フトシ

心身ぶっ壊れて自分と向き合いすぎたら人生変わっちゃった人|現代社会は疲れたので自然に還…

フトシ

心身ぶっ壊れて自分と向き合いすぎたら人生変わっちゃった人|現代社会は疲れたので自然に還りたいと思います

マガジン

  • 自己探究日記

    2022年7月。 私は倒れた。全てがうまくいっている最中、倒れた。 パニック障害だった。 PCを開くと頭痛がして、スマホの通知が鳴ると発作がして、座っているだけで死の妄想が止まらなかった。 そこから私は、自分の全てと向き合い直した。 そこで見えてきた、私を縛る「枠組み」や「規範」。 私は全てうまくいっているわけではなかった。 「全てうまくいっている」ということにしていたかっただけだった。 自分すら騙し、直走ってきた。 そんながんじがらめだった私が、自分の全てと向き合い、自分の全てを許し、自分の全てを手放し、全裸になって復活するまでの軌跡をまとめたnoteたち。 超赤裸々記事だらけです。

最近の記事

  • 固定された記事

私がパニック障害で倒れ、ぜーんぶ手放し、超シンプルな気づきに出会うまで

はじめにこの記事自体クッソ長いですし、リンクした記事も全て読むと恐らくとんでもない時間がかかります。 なので、「あ、なんか学びがあるかも」とあなたの直観もしくは感情が反応するなら(思考じゃなくてね)、ぜひこの記事をブックマークでもして、暇な時にポリポリ読んでみてください。 不思議なのですが、私のnoteを読むと「なんだか生きづらい・・・」「自分の人生を生きたい・・・」という人の内的変容が加速するっぽいです。 私がこうして自分自身の内的変容の全てを、包み隠さず晒してきたか

    • 心や体が病んだ時、それは「意図」から「委ね」へと生き方を変える時

      人の人生にはどうしようもない変化が訪れる時がある。 私の場合それは、パニック障害だった。 いやあれは、ただのパニック障害だったのだろうか? 発作だけじゃなく、めまいも頭痛もしたし、油も肉も酒も体が受け付けなくなったし、体重も当時10キロぐらい落ちた。 当たり前にできていたことが、できなくなった。仕事、電車通勤、考えることそれ自体、などなど。 何が起きたんだろう? 原因を完璧にわかろうとする必要はないのだろうけど、最近少し、思うことがある。 あれは私にとって、「意

      • 下っ腹にあるこの空無、なんだ?

        「なんでもいいんだよ」 そんな言葉が下腹部にクリーンヒットして、なんだか全てがやたらと可笑しくなってしまった経験がある 今ももちろん、恐怖や不安、焦り、嫉妬、怒り、そうした感情が湧き起こることなんてしょっちゅうだし、それに悩まされることもある けど、そんなとき、まず、自分の意識の位置を意識してみる 私の場合はほとんどが頭、特に眉間にある そうしてそれを、落としていく こればっかりは言葉で説明するのが難しいのだけど、とにかく落としていく。段々と下の方へ 感覚として

        • 安定を捨てる。というか「安定」なんてない。ただの幻想。

          自分の言動、思考を注意深く観察していると、「恐怖」というものが、あらゆる隙間から入り込んでくるのがわかる。 収入を安定させよう。 右肩上がりの売り上げを実現させよう。 言っていることはわかる。そう考えることもわかる。 でも、わかんない。 何がわかんない? そうした安定という状態は、結局常に思考の産物だ。だからわかんない。実体がなさすぎる。 安定?そんなものあんのか? 安定は思考で練られる。 そして思考で作られた安定を、常に志向することになる。 そして今を殺

        • 固定された記事

        私がパニック障害で倒れ、ぜーんぶ手放し、超シンプルな気づきに出会うまで

        マガジン

        • 自己探究日記
          49本

        記事

          思考を捨てて「私は…」という存在感覚にしがみついたら何が起こるのか?

          久々にこの本を読んでます。 長いのですが、結局のところ、これしか言ってないと思います。 これだけなんですよね、恐らくこの爺さんが言っていることは。 ただそれだけ言っても思考優位の現代人は聞く耳持たないから、あの手この手で問答しているうちに本が分厚くなってしまったのだと思います。 そして私は、タイミング的にこの爺さんの言っていることがなんとなくわかります。そしてそこに何かがあるのもなんとなくわかります。 なので、やってみようと思います。実験的に。 ただし、若干の修正

          思考を捨てて「私は…」という存在感覚にしがみついたら何が起こるのか?

