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600万分の1の確率とはどういうことか。

恥を忍んで言うべきことかもしれない。

定期的に、宝くじを買っている。しかも当選確率の低いであろう「ロト6」というくじを買っている。キャリーオーバー発生時の1等は最高で6億円になるという、夢のようなくじだ。しかしながら夢とは、そうたやすく叶わないからこそ夢と言えるのであって、事実「ロト6」の1等当選確率は600万分の1以下なのだという。

600万分の1などという数字は、もはや気の遠くなるばかりの観念的数字とも言えるのだけど、たとえばぼくの生まれた1973年の出生者数は約200万人である。なので、自分を含めた前後3年間のあいだに生まれた全員——たとえばそこには貴乃花光司さんや、イチローさんや、松井秀喜さんや、木村拓哉さんなども含まれる——のなかから自分ひとりだけが選ばれること。それが600万分の1の確率を勝ち抜くということだ。普通に考えて無理に決まっている。それゆえかしこい人ほど宝くじに夢を託す人びとを愚民扱いする。

とはいえ宝くじをめぐる争いは、別に貴乃花と相撲をとったり、松井秀喜とホームラン競争するような話ではなく、完全に運まかせの「くじ」である。自分にも勝機はありそうだ。

……と考えたところで思い出すのが「運も実力のうち」なる格言である。

たとえ相撲や野球で競うことをしなくていいとしても、人生を左右するほどの「運」において、自分は貴乃花光司さんやイチローさんや木村拓哉さんに勝てるのだろうか。ジャンケンで勝つことならあるだろう。席順を決める程度のくじでも、いい勝負ができる。けれど、ビンゴゲームになるともう、勝てる気がしない。ビンゴゲームならたぶん木村拓哉さんが勝ち抜く。そうやって考えると「ロト6」の1等なんて、当たる気がしなくなってくる。

それでもなお、ぼくが定期的に「ロト6」を買っているのは、そういう強運の持ち主は宝くじなど導入せず、ここに集まっているのはぼくと同程度の中運や弱運を持ち合わせた人ばかりであるだろう、と踏んでいるからだ。


いま、6億円が当たったらどうするんだろうなあ。「なにを買うか」なんてレベルじゃなくて「どうするか」や「どう生きるか」の選択を迫られる気がしますよね、6億円って。