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2021年11月の記事一覧
やりたい仕事と、できる仕事。
「やりたい仕事」があるのはいいことだ。
ぼくは現在、いくつかの「やりたい仕事」を抱えている。こんな本がつくりたいなあ、というプランが複数ある。そのすべてをやるのかどうか、まだ全然わからないし、もしかしたらひとつも実現しないのかもしれない。それでもまあ、「やりたい仕事」があるのはいいことだ。
ぼくのなかで「やりたい仕事」と「できる仕事」は、ちょっと違う。これは年齢やキャリアのせいもあるだろうけれ
ここに一枚の写真がある。
ここに一枚の写真がある。
列車内で満ち足りた笑みを浮かべる、ふたりの男の子を写した一枚だ。栗色の髪をした、白人の男の子たち。年の頃は6〜8歳だろうか。兄弟にも見えるふたりはプラスチック製の長座席に並んで座り、足をぶらつかせている。窓が写っておらず、時間帯はわからないものの、足もとのゴム長靴からその日が雨模様であったことが伺える。寒い季節なのだろう。ふたりともニットセーターの上に、薄手のダウンジャ
デフレの話と、本の話。
90年代後半の話である。
とある若者向け週刊誌のお仕事で、経済評論家の先生にインタビューした。なんだかとてもお忙しい方で、大阪まで来てくれ、と言う。新大阪駅で待ち合わせて、一緒に新幹線で帰京しよう。その車中であれば、インタビューに応じる。もちろん新幹線グリーン車のチケット代は、そちらが支払ってくれたまえ。そういう条件だった。さすが経済の専門家、ずいぶんと倹約につとめているんだなあ。編集者と笑い合
アーカイブ思考から離れる。
卓球とカーリングはおもしろい。
これは夏と冬のオリンピックがやってくるたび、つまりは2年ごとに、毎回実感する事実である。いつのオリンピックでも「そうそう、卓球(カーリング)っておもしろいんだよなあ」と観戦をはじめ、「いやー、こんなにおもしろかったっけ?」と夢中になり、「最高におもしれえスポーツだよ、これは!」と興奮が頂点に達したところで大会を終える。
そこで毎回「よーし、これからは国内大会もち
読みたいだけでは足りなくて。
本日は、ひさびさの人たちとの打ち合わせだった。
はじめての喫茶店で、とりあえずアイスコーヒーなんかを注文して、テーブルの上に資料を広げて、あれこれ自由に語り合う無責任な時間。この、企画のはじまり特有の、互いの労力を度外視した「思いつき」の投げ合いは、ほんとうに貴重なものだ。この段階で「おもしろそう」と思えない企画は、その後どんなにがんばっても、おもしろくならない。「おもしろい」の前には、かならず
なんのゴールもない歩みを。
今年の春、あるインタビューを受けた。
note を毎日書くことの効能について問われたぼくは、正直に「なにもない」と答えた。
いま同じ質問をされても、同じ答えしか出てこないと思う。ただし、ここで大切なのは「じゃあ、書かない」を選ぶのか、「それでも、書く」を選ぶのか、なんだろう。
書くことに限らず、それを「お勉強」とか「練習」とか「トレーニング」とかの発想で考えているうちはたぶん、最終的に得るも
信じることと、考えること。
疑似科学、という厄介なジャンルがある。
たとえば風水や占い全般、また最近だとパワースポット的な言説であれば、ひとつの「お話」として(受け入れるなり拒絶するなり)対応することができる。受け入れる人も、それが「目に見えないもの」であり「定量化できないもの」であることをあらかじめ了解して、受け入れている。
おおきく言えば宗教だってそういうものだろう。仏教学者の佐々木閑さんは著書のなかで、ゴリゴリの合
断ることと、誘うこと。
そのむかし『NOと言える日本』という本がベストセラーになった。
刊行は1989年。著者は当時ソニーで代表取締役会長を務めていた盛田昭夫氏と、石原慎太郎氏。サブタイトルは「新日米関係の方策」。本の中身以上にタイトルのインパクトによって記憶されてきた本だ。つまりそれだけ日本人は、「NO」と言うのが苦手なのだろう。
これはぼくにも当てはまる話で、公私のもろもろでいちばん面倒くさく、気を遣ってしまうの
技術より、才能よりも、大切なもの。
スポーツの世界で考えれば簡単なのだけれど。
じつを言うと最近、ちょっとだけ焦りを感じている。「このままじゃ、いけないんじゃないか?」と思っている。しかもそれは人生ではじめてと言えるタイプの焦りで、われながら対処に困っている。行きつく先の答えはひとつしかないのだけど、その答えがわりと苦しい。でもなあ、そっちに進まないといけないんだよなあ。自分に言い聞かせている。
スポーツの世界ではしばしば「試合
「学校」がつくってくれるもの。
土曜日は「バトンズの学校」の第6講だった。
マスクの着用、入場時の検温、アルコール消毒などはあるものの、同じ空間でお互いの顔を見ながら講義できる環境はとてもありがたい。これが初回から最終回まで完全リモートの講義だったら、ぜんぜん違った場になっていただろう。きっと「学校」ではない、「講座」に近づいていたはずだ。しかも通信講座なのだから、場もなにもあったもんじゃない。
上京してしばらく経ったころ、
わたしが企画をつくるとき。
きのう、本の企画が浮かんだ。
自著ではない、ひさしぶりに「あの人に書いてもらう」式の、あるいは「あの人と一緒に書く」式の、本の企画だ。
来年の前半からは一冊、自著を書く予定が入っているので、その企画が動き出すのは、早くても来年後半になる。そして、ぼくの思いつく企画はどうも「本気でやるとなったらマジで大変だぞ、それ」という曼荼羅タイプの本が多く、尻込みしないでもない。けれどもやはり「実現したらお
好きと言えないわたしの好き。
なにかについて、堂々と「好きだ」と公言できない自分がいる。
たとえば中学生以来、ぼくはエリック・クラプトンというミュージシャンが好きだった。いや、ビートルズもローリング・ストーンズも、ボブ・ディランもデヴィッド・ボウイも好きだったし、あろうことかオールマン・ブラザーズ・バンドやリトル・フィートまで大好きなレイドバック中学生だった。CCRだの、レイナード・スキナードだの、ザ・バンドだの、マーシャル
犬との散歩で考える。
犬と毎朝、散歩に出る。
仕事を終えて家に帰る午後11時ごろ、犬はだいたい寝ている。もちろん玄関を開ける音で目を覚ましてくれる。それから吠えたり、飛びついたり、顔を舐めたりの「おかえりの儀式」はあるのだけれど、10分と経たずまた寝る。安心したかのように、ぶうぶう寝息を立てる。
べつに薄情なわけじゃない。犬とはそういう生きものなのだし、起きている犬と触れあう時間を確保するためにも毎朝、犬と散歩に出