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古賀史健

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古賀史健の note、2018年以降のぜんぶです。それ以前のものは、まとめ損ねました。
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2022年7月の記事一覧

思いつきとアイデアの違いについて。

思いつきとアイデアの違いについて。

「思いつき」と「アイデア」は、まったく別のものだ。

ぼくにとっての「思いつき」とは、かぎりなく「気の迷い」に近いもので、うっかり実行に移したら大変な結果を招くものを指す。一方の「アイデア」とは、壁や課題を突破するために出された案で、どれだけ大変であっても実行に移したほうがいい。問題は、その両者の見極めがとてもむずかしいところにある。

きっと気の迷いだろうと思いながら最近、「どこかの媒体に連載を

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ゼロベースのむずかしさ。

ゼロベースのむずかしさ。

ゼロベースで考える、という言いまわしがある。

「過去の慣習にとらわれない」という意味で使われる言葉でもあるし、議論が煮詰まったときなどに「いったんチャラにして」とのニュアンスで使われることも多い言葉だ。いずれにせよ、これまで積み上げてきたものをすべて無にして考えよ、ということである。

これがたとえば、「ゼロベースで見なおす」であれば話は早い。政治のトップが変わったときが好例だけれども、前任者の

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本拠地があるということ。

本拠地があるということ。

オフィスを越してから2週間が経った。

不便になったところも、あるにはある。最寄り駅からの距離が少しだけ遠くなったのはちいさな不便だ。以前のビルでは同じ階にあったゴミ出し場が、別の階になってしまったのも不便だ。カードキーだった鍵が、ガチャガチャ回す式の鍵に変わったこともちいさくテンションを下げてくる。賃料も上がったし、引越にあたって買い換えた机や本棚など、思わぬ出費もかさんだ。

それでもやはり、

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「言ったもん負け」の世のなかで。

「言ったもん負け」の世のなかで。

問題発言、とされる発言がある。

わかりやすいところでいえば、政治家の問題発言だ。「その言い方はいかがなものか」という程度のものから、明らかな差別的言動まで、問題発言とされるものの幅は広い。政治家以外であっても、公職にある人、芸能人や企業経営者をはじめとした社会的に影響力のおおきい人などもまた、しばしばソーシャルメディア上の「問題発言」が槍玉に挙げられ、大炎上を招いたりする。

発言主の多くは、お

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おいしいごはんを食べて考えた。

おいしいごはんを食べて考えた。

食が太い、という言いかたはあるのだろうか。

体調や生まれ持った気質などの要因によってあまりものを食べない人、または症状を指して、「食が細い」という。夏バテで最近食が細くって、なんて感じで。ならば一方、なんでもおいしくばくばく食べる大飯喰らいのことは「食が太い」というのだろうか。食に関して自分が太いか細いかでいえば、間違いなく太いほうだと思う。複数人で大皿料理を注文した折には、ほとんどいつも皿に残

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おのれの原油を掘り当てる。

おのれの原油を掘り当てる。

当たり前のようにぼくは、原油を取引したことがない。

さらにいえばおそらく、原油というものを見たこともない。灯油やガソリンであれば見たこともあるし、その匂いを嗅いだこともある。けれども原油のことはよく知らない。やっぱり灯油やガソリンみたいな、ケミカルな酩酊を誘う系のアルコールめいた匂いがするのだろうか。それとも敷きたてホヤホヤのアスファルトみたいな、むせ返るほどに甘黒い匂いなのか。あるいは原油その

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600万分の1の確率とはどういうことか。

600万分の1の確率とはどういうことか。

恥を忍んで言うべきことかもしれない。

定期的に、宝くじを買っている。しかも当選確率の低いであろう「ロト6」というくじを買っている。キャリーオーバー発生時の1等は最高で6億円になるという、夢のようなくじだ。しかしながら夢とは、そうたやすく叶わないからこそ夢と言えるのであって、事実「ロト6」の1等当選確率は600万分の1以下なのだという。

