問題のない世界を生きる|「みんな、ただ、生きてる(笑)」を味わうシリーズ
「なんでもいいんだよ。みんな、ただ、生きてるだけなんだから(笑)」
という超シンプルな気づきに出会ってから、何が変わっていくのかを深めていこうシリーズです。
この気づきとの出会いは以下記事参照
*
さて、私は今まで、「何かしらの問題がある世界」ということを前提に生きていました
その問題を解決するための手段としての教育だったり、事業だったり
私たちは常に「問題のある世界」という世界観を植え付けられて生きていきます
例えば、事業創造の場合は、顧客の問題を見つけろ、となったり
今の時代では、SDGsという社会の問題解決を意識しないといけなかったり
ミッションやパーパスも、問題を前提としたストーリー作り(生きがい作り)なわけです
いや確かに、問題はあるんです
あるんですが、問題があることは、本当に問題なのでしょうか?
問題があって、その解決が起こる
そしてその新たな解決は新たな問題を生み、また新たな解決を生む
こういった循環は、別に私のマインドが問題を作ろうが作らまいが、勝手に起こるんですね
だって、新たな問題を生み出すこと、そして新たな問題を解決すること、この二元論の営みが「生」であって、「みんな生きてる(笑)」という立場に立てば、
まあそれはそれで、そういうことでしかない、ということになります
そうなった時に、私の世界観は「問題のある(すなわち、それを解決しないといけないし、解決するのが生きがいにつながる)世界」から
「そもそも問題なんてない(問題が起こり、解決が起こることは自然発生的に勝手に起こり続けるから、それって別に問題ではなく、ただみんな生きてるだけやん、な)世界」に完全に移り変わります
そうなった時、私のやるべきことというスタンスも変わっていきます
そのスタンスとは、ただ生きればいい、というスタンスになります
私たちは問題のない世界で生きる術を知りません
事業を作る時は顧客の問題から始まります
事業ミッションやパーパスは、社会の問題を解決することが前提となっています
そうして私たちは私たち自身のストーリーを作り、気持ちよく生きていけるわけです
逆にいうと私たちは、世界に問題を作らないと事業も、富も、生き甲斐も作れない世界観を生きているということです
でも、「みんな生きてる(笑)」を生きるとはつまり、問題のない世界を生きるということです
そうなってくると、どうなるのか
それは人生がより自然発生的な、偶発的な営みになることを意味します
そしてそこで必要なのは、努力ではなく、委ねです
「あー、もう、ぜーんぶ、やーめた。もう、任せるわー、運命さん、よろー」
となるわけです
その中では別に何かを達成する必要もありません
成長する必要もありません
だって問題なんてないんですから、今の自分にも問題がないわけです
問題がないなら、何を達成する必要があるんですか?今のままでいいんです
ただ、ここで重要なのは、これは無気力を意図するわけでもありません
また、ここでもし虚無る場合は、「問題のある世界」に絡め取られてる証拠です。なぜならその前提があるから、「世界に問題なんてない」と言われると虚無るわけです
全く矛盾してるように聞こえるかもですが、別に問題を作って生きていってもいいんです
だってそれが、人間の生き方なわけでもあるわけですから
その両方を含むところで、「みんな生きてる(笑)」というスタンスでただ委ねていればいいということです
そもそも、私たちは、自分に自由意志があり、ほとんどの選択や活動は自分の意思で行なっていると思っています
しかし、私たちは、次の呼吸をするかどうか、自分の意思で選択してますか?
自分が呼吸をしているのではなく、呼吸が自分にやってくるわけです。
私たちは消化を自分の意思でしてますか?
自分が消化をしているのではなく、消化が自分に起こっているわけです。
もし私たちが全ての活動を自分の意思選択の範囲に留めようとしたら、途端に私たちの生命は脅かされます
「自分の意思で生きている」なんてものは傲慢なマインドの暴走でしかなく、
これは信仰でもなんでもなく、現実的に考えた結果の、「私たちは生かされてる」という事実なわけです
さて、この生がいつまで続くかはわかりません
死が近づけば怖いでしょうし、体が病めば辛いでしょう
はい、怖いし、辛いでしょう
怖いし、辛いです
その通りです。それ以上でも以下でもない
それの何がいけないのでしょうか?
別に生きてるのだから、それが普通でしょう
別にそれでいいのです
それをやれ乗り越えようとか、超越しようとか、するからややこしくなるのです
ただ、怖がって、辛くなればいいんです。だって怖くて、辛いんですから
という具合に、要するに「みんな生きてる(笑)」の世界で生きるというのは、そんな、「みんな生きてる(笑)」世界の一部として生きる
という、クソほどつまらない当たり前の事実を本当の意味で受け入れること、と言えそうです
しかしこの受け入れが、死ぬほど難しいのです、我々人間には
だから私たちは問題を作り、意味を作り、生きがいを作る
はい、いいんです、それで
だってそれが生きる、ということですから
もう別に、なんだっていい
なんだって、許されるのです。だってそれは全て、「みんな生きてる(笑)」に含まれるわけですから
*
となった時に、おそらく私がこれからやっていくことも変わっていくでしょう
私は今まで、あまりに問題に注目しすぎてました
注目というよりは、自らで世界に問題を作っていました
そうしないと、要は不安だったのだと思います
「世界に問題を作ること」がつまり「生きること」となっていたわけですから
でも今は、「みんな生きてる(笑)」の立場から世界を見ると、世界に問題はなく(問題があること、まだ解決がなされていないこと、これから解決されていくことも全てひっくるめて問題ではないという意味)、根本から「生きること」の意味合いが変わってきます
では、「みんな生きてる(笑)」の立場での「生きる」とはなんなのか。
それはただ、委ねること(繰り返し)
私に次の呼吸を持ってくる(もしくは次の呼吸を止める)何かに、委ね切ること
これに尽きるのだと思います
その結果、人それぞれに起こることはもちろん違うと思います
まあ、なんでもいいんです。それが生きるということですから
私は、もう少し、誰かや何かの問題ではなく、もっとカラッとした喜びや楽しさに注目し始めていく気がします
単純に私にとっての「居心地良さ」に向かっていくと思います
ただ、まずは一旦、「人間休業」をしようと思います
39歳の本田宗一郎がホンダ創業前の1年間ニートをやった際に宣言したのが、「人間休業」です
期間はわかりませんが、35歳になるあたりに、私は一度高らかに「人間休業」を宣言してニートになると思います
そして、真っさらな地点から、「みんな生きてる(笑)」という世界を改めて観て、味わった時に、自分の中で自然発生的に起こる衝動に身を委ねて、次の生き方が決まっていくのだと思います
今日伝えたかったのは、
「みんな生きてる(笑)」とは、問題のない世界を生きること
現代は問題があることを前提とする世界観です
「みんな生きてる(笑)」は、問題のない世界を前提とした世界観です
つまりは根本的に、「生」へのスタンスが変わるわけです
奥が深いぜ、「みんな生きてる(笑)」
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