          モヤモヤするけど、何にモヤモヤしているのかわからない

          だから動いてみるしかない。 なんかモヤモヤするなら、動いてみる。変えてみる。 それでしっくりくるなら、それは正しい。自分の身体が「そっちでいいんだよ」と言っている証拠。 もしそれでもどこかモヤモヤするなら、鬱々とするなら、何かが間違っている証拠。 自分の身体直感が「それは違う」と言っている。 身体直感は「モヤモヤ」といった感覚は教えてくれる。 でも「何にモヤモヤしているのか」という理由や対象までは教えてくれない。 だからそれは思考で試してみるしかない。行動してみ

          モヤモヤするけど、何にモヤモヤしているのかわからない

          教育は、いらない|脱教育の先の地平線

          以前、「あ、もう『教育』じゃねぇ・・・」ってなりました。 「現代教育はもう、狂い始める地点にまで到達した」という気づき。 いかなる教育も——それがどれだけ最先端教育でも——結局は社会の中に織り込まれ、社会が必要とする「人材」を作る手段でしかない。 教育を改善しようとすればするほど、その働きは強くなる。 そしてそうした人材を活用する「組織」。 やりがい、人的資本経営、パーパス。 組織がどれだけ人に寄り添おうとしても、結局はどこまでいっても「組織の目的」に還元される。

          教育は、いらない|脱教育の先の地平線

          どうしても過去の自分に引っ張られる

          恐怖、不安、焦り・・・ どうしても過去の自分に引っ張られる。 「私」という姿、記憶。 思考が、記憶が、「私」という像を作り、私の足を引っ張る。 なりたかった「自分」、なりたいと信じ込んでいた「自分」 そんな「自分」が今の私を否定し、私から自由を奪い、私を重たくする * 今私の中には、二人の「私」がいる。 過去の「私」と、現瞬間の「私」。 その二人の私が、私の中で、私を引き摺り回す。 * 過去の私は、想像の産物。 記憶が紡いだ、「私」という像。 他人か

          どうしても過去の自分に引っ張られる

          「教育」とは何か?なぜ教育は暴走するのか?そして、「脱教育」とは何か?

          約10年間、教育業界で働いてきました。 気づけば合計7つの新規教育サービスの立ち上げに携わってきました。 その中で数百組み以上の親子を見てきました。「親」「子ども」「教育者」という立場が絡み合う中、それぞれの意図がどのように教育に作用していくのかを観察してきました。 そんな教育を会社内新規事業として立ち上げる中、経済市場や組織力学がどのように私を含めた人間に作用し、結果作られる教育にどのような影響を及ぼすのか、原体験として感じ取ってきました。 葛藤、探究、挫折、妥協、

          「教育」とは何か?なぜ教育は暴走するのか?そして、「脱教育」とは何か?

          「生きづらさ」からもらった自己探求の指針

          プールでクロールしてたら、こういうことかなあとふと思ったので、まとめてみようと思う。 自分でもよくわからずに書くので、あしからず。(でも割と、よくまとまっている感じはする。) * これから書くことを、なぜ目指すのか。目的は何なのか。 それは最後に書こうと思う。 とりあえず、何が、どういうことなのかを、まずは淡々と書こうと思う。 あらゆる規範的思考を疑える理性を養う|頭部私たちは、自らの意思で思考しているのだろうか。 もしそうなら、次の瞬間の思考を選択してほしい。

          「生きづらさ」からもらった自己探求の指針

          なぜ私は、笑ったのか(バタイユの「笑い」から考える)|「みんな、ただ、生きてる(笑)」を味わうシリーズ

          「なんでもいいんだよ。みんな、ただ、生きてるだけなんだから(笑)」 という超シンプルな気づきに出会ってから、何が変わっていくのかを深めていこうシリーズです。 この気づきとの出会いは以下記事参照 * 私は自分と向き合い変容していく途中、フランスの哲学者、ジョルジュ・バタイユの思想の力を何度か借りました。 そして、最後、私は笑いました。 「なーんだよ、みんな、生きてるだけじゃん(笑)おれも、あの人も、誰もがただ、生きてるだけじゃん(笑)なんでもいいんじゃん(笑)」

