。

京都でワーケーションしていた夏、二条城の近くに滞在していたこともあり、大政奉還について調べ直したり、南部藩を脱藩して新選組に入隊した吉村貫一郎を題材にした映画 "壬生義士伝" を観たりしました。

恥ずかしながらこの映画を観るまで、坂本龍馬は新撰組だと思っていた。ああ、なんという歴史音痴・・・。

二条城で大政奉還が行われ、260年続いた江戸幕府、700年続いた武士の時代そして鎖国に日本は終止符を打ったのでした。

なぜ260年も続いた江戸幕府は倒幕され、開国したのか?

様々なことがありましたが、時代の流れとしてそれが必然だったから。

幕末から明治維新の立役者たち

江戸幕府を倒したのは、薩摩藩(鹿児島県)と長州藩(山口県)、そしてその仲をとりもったのが日本史のヒーロー坂本龍馬でした。

長州(山口県)というと前総理大臣の安倍さんはこの長州藩の末裔、麻生さんは薩摩藩の末裔ですね。

近代の流れは現代まで続いているのです。

先ほどからアップしている過去の偉人たちの写真。彼らの共通点といえば、長崎遊学の経験があるということ。1571年の開港から長崎は海外との貿易の拠点であり、海外の文明や文化が最初にもたらされる場所であったので、多くの志ある若者はこの長崎の地を目指したわけです。

近代化のリーダーを育てた吉田松陰と陽明学

倒幕、明治維新にあたりリーダ達の思想に大きな影響を与えた人物といえば吉田松陰でしょう。松下村塾を開き、伊藤博文、高杉晋作、山縣有朋、木戸孝允など近代化のリーダーたちを輩出していきました。

ところでこの吉田松陰はどんな思想を持っていた人なのでしょうか。吉田松陰が影響を受けた思想といえば、王陽明が唱えた陽明学です。

こちらは儒教の一派なのですが、江戸幕府が封建制を確立するために取り入れた朱子学に対して反発するものでした。

朱子学は支配政治においてとても都合の良い教えが盛り込まれています。

士農工商という身分制度もこの思想のひとつで、簡単に言うと「上の者に逆らうな、自分の頭を動かさずに言われたことをやれ」ですね。

しかし江戸時代が260年も続いたのは "動" を悪、"静" を善とするこの思想を取り入れたからということもあったでしょう。

一方陽明学は「上を敬うことは大事だが、全て迎合する必要はない。間違っている、おかしいと思ったら従わなくていい」「思い立ったらすぐ行動だ!」という動の思想。

ざっくりですが、朱子学は全体主義、陽明学は個人主義とも言えるでしょう。

近代化に導いた薩長の人々は、「真理は自分で見極める、思い立ったら即行動!」の陽明学の思想を持っている人々でした。

朱子学 VS 陽明学

長崎は、隠れキリシタン、潜伏キリシタンの文脈で語られることもあります。長崎歴史博物館には踏み絵もありました。

なぜ徳川幕府がキリスト教を追放したかという理由もここにあるわけです。朱子学の洗脳で実現した封建主義だったのに、他の思想を入れられてしまったら、江戸幕府の存続は危ういと考えたわけです。

ちなみに禁教令では海外渡航だけでなく、海外在住の日本人の帰国も禁止しています。いかなる外の思想も入れない!と必死だったわけですね。

しかしその思案通り、朱子学に反する陽明学の思想を持った新勢力に江戸幕府は倒されてしまうわけです。

現代にも色を残す朱子学的思想

近代化のリーダー達の思想は先進的だったため、ここで日本人は全体主義から抜け出すきっかけになるのかと思いきやそうではない。

したが、朱子学的思想は未だに日本人には深く刻まれています。現代の日本人が全体主義か個人主義かといったら、多様性なんていう言葉は言われ始めていますが、まだまだ全体主義の色が濃いですね。

高度経済成長期には、企業文化の中にまたこの朱子学が取り込まれたとも言えるでしょう。

・目上の者(社長、上司、先輩)に逆らってはいけない
・目上の者(社長、上司、先輩)より早く帰ってはいけない
・目上の者(社長、上司、先輩)の命令は絶対

など、現代の社会にも色濃く残る "お上絶対" 文化。もちろん時代は進化しているので、このあたりフラット化している最先端な企業もあるでしょう。しかしまだ大きな企業の多くはこれで機能しているのではないでしょうか。

やはり大きな組織の管理という部分ではこの思想は便利なのでしょう。これが功を奏して日本の経済は発展していきました。

日本国において多様性は実現するのか?

話は現代に飛びますが、多様性が叫ばれる昨今。全体主義な日本人が目指すべきとされているのは、福沢諭吉が唱えたような "一身独立して一国独立す" のような世界観。

大きな集団にいれば、大きな流れに乗っていれば、自分の脳味噌を動かして考えたり、即行動をとる必要がなかった。安全は保証されるけれど、決してその集団の調和を見出してはいけない。見出した者は罰せられる。自己は確立させる物ではなく集団に溶かすもの。

から

人は個として自立し、尊重されるべきである。個が自分の脳味噌を動かして各々の道を模索し、常にアクションを起こしていくべきである。

もちろん日本人全てが目指しているわけではありません。多様性を謡うリーダー達、すなわち未来の青写真を描いているのはほんの一部で、その向こうにはその他大勢の人々がいるということ。ちょうどトランプの当選がアメリカがニューヨークとロサンゼルスだけで成り立っていないことを気づかせてくれたように。

つまり少なからずこの多様性と言う言葉を受け入れない人もいるということであり、実際は長いものに巻かれていたい人の方が多いでしょう。

幕末の藩士のように生きるとは

私はここ数年様々な場所を転々として暮らしてきたのですが、こういった人に多いのが高城剛さんの著書を読んでインスピレーションを得たという人。私も10年以上前に彼の著書を読み、仕事をしながら毎週世界中の違う場所に出没するという生き方があるのか!と感銘をうけた一人。

そんな彼が仕切りに言っていたのが "幕末の藩士のように" ということ。
幕末に活躍した藩士たちには海外留学経験のあるものが多く、その知見が日本を近代化へ導いた。日本を良い方向へ導くためには、外を見てくる人材が必要なんだという意味合いがあるのでしょう。

もちろん現代は幕末とは違います。鎖国をしていたわけではないし、日本が諸外国に比べ発展が遅れているわけでもないのですが、世界の流れが見えなければ、日本がゆくべき道を見ることはできないという意味では同じこと。

そんなことをコロナ禍の長崎で考えたのでした。

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