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私は何も知らない。私が知っているのは、「今、生きている」という事実のみ|「みんな、ただ、生きてる(笑)」を味わうシリーズ

「なんでもいいんだよ。みんな、ただ、生きてるだけなんだから(笑)」

という超シンプルな気づきに出会ってから、何が変わっていくのかを深めていこうシリーズです。

この気づきとの出会いは以下記事参照

身体、身体、身体

どこまでいっても、身体、身体、身体

頭おかしくなって、身体しか言えなくなったかのように、

私は繰り返しますよ

身体、身体、身体

いや、どういうことかというと、

今の私にとって、揺るがない事実は、「この身体は、ただ、生きている」ということのみなのです

宇宙の果てはどうなっているのですか?

知りません。

死後の世界はあるのですか?

知りません。

生まれ変わりはあるのですか?

知りません。

未来はどうなるのですか?

知りません。

あなたは今幸せですか?

知りません。

幸せとはなんですか?

知りません。

なーーーーーーーんも、知りません。

私が知っているのは、今この身体は、ただ生きている、ということだけです。

いやむしろ、それだけ知ってれば十分なのです。

これ以上知ろうとすると、常にやってくるのは観念なのです。

死とは何か。

幸せとは何か。

死後はあるのか。

人の数ほど、解釈があるでしょう。

ただ、人の数ほどということは、それはどれだけ偉大で、すごい人の話だとしても、結局は噂となんら大差ないのです。

だって、人の話ですから。

そして私は、そういった噂は、「知りません。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」としか言えません。

だって、知らないんですもん。

私が知っているのは「今、この身体は、生きている」ということだけなのです。

この絶対的かつ、私自身の感覚として信頼できるこの経験にのみ、知の軸足を置き、私はこれを握り続けるのです。

身体、身体、身体

この身体は、生きている

魂?

知りません

心?

知りません

意識?

知りません

まああるのかもしれないし、ないのかもしれない

何をそう呼ぶのかは人によって違いますよね。

私が知っているのは、

この身体は今、生きている

ただそれだけなのです。

そしてそれはつまり、この身体はいつか死ぬ、ということの裏返しです。

この身体は生きている。そして、この身体はいつか死ぬ。

みんな、ただ、生きている(笑)。そして、みんな、いつか、死ぬ。

終わり

それ以上でも、それ以下でもない

この死ぬほどつまらない事実、しかし誰もが揺るぎなく今この瞬間に知ることのできる唯一の事実

その事実を、身体感覚という今この瞬間の揺るぎない感覚を使って、経験し尽くす

この身体は生きている。そして、この身体はいつか死ぬ。

みんな、ただ、生きている(笑)。そして、みんな、いつか、死ぬ。

この事実に全身で浸りきることを私は拒んでいた

そして私は、観念で他人が持ち込んできた噂の類を信じ、そういうことにしようとしていた

そして私は、噂の類の信念体系に絡め取られ、「みんな、ただ、生きている(笑)」という誰もが今この瞬間に気づくことができる気づきに対して目を瞑り、

「どこかに、何か、あるのではないか」と探し回り続けていた

しかし、何もない。知れることは、何もない。

噂の類ではなく、私が今この瞬間の揺るぎない事実として、経験として、知り得ることは、

この身体は生きている。そして、この身体はいつか死ぬ。

みんな、ただ、生きている(笑)。そして、みんな、いつか、死ぬ。

これだけである。

これを全身で認め切った時、委ね切った時、諦め切った時、全ては「なーんだ、みんな、ただ、生きてるだけじゃん(笑)なんでもいいんじゃん」で許される

そしてもちろん、この「みんな」とは、あらゆる生き物が当てはまる

太陽や地球すらも、いつか死ぬのである

この圧倒的にどうしようもない事実

ここに身体感覚が浸り切った時、思考が「虚無」として恐れるこの悲劇の向こうに、「生死」という喜劇が、笑いと共に引き起こされるのである

文字通り私は、これに浸り切った時、笑いが止まらなくなったのである

私たちの最も近いところに、最も深遠なものが、常に私たちから一瞬も離れずに存在している

それが、この、「この身体は、ただ、生きている」という感覚である

この「生きている」という感覚

恐れも、苦悩も、喜びも、悲しみも、過去も、未来も、今この瞬間も、マインドも、心も、魂も、

そんなあるのかないのかもわからないけども、一旦あるとしたこれらの万事は、

「なーんだ。みんな、ただ、生きてるだけじゃん(笑)。なんでもいいんじゃん(笑)」

という「今、生きている」というこの絶対的身体感覚にのみ、全て吸い込まれていくのである

そして私は、「何も知らない」ということに絶対的な信頼をおいて、生きていくのである

「知っている」ということが評価され、安心を生むとされているこの世界の中で、

「何も知らない」「この身体は今、生きていて、いつか死ぬ、という事実以外、私は何も知らない。知り得ない」という経験を全身に浸らせ、それ以外のあらゆる噂の類を「知りましぇーん」と潔く認め、受け入れきること

これが、「みんな、ただ、生きてる(笑)」で生きていくということである

無知の知のソクラテスおじさん顔負けの、開き直りっぷりである

ほんと深いぜ、「ただ、みんな、生きてる(笑)」

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