          なぜ私は、笑ったのか(バタイユの「笑い」から考える)|「みんな、ただ、生きてる(笑)」を味わうシリーズ

          「あなた」が生まれる前、あなたは何だったのか。「あなた」が死んだ後、あなたは何になるのか。|「みんな、ただ、生きてる(笑)」を味わうシリーズ

          「なんでもいいんだよ。みんな、ただ、生きてるだけなんだから(笑)」 という超シンプルな気づきに出会ってから、何が変わっていくのかを深めていこうシリーズです。 この気づきとの出会いは以下記事参照 * 「あなた」が生まれる前、あなたは何だったのか。「あなた」が死んだ後、あなたは何になるのか。 これ、考えたことありますか? 誰かから聞いた話、教義から持ってきた教え、昔からの言い伝えといった噂の類を全て放棄し、厳密に、ゼロから、考えてみたら、この問いに対する答えは何になる

          「あなた」が生まれる前、あなたは何だったのか。「あなた」が死んだ後、あなたは何になるのか。|「みんな、ただ、生きてる(笑)」を味わうシリーズ

          私も、あなたも、世界も、瞬間瞬間で、全く違う何かになり得るし、なっていい|「みんな、ただ、生きてる(笑)」を味わうシリーズ

          「なんでもいいんだよ。みんな、ただ、生きてるだけなんだから(笑)」 という超シンプルな気づきに出会ってから、何が変わっていくのかを深めていこうシリーズです。 この気づきとの出会いは以下記事参照 * 昨日のあなたと、今日のあなたは、同じですか? 以下は私たちの細胞が入れ替わる期間らしいです。結構これ、面白いなあと思って・・・ これを見て、どう思いますか? 私は「思ったよりも短い期間で全部入れ替わっちゃうんだなー」という感想です こんなに短い期間で、私の細胞全てが

          私も、あなたも、世界も、瞬間瞬間で、全く違う何かになり得るし、なっていい|「みんな、ただ、生きてる(笑)」を味わうシリーズ

          やらなきゃいけないことも、やってはいけないことも、何もない|「みんな、ただ、生きてる(笑)」を味わうシリーズ

          「なんでもいいんだよ。みんな、ただ、生きてるだけなんだから(笑)」 という超シンプルな気づきに出会ってから、何が変わっていくのかを深めていこうシリーズです。 この気づきとの出会いは以下記事参照 * やらなきゃいけないことも、やってはいけないことも、何もない 「いや、そんなこと言ったら、みんな好き勝手生きて、社会はおかしくなってしまう!」 「犯罪が増えたらどうするの!」 「好きなことばかりしてたら、将来大変でしょ!」 いや、知らん。 いや、知らんですよ、ほんと

          やらなきゃいけないことも、やってはいけないことも、何もない|「みんな、ただ、生きてる(笑)」を味わうシリーズ

          私は何も知らない。私が知っているのは、「今、生きている」という事実のみ|「みんな、ただ、生きてる(笑)」を味わうシリーズ

          「なんでもいいんだよ。みんな、ただ、生きてるだけなんだから(笑)」 という超シンプルな気づきに出会ってから、何が変わっていくのかを深めていこうシリーズです。 この気づきとの出会いは以下記事参照 * 身体、身体、身体 どこまでいっても、身体、身体、身体 頭おかしくなって、身体しか言えなくなったかのように、 私は繰り返しますよ 身体、身体、身体 いや、どういうことかというと、 今の私にとって、揺るがない事実は、「この身体は、ただ、生きている」ということのみなの

          私は何も知らない。私が知っているのは、「今、生きている」という事実のみ|「みんな、ただ、生きてる(笑)」を味わうシリーズ

          問題のない世界を生きる|「みんな、ただ、生きてる(笑)」を味わうシリーズ

          「なんでもいいんだよ。みんな、ただ、生きてるだけなんだから(笑)」 という超シンプルな気づきに出会ってから、何が変わっていくのかを深めていこうシリーズです。 この気づきとの出会いは以下記事参照 * さて、私は今まで、「何かしらの問題がある世界」ということを前提に生きていました その問題を解決するための手段としての教育だったり、事業だったり 私たちは常に「問題のある世界」という世界観を植え付けられて生きていきます 例えば、事業創造の場合は、顧客の問題を見つけろ、と

          問題のない世界を生きる|「みんな、ただ、生きてる(笑)」を味わうシリーズ