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思いつきとアイデアの違いについて。

「思いつき」と「アイデア」は、まったく別のものだ。

ぼくにとっての「思いつき」とは、かぎりなく「気の迷い」に近いもので、うっかり実行に移したら大変な結果を招くものを指す。一方の「アイデア」とは、壁や課題を突破するために出された案で、どれだけ大変であっても実行に移したほうがいい。問題は、その両者の見極めがとてもむずかしいところにある。

きっと気の迷いだろうと思いながら最近、「どこかの媒体に連載を持ってみたいな」と思っている。過去にも雑誌連載を持ったことはあり、その大変さは重々承知している。連載をこなすことばかりに追われ、あたらしい仕事が手に付かない苦労と恐怖も味わった。それでも最近、「連載っていいかも」と思いはじめている。いや、ここの note も毎日の連載といえば連載だけれども、ちゃんと仕事として書く、なんらかのテーマをもった連載だ。できれば、その連載をまとめたものが本になるような。もしかすると「連載の書籍化」にあこがれているだけかもしれず、だとすれば完全なる気の迷いだ。

さらにまた、定期的に襲ってくる気の迷いとして「小説を書いてみたいな」がある。これはたぶん、一生涯に渡ってついてまわる気の迷いだろう。

自分にその才がないことはわかっている。書いて賞を獲りたいみたいな欲もない。さらにまた、実際に書くとなればどれだけ大変なのかも、むかしよりは想像できる。

それでもまあ、出来不出来さえ横に置いていえば、書けるものなのだ小説はきっと。おれだからじゃなくて、多くの人が何歳になってからでも。むかしから「誰だって一冊の小説を書くことだったらできる」と言われるように。村上龍氏が「作家は人に残された『最後の職業』で、本当になろうと思うならいつでもなれる」と言っていたように。

職業としての小説家になりたい気持ちは皆無のぼくだけれども、「小説だって書けるんだ」「その選択肢だってあるんだ」と思って生きていると、これから先の人生にも無限の可能性が広がっているような気がして、ずいぶんと生きやすくなる。安易に絶望しなくなる。ぼくのまわりには職業として小説を書いている人が何人もいるので、笑われたり怒られたりしそうだけどね。

ともあれ、そういう気の迷いが湧き上がっているのは、なにか「あたらしいこと」をしたいと思ってる証拠なんだろうな。ほんとうはタイトルになるように、思いつきとアイデアの違いについてじっくり書くつもりが、こんな話になりました。