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それを祭りと考えよう。

上出来じゃないか、とぼくなどは思う。

本日、うちのオフィスは引越だった。たくさんの荷物を梱包し、それ以上にたくさんのゴミを処分して、善良なる引越業者さんのがんばりに助けられながら、なんとか引越先へと荷物を搬出する。そこから社員2名による獅子奮迅のおかげで、ぼくが引越先に到着したときにはすでに、すべての本が本棚に収まっていた。並び順などはテキトーなれど、ひとまず(最大の懸案だった)本が片づいた。もういいじゃないか。初日でここまでくるなんて上出来じゃないか。さあ、ひと息ついて新オフィスの空気を堪能しよう。ダンボールの山をかき分けるように新調した椅子に座るも、社員ふたりはまるで休む気がなく、せっせとダンボールを開け、忙しく片づけている。果てには「あとは古賀さんのダンボールだけですよ」「ほら、動きましょう」「これなんか、もう捨ててもいいですよね?」なんて尻を叩かれる。

性格の違い、なのかなあ。ふたりにはどうも、片づけに関する「上出来じゃないか」の心がないようだ。

聞いてみる。

最近にご自宅を越したTさんは「ダンボールに囲まれて生活したり、仕事したりするのが嫌なんです」という。そして「ダンボールを片していって、空間が広がっていくのが快感」だともいう。

この春に入社したMさんは「今日できるはずのことを明日に延ばすのが嫌なんです」という。さらには「片づけにかぎらず『やればできること』を『やる』のは好きです」とまでいう。

ぼくなんかの場合、ダンボールに囲まれた新居暮らしもまた風流だ、くらいに思ってしまうし、今日できることを小間切れにして一週間くらいかけてやりたいと思ってしまう。まったくもって性格の不一致だ。

とはいえ、ふたりのおかげで初日の自分とは思えないほどに片づけることができた。そしてこの非日常的な引越を「祭り」に見立てた場合、仕事そっちのけで「祭り」に集中できるのは、せいぜい2日くらいのものだろう。そこを過ぎればさすがに日常(仕事)に戻らざるを得ず、日常に戻ってしまえばもう、本腰を入れて片づけたりしなくなるだろう。

引越はカーニバル。そして与えられたカーニバル期間は、たぶん明日まで。「人を呼べるオフィス」「機嫌のよくなるオフィス」「みんなの集まるオフィス」をめざして、明日もがんばろう。