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読みたいだけでは足りなくて。

本日は、ひさびさの人たちとの打ち合わせだった。

はじめての喫茶店で、とりあえずアイスコーヒーなんかを注文して、テーブルの上に資料を広げて、あれこれ自由に語り合う無責任な時間。この、企画のはじまり特有の、互いの労力を度外視した「思いつき」の投げ合いは、ほんとうに貴重なものだ。この段階で「おもしろそう」と思えない企画は、その後どんなにがんばっても、おもしろくならない。「おもしろい」の前には、かならず「おもしろそう」があるのだ。

ただしここでの「おもしろそう」は、つくり手としてのそれではなく、読者としての「おもしろそう」でなければならない。

そして本の仕事をする場合、読者の抱く「おもしろそう」は、ただの「読みたい」では足りなくて、それが「ほしい!」にまで達している必要がある。「読みたい」と「ほしい!」のあいだには、けっこうな差があるのだ。

最初の打ち合わせでは「おもしろそう」があれば十分だ。その予感を大事に育てていけば、「ほしい!」につながるなにかが見えてくる。


来年書く予定でいる自著も、「おもしろそう」を超えた「ほしい!」にまで発展させていかないとなー。人は本を「読みたいから読む」のも事実だけれども、「ほしいから買う」のも、また事実なのですよ。