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引越という名の鏡に映るおれの姿よ。

引越には、やさしい引越屋さんときびしい引越屋さんがある。

どうやら今回、きびしい引越屋さんを引き当ててしまったようだ。引越前日にあたる本日、スタッフさんがやってきて、テキパキと荷物をパッキングしてくれた。大量の本、書類、文房具、その他もろもろをダンボールに詰めてくれた。たいへんありがたい、おまかせパックだ。

しかし、法人プランだからだろうか。たとえばぼくの机まわりにはスチール製の引き出し付きワゴンが2台あるのだけれど、そしてそのなかには大量の書類や文房具が詰まっているのだけれど、そんなものワゴンごと引越先へ運べばいいと、ぼくなどは思う。引き出しをテープで留めるなどして、引き出しが不意に空かないようにして、そのまま持ち運べばいい。

ところが業者さんはそれを許さず、中身はぜんぶダンボールに移し替えよ、と言う。おそらくは紛失・盗難トラブルを避けてのことだとは思うけれど、実際に盗まれたら困るものはたくさんあるのだけれども、いかにもどうにも面倒くさい。きびしすぎるのだ、ぼくにはその正解が。


そんなこんなで現在、業者さんにパッキングさせることのためらわれる自分の机まわりを、カール・ラガーフェルドばりに散らかったおのれの机まわりを、誰に頼ることもできないまま、ひとりせっせと片づけている。書類の山はもちろん、引き出しのなかに散乱したゴミのごとき文具の片割れを見ていると、こんなものまで後生大事に保管していた自分が、いかにも卑小な人間に思えてくる。

引越は、怠惰なおのれのこれまでを否応なしに突きつけてくる、きわめて高精細な鏡だ。「こんなところに」「こんなものまで」「こんなぞんざいに」などなど、知りたくなかった自分の日常を、これでもかと(ときに臭覚まで刺激しながら)見せつけてくる。

バトンズは明日、引越です。社員一同、もしかしたらメールの返信が遅れてしまったりするかもしれませんが、なにとぞご容赦くださいませ。