600万分の1などという数字は、もはや気の遠くなるばかりの

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読めたもんじゃない文章。

読めたもんじゃない文章。

できることならわたしは。

たとえば毎日書くここの note には、読んでたのしいことを書いていたい。誰かを攻撃するような文言だったり、誰かを傷つけるような文言はなるべく避け、かといって真面目ぶった話題に流されることなく、毒でも薬でもないおのれの日常を記すだけでもなく、(笑ってもらう必要はないものの)読んでたのしいなにかを書いていたい。じぶんの意図しないところで誰かを傷つける結果になることは、当然

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夏の午後の痛飲。

夏の午後の痛飲。

痛飲ということばがある。

おおいに、うんざりするほどに酒を飲むことをなぜか、痛飲という。前後不覚になったり嘔吐したり宿酔いになったりの症状を指して痛飲と呼んでいるのか、それとも翌日にありがちな反省や羞恥、猛省するさまを指して「痛」の字を添えているのか、詳しいことはよくわからない。とりあえず世のなかには痛飲ということばがあり、人はそれを過剰なる飲酒の際に用いている。

しかし本日、これこそが痛飲で

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ほめるところがない男。

ほめるところがない男。

はるかはるか、むかしの話。

ぼくはサッカーの専門誌「サッカーダイジェスト」に登場したことがある。ライターとしてではなく、ひとりのサッカー選手として。とはいえもちろんぼくはJリーガーであったこともないし、そもそも専門誌に採り上げられるほどのプレーヤーだったわけでもない。ただ、高校サッカー選手権大会の福岡県大会で優勝し、全国大会を前に「福岡県代表」としてチームの集合写真とメンバーの寸評が掲載されたと

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仕事があるということ。

仕事があるということ。

仕事がある、ってのはとても大事なことだ。

この場合の仕事とは、食いぶちとしての仕事ではなくもっと広範な意味においての「やること」である。今日、やることがある。今日、やらなきゃいけないことがある。それなりの力を注いでやらねばならぬことがある。つまりは「仕事」がある。オフィスビルでのデスクワークかもしれないし、部屋のお掃除かもしれないし、庭の草むしりかもしれない。いずれにせよ今日、やるべきことがある

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それを祭りと考えよう。

それを祭りと考えよう。

上出来じゃないか、とぼくなどは思う。

本日、うちのオフィスは引越だった。たくさんの荷物を梱包し、それ以上にたくさんのゴミを処分して、善良なる引越業者さんのがんばりに助けられながら、なんとか引越先へと荷物を搬出する。そこから社員2名による獅子奮迅のおかげで、ぼくが引越先に到着したときにはすでに、すべての本が本棚に収まっていた。並び順などはテキトーなれど、ひとまず(最大の懸案だった)本が片づいた。も

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引越という名の鏡に映るおれの姿よ。

引越という名の鏡に映るおれの姿よ。

引越には、やさしい引越屋さんときびしい引越屋さんがある。

どうやら今回、きびしい引越屋さんを引き当ててしまったようだ。引越前日にあたる本日、スタッフさんがやってきて、テキパキと荷物をパッキングしてくれた。大量の本、書類、文房具、その他もろもろをダンボールに詰めてくれた。たいへんありがたい、おまかせパックだ。

しかし、法人プランだからだろうか。たとえばぼくの机まわりにはスチール製の引き出し付きワ

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ことばを外気に触れさせる前に。

ことばを外気に触れさせる前に。

言葉というのは不思議なもので。

こころがざわついているとき、なんでも無闇に書かないほうがいい。書きたくなる自分、言いたくなる自分はいるだろうが、「無闇に」書くことはよしたほうがいい。たとえそれが自分の発した言葉であっても、人の思考は言葉に引きずられていく。なんとなく書いた言葉のほうへ、自分をいざなっていく。そして奥の奥、ぬかるみだらけの湿地帯へと足を踏み入れ、もはやそこから出られなくなる。

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