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好きと言えないわたしの好き。

なにかについて、堂々と「好きだ」と公言できない自分がいる。

たとえば中学生以来、ぼくはエリック・クラプトンというミュージシャンが好きだった。いや、ビートルズもローリング・ストーンズも、ボブ・ディランもデヴィッド・ボウイも好きだったし、あろうことかオールマン・ブラザーズ・バンドやリトル・フィートまで大好きなレイドバック中学生だった。CCRだの、レイナード・スキナードだの、ザ・バンドだの、マーシャル・タッカー・バンドだの、およそ80年代の中高生とは思えない音楽ばかりを愛好していた。

友だちとの会話のなかでは、これらミュージシャンについて「好きだ」と言える。しかし、世間に向けて「好きだ」と公言することには少し、ためらいをおぼえる。だって、自分なんてまだまだ聴きはじめて数年のクソガキなのだし、ほんとうに「好き」な人ってのは、クラプトンならクラプトンと同じ時代を生きた人たちであるはずだから。

インターネットもソーシャルメディアもない時代の中高生に、「公言」する機会もあるまい。そう思われるかもしれないが、あるのだ。自分がその人のファンであることを公言する場は。

コンサートである。

ぼくの住んでいた福岡は、クラプトン級の大物ミュージシャンがやってきてくれる程度には都会だった。なので、こんなに「好き」なのだから、当然自分もコンサートに行きたい。けれども、そこで迷うのである。「おれみたいな若造が、したり顔でクラプトンのコンサートに行っていいのか」と。そこはもっと本物の、長年のファンが集う場ではないのかと。

そんな自意識の渦に吞まれたぼくは、折衷案を見出した。コンサート警備員のアルバイトである。警備員として会場に入ることなら、許されるだろう。そしてステージに背を向けながら、耳だけ音に集中すればいいのだ。ぼくはエリック・クラプトンのコンサート警備員として、福岡国際センターに出向いた。

そこで見たのは、クラプトンのことをまったく知らないカップルの群れだった。椅子から立ち上がろうともせず、「この曲で盛り上がれよ!」という名曲にもまばらな拍手。唯一会場が「わーっ」となったのは、『ワンダフル・トゥナイト』と『レイラ』だった。

てめえら、ふざけるんじゃねえ。

以来、ぼくはお金の許すかぎりコンサートに足を運ぶ、ふつうのロック少年になれたのだった。


という思い出話をしたのも、本日があるお二方の誕生日だからである。

あいかわらず残るダメダメな自意識によって、ぼくは「好きだ」と公言できる作家さんが少ない。それでも、ドストエフスキーとヴォネガットだけは、かなり堂々と「好きだ」と言える気がする。このふたりには、確実に人生のある時期を捧げたおぼえがあるからだ。

『取材・執筆・推敲』のなかにも、おふたりの名前は出てくる。名前を出しても大丈夫なくらい、「好きだ」と言える自負があったからだろう。

週末に開催される「バトンズの学校」(第6講)に向けて、この本を読み返していたのだけど、まあよく書いたなあ、と思いました。われながら、これが「好きだ」と。