【短歌】境涯詠を詠むのは苦手だ
先日も書いたが、私は身体に障害を抱えている。ほとんど在宅で過ごしていて、だから見るもの、聞くものと言えば、Yahoo!やYouTubeにアップされるニュースだったり、遥か遠くエクアドルの色鮮やかな鳥たちの映像を見ているだけ。
空気の匂い、手触り、変わったおじさんに出会うこともない。どうしても場面を無理に創造して短歌にしている。
だからと言って、読む人にファンタジーの世界へ連れ込むような技量がないから、どれが自分のスタイルなのか未だ分からない。
昔から短歌には興味があった。短歌のきっかけは、やっぱり若かりし頃に一世を風靡した口語表現の名手、俵万智の「サラダ記念日」だったであろうし、と同時に詩の深淵といえば寺山修司だった。
短歌を再開したいと思ったのは「うたの日」があったからだ。そこで腕を磨いて成績を残せる歌人になりたいと思った。
だけど、あそこは初学生のみが来る場所ではなく、妙にレベルが高く詩情がある人ばかりだ。ひとつの結社と言っても過言ではない参加者がいる。その中で評価を得るのは難しい。それが目下の目標である。
とはいえ、ある程度の人は私より上達は早いはずだ。旅行にでも行けば、新しい発見があり短歌を作りたい気になる。でも今のありのままの境涯詠には自信がない。
小説、映画、仕事関係の本を読んで作る人もいるだろう。今はそれらを読んでストックを作るときかもしれない。
昔は多くのドラマや映画を観たし、実際面白い作品もたくさんあった。そして、このコロナの影響でステイホームが呼びかけられた外の世界から隔絶されてしまった。
短歌は生命力だ。その瞬間に、みずみずしい感覚が詠われてこそ短歌は良いものに変わる。空気が冷たさも森の涼やかさも、何処かの家の美味しそうな匂いも、なかなか発見できないのだ。
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